第31話 普通のことなんですよね?

 抱えて運ぼうという提案は断り、親切にしてくれた店主にお礼を言って店を出る。


「倒れかけたばかりだ。念のため早く屋敷に戻って休んだ方がいいな」


 馬車着き場へと足を向けるグレニスのマントを、きゅっと握りしめる。


「身体は大丈夫です。あの……、もう少し一緒に……」


 せっかくのお出かけなのに。

 もう二度とない機会かもしれないのに。

 少しでも長くグレニスといたい。屋敷に帰ってしまえば、今日の出来事がすべてが夢に思えてしまいそうだから。


 グレニスは私の腰を抱いて引き寄せると、人目もはばからずこめかみにちゅっと口付けた。


「!」


「……では、夕食だけ済ませて帰るとしよう。これから先何度だって一緒に出かけられるんだ、あまり無理はするなよ?」


「本当に……? また一緒に出かけてくれますか?」


「ああ、いくらでも」


 確かな約束が欲しくて聞き返せば、至極当然といった調子でグレニスが首肯する。

 きっと本当に、いくらでも付き合ってくれる心づもりでいるのだろう。


 夢と消えそうな物寂しさは、次の機会への待ち遠しさに塗り替えられていった。







 帰りの馬車の中。

 流れるような動作でグレニスの膝に乗せられ、馬車が動き出す。


 ガラガラガラガラ……


「……あの」


「どうした?」


 そわそわとする気持ちを落ち着けるように半分グレニスのマントにくるまりながら、ちらりと顔を窺う。


「女の人と出かける時は、いつもこんな感じなんですか……?」


「『こんな感じ』とは?」


「こ、こうやって膝に乗せたり……、移動中も腰を抱いてたり……」


 ずっと気になっていたことだ。

 肯定されるのが怖くて、だけどどうしても気になってしまって。


 だって屋敷を出てからというもの、離れていた瞬間の方が少ないくらいに、ずーっと触れ合っている。

 普段の質実しつじつなグレニスからは想像もつかなかったけれど、プライベートでは女性に対して常にこうなのだろうか。


 グレニスは記憶を辿るように少し考えてから、おもむろに口を開いた。


「今まで、こういったことをしたことはないな」


「え? 膝に乗せたりですよ?」


「ああ、ないな。しようと思ったことさえない」


 グレニスは私に気を遣って嘘をつくようなタイプでもないし……、じゃあ本当に?


「私だけ、ですか?」


「ああ、リヴだけだ」


「———っ」


 口元がむにゅっと緩みそうになって、慌てて顔までマントにくるまる。

 マントの中、大好きなグレニスの香りに包まれて、今度こそふにゃりと破顔した。


 嬉しい。嬉しい。

 グレニスも、多少は私のことを憎からず思ってくれているのだろうか?

 こうして、膝に乗せて抱きしめるくらいには。


「あっ、で、でもでもっ! 膝に乗せるくらいはのことなんですよね?」


 嬉しさが溢れ出さないよう、くるまったマントから目だけを覗かせて確認する。


 勘違いしてはならない。私だけ特別スキンシップが多いというわけではなくて、きっと今までが少なすぎたということなのだろう。


「普通?」


「さっき言ってたじゃないですか。普通のことだから、見られても全然って」


「? 俺は、誰に見られようと構わない問題ないと言っただけだ。膝に乗せることが世間一般の『普通』かどうかはわからないな……。少なくとも俺は見かけたことがない」


「!!!」


 じゃあ、じゃあ、さっきのあれは……。


 私は……、

 店主の前で……、

 なんて姿を———っ!!?


「わっ、なんだ急に!? 暴れるな、こら! 落ちるぞ!?」








 ガタンと馬車が停まった。


「ほら、着いたぞ。いつまでマントに閉じこもってるつもりだ」


 グレニスの言葉に、くるまっていたマントをはらりと解く。


 ちゅっ


「!」


「ようやく顔を見せたな」


 不意打ちで唇を奪ったグレニスは、いたずらが成功したかのようにニヤリと口端を吊り上げた。



 グレニスにエスコートされて馬車を降りる。

 茹だるほどに顔が赤いのは、自分の晒した失態への後悔と、降りる直前に受けた口付けのせい。


 薄暗がりの中、フードを脱いだままの顔を見上げる。


「……今日はありがとうございました。すごく、すごーく楽しかったです」


 食事は美味しかったし、買ってもらったハンカチは可愛いし、グレニスが街の人たちからどんなに慕われているかもわかった。

 スキンシップの多さにはドキドキして慣れなかったけれど、香りだってたくさん嗅がせてもらえたし。


「俺も有意義な一日だった。また近いうちに都合をつける。その時は一緒に出かけよう」


「はい……楽しみにしてます」


 次への約束が嬉しくて、抑えようとしても頬が緩んでしまう。

 馬車の中であれほどくっついていたというのに、グレニスは名残惜しむかのようにもう一度私を抱きしめた。


 厚い胸に頬をすり寄せ、香りを吸い込む。


「…………おやすみなさい」


 眠りにつく瞬間まで、この香りの余韻を残しておけるだろうか。


「ああ、おやすみ。また明朝に」


 ゆっくりと抱擁を解き、前回と同様、グレニスに見守られながら通用口の扉を開け———


「あら! リヴ、今帰——」


 バタンッ


 …………


 …………まずい。



 咄嗟に閉めてしまった扉を前に、身動きが取れず硬直する。


「どうした? 入らないのか?」


「いっ、いえ……」


 私が入るのを見届けないとグレニスも帰れないのだから、早く入ってしまわなくては。

 すっと息を吸い込んで覚悟を決め。


「おやすみなさいっ!」


 ガチャッ、バタンッ


 素早く開けた扉の隙間に身体を滑り込ませ、グレニスを振り返りもせず後ろ手に扉を閉じた。


 ……さて。


「……」


 実は見間違いだったのではないかとの期待を込めて、そろりそろりと瞼を持ち上げる。


「ねぇ、リヴ? 今後ろにいたのって……」


 やはり見間違えなどではなかった実物のマニーが、土で汚れたシーツを抱えてそこに立っていた。

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