第26話 他人のふりしときましょうか?

「っ———」


 男の子の嗚咽が止まった。


「すぐに泣きやめて偉いじゃないか」


 違う違う。

 突然ものすごい高さへと担ぎ上げられ、驚きに息が止まっているだけだ。

 ただでさえ背の高いグレニスに肩車なんてされようものなら、一体どれほどの高度に到達することか。


「どうだ、父親は見えるか?」


 グレニスの言葉を聞いて、フードの頭にしがみついていた男の子がそろりと顔を上げた。

 恐る恐る、きょろきょろと周囲を見渡す。


「リヴ、はぐれないように掴まっていてくれ」


 促されてマントの裾を掴む。

 グレニスは全体が見渡せるよう、ゆっくりと通りを移動した。


 人混みの中でもグレニスは頭一つ分飛び出していて、男の子も遠くまで見渡せている様子だ。

 背の低い私にはさっぱり見えないけれど。


「…………あっ! おとーさんいた! おとーーさーーーん!!!」


 男の子が声をあげてぶんぶんと手を振る。

 グレニスも相手を視認したらしく、迷いなくそちらへ向かって歩き出した。




「すみません、ありがとうございます、すみません。息子がご迷惑をおかけしました。何かお礼を……」


 そう言って恐縮しきったように眉尻を下げるのは、男の子によく似た雰囲気の小柄な男性。


「いや、礼には及ばない。無事に見つかって何よりだ」


 グレニスがしゃがみ込んで男の子を下ろした拍子、掴まれていたフードがめくれ———そして、パサリと背に落ちた。


「あっ」


 グレニスの顔が……。


「おとーさーん!」


「あ、ああ」


 脚に抱きつく男の子を受け止めながらも、男性の視線は立ち上がるグレニスに注がれたままだ。


「……あの、あなたはもしや———」


「団長さん!?」


 威勢のいい声が飛び込んでくる。


「おーい! 団長さんじゃねぇの! 最近見かけないから心配してたんだぜ! これ持ってってくれよ!」


 揃って声の方を見れば、通りの向こうで棒飴屋台の店主が売り物の棒飴を振っていた。

 よく通る店主の声に、道いく人々もこちらを振り返る。


 戸惑う父親と男の子に別れを告げて、屋台へと向かう。

 去り際、父親に肩車をせがんだ男の子が「もっと高くして!」と無茶を言っているのが聞こえた。


「ジェルム団長?」


 また別の声がする。

 横を通りがかった年配の婦人が、立ち止まってグレニスを見上げている。


「まぁまぁ! ジェルム団長! 先日は重い荷物を運んでくださってありがとうございました。ずっとお礼がしたかったんですよ。ええと……こんなものしかないけど、持ってってくださいな」


 ちょうど買い物をしたところだったのだろう、紙袋に入ったフルーツを強引に手渡される。


「悪いな、ありがとう」


「いいのいいの!」


 紙袋を抱えるグレニスに代わり、とりあえず棒飴は二本とも私が持っておくことにした。


「騎士団長!?」

「団長さんだって?」

「おーい、団長さんいるぞー!」

「団長、来てたならうちにも顔出してくださいよー」


 人混みの中、ざわざわと情報が波及していく。

 人々に取り囲まれ、グレニスが申し訳なさそうにこちらを向いた。


「すまない、顔を隠していた意味がなくなってしまった」


「……あの、私、他人のふりしときましょうか?」


 掴んでいたマントを離し、小声で提案する。

 グレニスの正体がばれてしまった以上、噂になってしまわないように配慮する必要があるだろう。


「なぜだ? せっかく一緒にいられるというのに」


 一歩後ずさろうとした身体を捕まえ、がっちりと腰を抱き寄せられる。

 これなら、下手なことは言わず大人しく隣に立っていた方がマシだったかもしれない。

 こんな状態を見られては言い訳の余地もない。


「団長、今日はまたべっぴんさん連れてるねぇ! あーあ、団長にはうちの孫娘を紹介したかったんだがなぁー」


「紹介は不要だ。……しかし孫は五つだと言っていなかったか?」


「はっはっは、ぴっちぴちだろう? そら、これ持ってけ」


 グレニスの抱える紙袋にお菓子が追加される。


 グレニスが騎士団長として、凱旋パレードなどの催しで広く顔を知られているのはわかるけれど、それにしたってみんな随分と親しげな様子だ。


 自分の店の商品やら小さな鉢植えやらお守りやら作りすぎたジャムやら……グレニスの片手と、ついでに私の両手があっという間に物で埋まってしまった。




 見かねた近くの店の店主が屋敷まで届けてくれると言うのに甘え、荷物を預ける。

 預けようのないむき出しの棒飴とコップに注がれた果実水だけはその場で食べて、お礼を言って店を出た。


「なんだか……すごく人気者ですね?」


「よくここを訪れているうちに、自然とな」


 ああ、そうか。

 いつもは顔も隠していないだろうし、きっとここに来るたび今日のように、行く先々で人助けをしていたに違いない。

 だから街の人たちも『凱旋パレードで見かける手の届かない英雄』ではなく、『自分たちを守ってくれる身近な英雄』としてグレニスに好意を抱いているのだろう。


「せっかくのデートだったのに、騒がれてしまって悪いな」


「!」


 先ほど街の人々からデートかと尋ねられた時も肯定していたけれど、やっぱり今日のこれはデートだったのか……!


「あの、デ、デートってことは……その、もしかして、付き合———」


「ジェルム様っ!」


 鈴を転がすような声音と共に、グレニスの胸に勢いよく何かが飛び込んだ。


「お会いしたかったですわ! 覚えていらっしゃいますか? 以前悪漢から助けていただいたオリーヴィアですわ! たまに夜会でお見かけしてもいつもお忙しそうにしていらっしゃるから、なかなかお話しに行けなくて、わたくし———。あの、もしお暇でしたらこのあとご一緒いたしませんか? 助けていただいたお礼もまだですもの」


 すごい……。

 彼女の目には、グレニスに腰を抱かれて同行する私が一切見えていないらしい。


 ワインレッドのドレスに映える、透き通るような白い肌。指先はほっそりと、艶めくプラチナブロンドは凝った形に結い上げられて、きっと日傘なしに外出するなんて考えもしないだろう。


 後方から追い付いた従者が呼びかけるのも聞こえないようで、彼女はグレニスの胸に埋まって上目遣いに返事を待っている。


「市民を守るのが仕事だ。礼をされるようなことはしていない、何も気にするな」


「そんな……っ! ……では、わたくしが勝手にご一緒したいだけでしたら? それでも受け入れてくださいませんの……?」


 長い睫毛の下で、たっぷりと涙を蓄えた瞳がカボションカットのルビーのようにうるうると輝く。


 ———ダメ。やめて。そんな目でグレニスを見たら……


「グ……旦那様・・・っ! 私、ちょっとそこの本屋に行ってますね! 私のことは気にせずごゆっくり!」


「おい!?」


 彼女に注意が向いている隙にするりとグレニスの腕を抜けると、前方に見えた本屋に駆け足で逃げ込んだ。

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