第47話 またよろしくね

 とにかく全速力でと御者を急き立てながら、一路グレニスの屋敷を目指す。

 休憩を削りつ削りつ進めば、大きな天候の崩れやトラブルもなく、七日と少々で王都へとたどり着いた。




 時刻は昼を過ぎたところ。

 今着いてもグレニスは仕事で留守にしているだろうし、真っ直ぐ屋敷へは向かわずに一度商店街へと立ち寄る。


 あの日の発言を赦してもらうのに必要なマニーへのお詫びに、彼女の大好物であるショコラタルトを調達するのだ。

 せっかく菓子店に行くのだから、他の使用人たちへも焼き菓子か何か差し入れようと思う。



 昼下がりの賑わいを見せる商店街を進んでいると、広場の中央に人だかりができているのに気付いた。

 人の歩みほどに速度を落とした馬車の中、聞く気はなくとも威勢のいい声が耳に飛び込んでくる。


「さあさあ、もう名前を書いてないやつはいないか? 字が書けなけりゃ代筆もするからな! にも頼むぜ!」


「グレンの……? ねえディム、ちょっとここで停めてちょうだい」


 御者台に通じる小窓へ呼びかければ、人々の邪魔にならない位置まで進んで馬車が停まった。



 人だかりへと引き返すと、集まった人たちはどうやら中央に据えられた木箱の上で、次々と紙に署名しては拇印を押しているらしい。


「ねえ、これは一体何をしてるの?」


 署名の様子を窺いながら、手近な人へと声をかける。


「ああ、ジェルム団長のを求める署名運動だよ。あんないいお方が自身の責でもなく解任されるなんて聞いちゃ、みんな黙ってらんないのさ。こう言っちゃなんだが、後任がどんなお方になるかだってわかったもんじゃない……だろ?」


「解任撤回の……。そう……ね。そうよね!? 見過ごせないわ!!」


 一番好きなものと聞いて迷わずこの国だと答え、休日にさえ市民のために尽くす。グレニス以上に団長に相応しい人物なんて、私は知らない。


 ぐいと腕まくりすると、私は人だかりの中央へ向かって意気軒昂と踏み出した。








「ようこそ、お待ちしておりました。リヴェリー様」


 正門に通された馬車を降りれば、執事長が端然としたお辞儀で出迎えてくれる。


「え、あの、執事長———」


「ゼナードとお呼びください、リヴェリー様」


 つい数週間前まで上司だった人間をいきなり呼び捨てにしろというのは、なかなかに難しい話だ。


 メイドの一人に案内されて部屋へと向かえば、通りがかりの使用人たちも皆一様に足を止め「いらっしゃいませ、リヴェリー様」と礼をする。……もちろん、みんな数週間前まで気安く喋っていた元同僚たちである。


 これは大変な噂になっていそうだ……。




 ずらりと並ぶ客間の一つに通される。

 荷ほどきの手伝いを断ると、一人きりの部屋でようやくほっと息をついた。


「ふぅ……」


 急いでいたため荷物は必要最低限しか持参していない。あとの荷物は追い追い届くだろう。


 それにしてもグレニスの屋敷は客間まで立派だ。

 実家の客間を見て、グレニスはどう思っただろうか……。



 コンコンコンコン


「マノン、参りました」



「入って!」


 執事長に頼んでおいた言伝を聞いて、すぐにやって来てくれたようだ。


「失礼いたします」


「マニー! 私———」


「ようこそおいでくださいました、リヴェリー様。お呼びでしょうか」


 入室したマニーは、抱擁に駆け寄った私の姿など見えていないかのようにその場でよそよそしい歓迎を述べた。


「そ……そんな、やめてよ! ほら、前みたいにリヴって呼んで?」


 張り付けたような笑みを浮かべ、他人行儀なマニーの態度。

 先ほどから元同僚たちにも綺麗な余所行きの顔を向けられて、果たしてここは本当に私のいた屋敷だったのだろうかと足元の傾ぐような不安が押し寄せる。


「大切なお客様に、そのような呼び方はいたしかねます」


「や、やめてよぉ……マニィィ……」


 とうとう涙ぐんで訴えれば、面のような笑みは消え、ギロリと鋭い視線が私を刺した。


「私の涙を返して」


「え……?」


「私の涙を返してちょうだい!」


 マニーは憤慨しているというのに、先ほどまでの他人行儀な態度が崩れたことにひどくほっとしてしまう。


「ごっ、ごめんなさい。私も本当に知らなくって……」


「リヴが望まない結婚をさせられちゃうって! 酷いことされたり、一生辛い思いをすることになったらどうしようって! 私、ずっとずーっと心配してたんだからね!!?」


「マニー……」


「それがなんなのよ、旦那様の婚約者って! これからここに住むって! ちゃんと両想いで幸せいっぱいじゃないのよ、ばかぁー!!」


 ぎゅっと私に抱きついたマニーは、嗚咽の合間に、ばか、ばか、と何度も繰り返した。


「うん、うんっ、ありがとう……っ。たくさん心配かけちゃって、ごめんなさい……!」


「本当よ! わっ、私が一体どれだけ心配したと、思って……っ」


「うん……、っマニー、これからまたよろしくね!」


 こんなにも自分のことを思ってくれる親友に恵まれて、私はなんて幸せ者なのだろう。

 私からもきつくマニーを抱きしめ返すと、お互いの肩をびっしょりと濡らしながら再会を喜び合った。




「ぐすっ……戻ってきたからには、あの晩旦那様と何があったのかもしっかり聞かせてもらうからね」


「えっ……。シ、ショコラタルトじゃだめかしら……? 人気店のを買ってきたのよ、ほら」


「これは貰っておくわ。それから私の恋にも協力してちょうだい」


「えっ!?」

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