第42話 大事な話

 階段を上り、廊下を進んで奥から二つ目の扉。


「ここが私の部屋です。……あっ! 応接室の方に行きましょうか!?」


 応接室には他の部屋より上等なソファを置いているため、大きくて座り心地がいいのだ。

 私自身は応接室に客人を招くことなどなかったので、すっかりいつもの感覚で自室に案内してしまった。


「いや、リヴの部屋がいい」


「そうですか? それなら……」


 ガチャリとドアを開けると、腰を抱いて離さないグレニスと並んで部屋に入る。


 私の帰省に合わせてきちんと部屋を整えていてくれたのだろう。室内は埃っぽさもなく、すっきりと綺麗に片付いていた。


「ここがリヴの部屋か」


 色褪せてくすんだ———もとい、淡いオールドローズの壁紙に、うっすら黄ばんだ———でなく、アイボリーの調度品。

 田舎なので広さだけはそれなりにあるものの、洗練されたグレニスの部屋とは大違いだ。あまり見ないでいただきたい。


「そこのソファにどうぞ。ちょっとお茶を持ってきますね」


「その必要はない」


 グレニスが空いた手でパタンとドアを閉める。


 ……あれ?

 以前使用人棟にお見舞いに来たときは、ドアを開けたままにしてくれたのに……。


 グレニスは私の腰を抱いたままずんずんとソファに近づくと、私を膝に抱き上げてどさりと腰を下ろした。


「えっ! あの……っ」


「さて、大事な話をしようか」


 グレニスの双眸が私を捉える。

 僅かな感情の揺れさえも見逃すまいと注がれる視線は鋭く、『大事な話』以外のすべてはどうでもいいことなのだと、言外に語っていた。


 やっぱり怒ってる……。


 抵抗を諦め大人しくグレニスの腕の中に収まった私は、がっくりと肩を落として抱えていた枕を差し出した。


「申し訳ありません……。私が盗みやりました」


「…………それは好きにしろ」


「えっ!?」


 即座に枕を引っ込めてぎゅっと胸に抱く。

 てっきりグレニスは、盗人の私を捕らえにきたものだとばかり。


「じゃあ、大事な話っていうのは……?」


「俺に寄越した手紙のことだ」


「あ……」


 宿屋から出した手紙を読んでいたのか。


 グレニスにしてみれば、私に決まった結婚相手がいたなど全く予想外の出来事だったろう。

 自分の心に正直にと想いを伝え、求められるのが嬉しくてすべてを受け入れてしまったけれど、『不貞の相手として醜聞に巻き込まれるなどご免だ』と責められて当然のことをした。


 謝罪に口を開きかけたとき、部屋にノックの音が響いた。



 コンコンコンコン


「お嬢様、お茶をお持ちしました」



「ち、ちょっと待ってて! 今行くから!」


 またこんな体勢を人に見られては大変と慌ててグレニスの膝を降りる。

 グレニスも応対を妨げるつもりはないらしく、すんなりと腕を解いてくれた。


 大切な枕をに預けてドアに駆け寄ると、ドアの隙間からティーセットの乗ったトレイを受け取る。


「ありがとう。あとは私がやるから下がっていいわ」


「かしこまりました。……お嬢様、本っ当ーにお一人で大丈夫ですか? こっそり旦那様か奥様を呼んで来ましょうか?」


 先ほどのグレニスはきっと、他の人間の目から見ても恐ろしく不機嫌に映ったのだろう。

 ひそひそ声で私の身を案じてくれるメイドを安心させるため、にっこりと笑顔を向ける。


「大丈夫よ。ああ見えてすごくだから」



 ———ああ、そうだった。


 グレニスはとても優しくて……そして人一倍責任感が強いのだ。


 もしかしたら私のことも、責めに来たのではなく責任を感じて追いかけてくれたのかもしれない。




 ソファ前のテーブルにティーセットを並べ終えると、元通りグレニスの膝の上に乗る。

 預けたはずの枕はクッションと共にソファの端に置かれており、残念ながら抱え直せる雰囲気ではない。


「どうぞ」


 両手に持ったカップの一方を差し出せば、グレニスも受け取って一息に紅茶をあおった。


「っは……。……結婚をせず修道院に入ると書いてあったな」


「……はい」


 空のカップを受け取り、まとめてテーブルに戻す。


「親にはもう告げたのか?」


「いいえ、まだです」


 だって私も、つい先ほど帰ってきたばかりなのだ。


「そうか」


 グレニスはなぜか、ひどく安堵したかのように息をついた。


 それからじっと私を見つめると、口を開きかけてはつぐみ、つぐんではまた開き、言いづらそうに逡巡する素振りを見せる。


 いつも堂々として決断力のあるグレニスが、こんな風に何かを躊躇うなんて珍しい。


「あの……?」


「…………そんなに、結婚が嫌か?」


「……」


 グレニスの言葉に、すぐには返事をすることができなかった。


 だってその言い方ではまるで、私に他の男性ひととの結婚を受け入れてほしいと言っているようではないか。


 万が一子どもが出来ていたとき、グレニスの子だと言い出させないためだろうか……。

 理由なんてわからないけれど、いくら大好きなグレニスに頼まれようとこれだけは譲れない。


「嫌です」


 きっぱりと答えれば、グレニスの眉間のシワがぐっと深まる。


「何もかも捨て、修道院に入ろうと思うほどにか?」


「はい」


「……っはぁ、なぜそこまで……」


 グレニスは片手で顔を覆い、ガックリと項垂れた。

 私が結婚を拒むたび落胆の色を濃くするグレニスに、ミシミシと恋心が軋む。


「……手紙にも、俺を好きだと書いていたじゃないか」


「っだから! グレンが好きだから……」


 他の男性と子をなすことなど考えられなくて。


 そんなことを言えばさらに不快な顔をされるかもしれない。そう思うと、恐くてそれ以上言葉を続けられない。


「ならなぜ結婚を拒む!? 一度は了承したことだろう!」


「! 了承した覚えなんてないんです! 本当に私、何も……っ」


 傷の広がりを抑えるように服の胸元をきつく握りしめ、ぶんぶんと首を振る。


 どうしてもグレニスにだけは誤解されたくなくて。私が好きなのも———結婚したいと思うのも、グレニスただ一人なのだと信じてほしくて。


 俯きそうになる顔を上げて必死にグレニスを見つめれば———視線の先で苦しげに歪んでいく表情に、ぶちぶちと心のねじ切れる音がした。

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