第28話 あ、この色……

 グレニスに連れられ、立派な店構えの服飾小物店に入る。


 ハンカチの売り場も広く、大きな棚の五台に渡って色も柄も異なるハンカチが整然と並んでいた。


「これは迷いますね……」


 呆然とハンカチの詰まった棚を見上げる。


「俺のハンカチはリヴが選んでくれ」


「えっ!? ……じ、じゃあ、私のハンカチはグレンが選んでくれますか……?」


 別に深い意味はない。

 この膨大な種類の中から自分とグレニスの分の二枚も選ぶだなんて、日が暮れてしまいそうだと思っただけだ。うん。


「ああ。気に入るかどうかはわからんがな」


「はい、大丈夫です」


 話も決まり、別れてそれぞれの棚の前へと移動する。

 紳士ものの方が、幾分棚面積は狭いようだ。




 迷っている最中グレニスに呼ばれついていくと、棚横のショーケースに飾られたきらびやかなハンカチを薦められた。


 なんでも大丈夫だとは言ったけれど、繊細で美しいとも思うけれど、これはない。

 だって刺繍に宝石が散りばめられているだなんて、手を拭く時に痛そうじゃないか。


 即座に首を振って却下すると、グレニスはすごすごと婦人ハンカチの棚に戻っていった。





「やっぱりこれかな」


 見比べていたハンカチを棚に戻し、選んだ一枚を手元に残す。


 棚を見た瞬間一番に目についた、濃いブルーが綺麗なシルクのハンカチ。

 同色糸でさりげなく魔除けの紋様が刺繍されているのも騎士のグレニスにはぴったりだし、何よりこのラピスラズリのような美しい色味が気に入った。


「決まったか?」


 私が決めるのを待っていてくれたのだろう、タイミングよくグレニスの声がかかる。


「はい。これなんですけど……どうですか?」


 受け取ったハンカチを見つめて、ゆっくりと上がった視線が私を捉える。


 あ、この色……


「俺の瞳の色か」


 だからこんなに惹かれたんだ———!


 衝撃的な事実に気づいてしまい、バッと顔を伏せる。


 完全に無意識だった。

 ただ、この色がとても綺麗だなって目について、それで……。


「魔除けの紋様が入っているのもいいな。ありがとう、気に入った。俺も選んでみたがどうだろうか?」


 熱を増してゆく顔を上げられないまま、グレニスの差し出したハンカチを受け取る。


 広げて見れば、四辺にレースのついた淡いクリーム色のハンカチで、内側を縁取るようにオレンジと黄緑の小花が刺繍されていた。


「わぁ、可愛い」


 暖かな日差しに花のほころびはじめる、春先の庭のような。

 グレニスがこんな可愛らしいハンカチを選んでくれるだなんて、ちょっと意外だ。


「リヴのイメージで選んだんだ」


「私の……」


 じっとハンカチを見つめる。

 こんなに暖かく、こんなに可愛らしく、グレニスの目には映っているのだろうか。


「……ありがとうございます。気に入りました、すっごく」


「そうか」


 ハンカチを胸に抱いてお礼を告げれば、グレニスは満足そうに頷いた。



 一緒にレジへ行き、お互いの分の会計を済ませる。

 サービスでイニシャルを刺繍してくれるというのでお願いすることにして、提示された色見本から刺繍糸を選ぶ。


「うーんと……」


 どの色も綺麗で目移りしてしまう。


「このハンカチにはこの群青を、彼女の選んだハンカチにはこの黄緑を使ってくれ」


「かしこまりました」


「えっ」


 グレニスは私が貰う予定のハンカチに群青、グレニスに贈るハンカチには黄緑を、勝手に指定した。


 少し待てば出来るというので一旦レジを離れ、店内を眺めながらひそひそと抗議する。


「ちょっと、どういうつもりですか……!? あの糸の色!」


「お互いの瞳の色だ。贈り主がわかっていいだろう?」


 そういう問題だろうか?

 瞳の色をあしらった物を贈り合うだなんて、変に意識してしまうのは自分だけなのだろうか!?


 一人で意識していることがバレないよう、それ以上は口をつぐんだ。



 刺繍も終わり綺麗にラッピングされたハンカチを受け取ると、その場でお互いの包みを交換する。


「ありがとうございます。大切にしますね」


「ああ。俺もありがたく使わせてもらう」


 受け取った包みをグレニスは懐に、私は大切にポシェットにしまって、弾む足取りで店を出た。





 ファッション関連のおしゃれな店が建ち並ぶ通りを歩く。


「ん……? なんだかいい香りがします」


 花や果物、スパイスにハーブ。

 ほのかに漂う香りに鼻を向け、すんすんと香りの元を探す。


「香り? ……ああ、そういえばこの近くに人気のポマンダー匂い袋屋があったな」


「それなら聞いたことがあります! まだ出来て一年ちょっとの新しいお店ですよね」


 方々ほうぼうの国から集めた膨大な種類の香りを取り揃え、若い女性を中心に人気で、女性への贈り物として買い求める男性客も多いのだとか。


 香りものは身につけないのでわざわざ行ったことはなかったけれど、せっかく近くにあるのなら一度くらいは覗いてみたい。


「寄ってみるか?」


「はいっ!」


 グレニスの言葉に元気よく頷いて、案内も待たず香りのする方向へと足を向けた。






 一歩店に踏み入れば、香り。香り。香り。


 一つ一つはいい香りのはずなのに、膨大な種類のそれが複雑に混ざりあうとむせ返るほどの芳烈ほうれつとなって全身を飲み込む。


 うーん、残念ながらあまり長居はできそうにない。すでに鼻が痛い。

 グレニスも他の客たちも平然としているから、以前グレニスに言われたように私の嗅覚が人より敏感なのかもしれない。


 壁にしつらえられた棚板には様々な意匠の小さな金属製容器が並び、広いフロアスペースには胸の高さほどのチェストが等間隔に据えられている。

 チェストにはラベルの貼られた小振りな引き出しがたくさん付いていて、その一つ一つに香りの元となるドライフラワーやドライハーブなどが入っているようだ。


 選んだ香りの元を、好きな容器———すっぽりと手のひらに収まるサイズの、放香口の空いた金属製容器———に入れれば、ポマンダーの完成。

 紐やチェーンで腰から下げて使用する。

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