第41話 お父様っ!

 そもそもお父様が勝手に私の婚姻を了承しなければ、こんなことにはならなかったのだ!


 一言でも相談してくれていれば!


 断ることが許されないにしても、自分で下した決断であればちゃんと心の整理ができたかもしれないのに!




 実家の屋敷に到着して馬車を降りる。

 開かれた玄関扉をくぐれば、懐かしい我が家の匂いに包まれた。


「おかえりなさい、リヴ。さあ元気な顔を見せて?」


「お母様っ!」


 玄関ホールで出迎えてくれたお母様の胸に飛び込む。

 私の顔を覗き込み、気の強そうなアメジストの瞳が優しく細められた。


「しばらく見ないうちに随分大人っぽくなったわね」


「お母様も相変わらず美人だわ」


「ふふ、……この枕は何かしら?」


 お母様の視線が、私の片手に抱かれた羽根枕に留まった。


「いい香りがするの!」


「そう、それは良かったわね。あちらのお屋敷ではきちんとお勤めできた?」


 香りが気に入っているのだと言えば、お母様はすぐに納得して話を戻す。

 近況報告も送っていたとはいえやはり私の口から直接聞きたいのだろう。詳しい話は夕食のときにすることにして、向こうでの暮らしをかい摘まんで伝えた。



 ひとしきり再会を喜んでお母様と離れる。

 すぅぅぅと大きく息を吸い込むと、横で両腕を広げて自分の番を待っているお父様に食ってかかった。


「リヴ———」


「お父様っ! 私の意見も聞かずに結婚を決めるだなんてあんまりよ!!」


「———えっ? えっ?」


 私とよく似たペリドットの瞳が突然の難詰におろおろと揺れるのも構わず、小柄なお父様の突き出た腹にぶつかるほど距離を詰めて言い募る。


「小さい頃は『家のことなんて考えなくていいからリヴは一番好きな人と結婚しなさい』って言ってくれていたのに! なんで今になって急に政略結婚だなんて! お父様はっ! お父様は、私の気持ちなんかこれっぽっちもわかってないんだわっ!! 何の相談もなしにそんなっ、よりにもよって……っ」


 やりきれない思いがお父様への怒りとなって、わなわなと肩を震わせる。

 感情が昂り、じわりと涙まで滲んでくる。


 よりにもよって初恋を自覚した直後に結婚を決めることないじゃないか!


「へっ、政略結婚?? でっ、でもあの縁談は、リヴもだって聞いたから……」


「なっ! 私が!? 一体誰がそんな嘘———」


「お待ちください! お待ちください!」


「?」


 にわかに騒がしくなった背後を振り返る。

 今しがた通ってきた玄関扉の向こうで、使用人と誰かが言い争っているようだ。


「——————!」


「しかし———」


「いいからここを通せ! 俺はリヴェリーに用があるんだ!」


 非常に聞き覚えのある声がしたかと思えば、決して軽くはない扉がバンッと勢いよく開かれた。



「リヴ!!」


 いるはずのない人物が駆けよってくるのを、瞬きも忘れて呆然と見つめる。


「………………グレン?」


 それは名を呼んだというよりも、脳の処理が追いつかず見たままが口から洩れただけだった。





 隣に立ち、逃がさないとでもいうようにぐっと私の腰を抱くグレニスの横顔をじーっと凝視する。


 え……幻覚?

 別れを辛く思うあまり、早くも幻覚を生み出してしまったのだろうか?


 この幻覚は私以外にも見えているのかと両親を見れば、微笑みを絶やさず闖入者を観察するお母様の横で、お父様がぽかんと口を開けて間の抜けた顔を晒していた。


「メイラー子爵、子爵夫人、先触れもなしに押しかけてしまい申し訳ありません。去夏の夜会以来でしょうか、お二方ともご健勝そうで何よりです」


「えっ、あ、ああ……ジェルム侯爵もお元気そうで……。あー、その、ええと……先日のお話ですが———」


「その件について、少々リヴェリーと二人きりで話をさせていただきたいのですがよろしいですか?」


 堂々としたグレニスの口調は、質問の形式を取っているものの有無を言わせぬ迫力がある。


 濃いくまのできた目元。一応の愛想こそ貼りつけてあるものの瞳には一切の笑みがなく、このどう見ても怒っている様子のグレニスと二人きりにはなりたくないのだけれど……。


 先ほどまでの怒りも忘れ、救いを求めるようにお父様を見る。


「はい、喜んでっ。さ、どうぞどうぞ。大したおもてなしもできませんが……」


 威厳なんてものとは縁遠いお父様はイチコロだった。

 さらには一歩身体を引いて、グレニスが進みやすいよう道まで譲っている。


 見知ったこの国の騎士団長とはいえ、闖入者と娘を二人きりにさせまいとする気概はないのだろうか!?


「いえ、私のことはお気遣いなく。———さあリヴ、行こうか?」


 グレニスがこちらに視線を向ける。

 その眼差しには有無を言わせぬ迫力があり———


「はい、喜んでー……」






 懐かしさを感じる我が家の中、グレニスが隣を歩いているなんて不思議な感覚だ。


 お母様はこんなときでも冷静で、歩き出したグレニスの背に一言「信じていますからね」と釘を刺していた。

 まあグレニスがどんなに怒っていようと、身の危険を案じる必要はないのだけれど。


 気付かれないようそっと鼻を澄ませれば、香りの薄れてしまった枕よりも格段に濃い香りがする。

 やっぱり本物だ。


 しかしなんでグレニスがここにいるのだろう?

 私が出立するときは王城で勤務中だったはず。

 夜遅く帰宅してから馬車に乗ったのでは追いつけないだろうから、単身馬でやって来たことになる。



 そこまでしてわざわざ私を追いかけてくる理由なんて…………一つしかない。

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