第46話 抱擁を解……けない!

 たっぷり香りの補給された枕を抱きしめてぐっすりと眠った、翌朝。


 王都へと戻るグレニスを見送るため、日も昇らない早朝から玄関へと向かう。




「グレン! おはようございます!」


 開け放した玄関扉の向こうで馬に荷をくくりつけていたグレニスが、私の呼びかけに振り返った。


「おはよう、リヴ」


 ぱたぱたと駆け寄り、当然のように開かれた腕の中へと飛び込む。


 すぅぅぅぅぅぅっ


「……もう行くんれふか?」


「ああ。少々立て込んでいてな」


 そんなに忙しい中、私のために無理をして来てくれのか。

 鼻先を押し当ててしがみつけば、グレニスも別れを惜しむかのようにぎゅっと抱きしめ返してくれる。


「気をつけてくらふぁいね……」


 グレニスほどの強さがあれば大抵の危険は跳ね除けてしまえるだろうけれど、移動の道中だけでなく団長解任の件も気にかかる。


「ああ。リヴも、たとえどんなに好きな匂いがしようと他の男についていかないように」


「……ふぁーい」


 訓練見学の日に他の兜を嗅ごうとした前科があるせいで、今一つ信用が薄いようだ。

 だがしかし、あれはグレニスへの想いを自覚する前だったからであって決して浮気心では……!


「おはよう、グレニスさん」


 背後から聞こえたお母様の声に慌てて抱擁を解……けない! 腕が外せない!


「おはようございます」


「リヴもおはよう」


「お……おはようございます、お母様……。お父様も……」


 グレニスの腕に囲われたまま、ギギギ……と首だけ回して背後を振り返る。

 早朝からバッチリ美しいお母様と、うっすら白目を剥いて意識は夢の中にいるお父様が立っていた。


 早朝鍛練の付き添いで極端なほどの早起きに慣れてしまった私とは違い、二人にとってはまだ起きるにも早い時間だろう。

 グレニスも昨日、朝早いから見送りは気を遣わないでほしいと言っていたのに。


「……あら? お父様、ちょっと痩せた?」


「ぐー……」


「お父様のことは気にしなくて大丈夫よ。……グレニスさん、もう発つのね」


「はい、お世話になりました。道中の食料まで用意していただきありがとうございます」


「気にしないで。じきに家族になるんですもの」


 私を挟んだまま、頭上で言葉が交わされる。

 お兄様夫婦で見慣れているのか、お母様は私とグレニスが抱き合っていることなど気にも留めていない様子だ。

 仕方がないので吸引に専念しておく。


 すんすんすんすん


「遅れてリヴェリーもそちらにりますけれど、あくまで今は婚約期間中ですからね」


「はい」


「あなたを信じているわ。くれぐれも、用意したドレスが……なんてことのないように」


「……剣に誓って」


「そう、それなら安心ね」


 グレニスの言質を取ると、妙な迫力を放っていたお母様はけろりとして言った。


「それでは、これで失礼いたします」


「ええ、また会いましょう」


 バシッと音がして、飛び跳ねたお父様が慌てたようにキョロキョロと辺りを見渡す。


「んぇっ? あっ、グレニスくん! もう発つのかい?」


「はい。客間をお貸しいただき、道中の食料までありがとうございます」


「なぁに、もう家族のようなものじゃないか!  何も遠慮はいらないよ。またいつでも寄っておくれ」


「ありがとうございます、それでは」


 お父様たちに別れを告げると、グレニスはようやく腕を緩めて私の顔を覗き込んだ。


「リヴ、屋敷で会える日を楽しみにしている」


「はい、私も早く行きたいです。……お気をつけて」


 一抹の寂しさを押し込めて微笑めば、しっかりと顎を捉えられ、口付けが落ちた。


「っ!?」


 お父様とお母様が見てるのに!!


 べしべし胸を叩こうと、ぐいぐい服を引っ張ろうと、グレニスはびくともしない。


 触れるだけの長い長い口付けにいい加減力尽きて抵抗を諦めた頃、ようやく唇が解放された。


「っはぁ、はぁ……」


「では、いってくる」


 そう言って、グレニスは一人王都へと発った。










 グレニスの泊まった客間を占拠したり、枕を抱きしめて過ごしたり。

 会いたいと思えば思うほど、時の流れは速度を落としていくようだ。

 期待していた妊娠も叶わず、月の障りを迎えてしまった。


 日中の大半はお母様とウェディングドレスのデザインについて話し合い、時折構ってほしそうなお父様の意見も聞いてみる。

 グレニスは今頃どうしているだろう?


 庭弄りを手伝ったり、メイドに交じって覚えたてのスキルを披露してみたり、香りの薄れた枕にしょんぼりと顔を埋めたり。


 そうしてゆっくり、ゆっくりと、二週間の時が過ぎた。



「……リヴ、なにやらグレニスくんが大変なようだよ」


「え?」


 朝食の席で新聞を読んでいたお父様が、とある記事を示して新聞を差し出した。


 受け取った新聞に視線を落とせば、そこにはでかでかとこう書かれていた。



 《ユベル=スターシュ伯爵 逮捕!

 デルマン=モーグ男爵と共謀し、大規模な麻薬密売事業!》



「そんな……」


 スターシュといえば、度々グレニスの様子を見に屋敷を訪れていたグレニスの叔父だ。


 私も一度挨拶を交わしたことがある。

 優雅で物腰がやわらかく、行儀見習いの私にも丁寧に接してくれて、とても犯罪に手を染めるような人物には見えなかったけれど……。


 記事には、国家転覆を目論む陰謀かだの、地位と美貌を持ちながらさらなる富を求めて破滅の道へだの、好き勝手なことが書かれている。

 そして、最後はこう締めくくられていた。


「スターシュ伯爵の逮捕を受け……、甥のグレニス=ジェルム侯爵も、騎士団長を解任か……!?」


 グレニスが言っていたのは、このことだったのか!!


 がばっと勢いよく顔を上げる。


「お父様っ、私今すぐグレンの所に行きたい! 約束の一ヶ月にはまだ早いけど、でも……っ」


「……うん、そうだね。大変なときには側にいてあげた方がいい」


「お母様……!」


 嫁げばもう家族で過ごす時間が取れなくなってしまうのだからと、一ヶ月間ここに留まることを条件づけたのはお母様だ。

 お父様の許可を得て、訴えるようにお母様を見れば、すでにメイドを呼んで私の荷造りを指示しているところだった。


「どうせ止めても聞かないでしょう? それにリヴったら、このところずっとぼんやりとして元気がなかったもの。さ、早く支度してグレニスさんの所へ行ってあげなさい」


「僕もすぐに先触れを出しておくよ」


「ありがとう! お父様、お母様、大好きよ!!」


 食事もそこそこに席を立つと、大急ぎで旅支度に取りかかった。

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