第25話 ずるいです!
「面白かったですね!」
「ああ」
どやどやと流れる人の波に乗り劇場を出る。
終わってみれば、すっかり楽しんで劇に見入ってしまっていた。
「まさかドラゴンが本当に火を噴くなんて!」
見せ場となるドラゴンと騎士の戦闘シーンで、巨大な張りぼてのドラゴンが口から本物の炎を噴いたのだ。
趣向を凝らした演出に客席からは「おおー!」と感嘆の声が上がり、バルコニー席まで届いた炎の熱気には自分も劇中の世界に入ったかのような臨場感を感じられた。
再びフードで顔を隠したグレニスは、興奮冷めやらない私の腰を引き寄せ、通行人にぶつからないよう導いてくれる。
「でも、ドラゴンって本当にいるんですかね?」
おとぎ話や冒険譚なんかにはよく登場するけれど、実際のところ誰かがワイバーンの大きな個体を見間違えて言い出しただけなんじゃないだろうか。
「いるぞ。見たことがある」
「えっ!」
「かつて国外遠征中に、一度だけな。高山の、さらに遥か上空を悠然と飛んでいた」
「それって、その……ワイバーンじゃなくて……?」
「ああ、翼の形や体格が明らかに違う。それに全身綺麗な銀色をしていた」
ワイバーンといえば赤褐色や黒などの暗い色ばかりで、銀色なんて聞いたこともない。
劇の張りぼてドラゴンはエメラルドグリーンをしていたけれど、銀色かぁ……。
日差しを浴びて銀色に輝く巨躯が、悠々と空を飛んでいる姿を思い浮かべる。
幻の生き物だと思っていたドラゴンが、まさか本当に実在していたとは。
「……襲われたりはしませんでしたか?」
「ドラゴンは基本的に温厚だという。こちらから仕掛けない限り、そうそう人を襲うことはない」
「へぇー」
物語ではいつも暴れ狂う恐ろしい存在として
怖い見た目だけど優しいなんて、ちょっと誰かさんに似ている気がする。
不意にグレニスが足を止めたのに気付いて立ち止まる。
「?」
グレニスの顔が向いている方向を追って見れば、積み荷が崩れて立ち往生している荷馬車がいた。
落ちているのは人二人分ほどはありそうな大きな石の塊。拾うのを手伝っている人もいるけれど、重くてなかなか持ち上がらないようだ。
「すまない、ここで待っていてくれるか? ちょっと行ってくる」
「はい」
グレニスが現場へ駆けてゆく。
待っていろと言われたものの手伝う人員は一人でも多い方がいいだろうと、私もない袖を腕まくりしながら歩み寄ろうとして———
「へ……?」
あっという間の出来事だった。
グレニスが加わった途端、男性三人がかりでも地面から浮かせるのがやっとだった石が、一気にグンと持ち上がったのだ。
慎重に荷台に積み直し、しっかりと縄で固定する。
馬車の主にペコペコと頭を下げられ、グレニスは軽く首を振って。一言二言話して別れると、足早にこちらに戻ってきた。
「待たせてしまってすまない。車輪が石に乗り上げ、彫刻用の大理石が滑り落ちたらしい」
「……すごいですね……」
まじまじとグレニスの腕を見つめる。
この腕の中に、あんな凄まじい力が……。
まさに日々の鍛練の
「あっ」
視線をグレニスの顔へと戻せば、フードから覗く左頬に擦れたような土汚れが付いていた。
ポシェットからハンカチを取り出し、グレニスの頬へと腕を伸ばす。
「ちょっと失礼しますね」
軽く擦るだけでは汚れが落ちず、反対の頬に手を添えて、ちょっとだけ力を入れこしこしと頬を拭う。
「んしょ……、よしっ、綺麗になりまし———」
拭き終わってグレニスの顔を確認すれば、いつの間にやら驚くほど間近に顔が寄せられていた。
「すまない、ハンカチを汚してしまったな」
「い、いえ……」
それ以上何をするでもなく、あっさりと顔が離れていく。
単に拭きやすいようにと近づけてくれただけらしい。それなのに私は一人で何を期待して……って違う違う! 期待なんてしてない! これっぽっちも!
「代わりのハンカチを買いに行こう」
「これくらい、洗えばすぐ落ちますよ」
「それでは俺の気が済まない」
「……じゃあ私にも買わせてくださいね? さっきグレ……ン、のハンカチを汚しちゃったので」
噴水の縁に腰かける時、私の下に敷いてくれたのだ。
「そんなものは気にするな」
「でも……」
「気にする必要はない」
頑ななグレニスをキッと睨み返す。
「ずるいです! 自分だけ!」
「ずるい……?」
責められたグレニスは、拍子抜けしたように瞬いた。
結局お互いにハンカチを贈り合うことにして、あちこち寄り道をしながらのんびりと服飾小物店を目指す。
人通りの多い通りに差し掛かり、ぶつからないよう道の端を歩いていると、すぐそばで子どもの泣きそうな声が聞こえた。
「おとーさん……」
きょろきょろと左右を見渡す私より早く、何かを見つけたグレニスが私の後方へと歩み寄る。
屈み込んだグレニスの背後からひょっこりと顔を覗かせれば、そこにいたのは四、五歳くらいの男の子だった。
心細そうに服の胸元を握りしめ、瞳に張った涙の膜は今にも零れ落ちそうにふるふるしている。
「迷子か?」
「ひっ……! うっ、うえぇぇぇぇぇぇん!」
あ、泣いた。
まあ泣きそうなところに、フードで顔も見えない大男から話しかけられれば無理もない。
「どうした? どこか痛むのか?」
「うえぇぇぇぇぇぇぇん!!」
「お、おいっ? どうしたんだ?!」
グレニスが話しかけるほどに泣き叫ぶ男の子。
おろおろとするグレニス。
「…………っぷ、ふふふっ」
ダメだった。
あっさりと引ったくりを捕まえたり、とてつもなく重そうな石を簡単に持ち上げてしまうヒーローのようなグレニスが、小さな男の子一人におろおろと為すすべなく戸惑っているのだ。
なんというか、もう、完璧でない部分が愛おしすぎて。
場違いな私の笑い声に、二人が唖然としてこちらを向く。
言葉なくこちらを見ている二人の様子がこんな時だけはそっくりで、それがまた笑えてきてしまう。
「ふふっ、ふっ、ごめんなさい……ふふっ」
目尻に浮かんだ涙を拭いながらグレニスの横にしゃがみ込み、笑顔のまま男の子に向き合った。
「ボクは迷子かな? 誰かとはぐれちゃった?」
「っく……、……っ、おとーさん」
ヒックヒックと嗚咽を漏らしながらも、しっかりと答えてくれる。
「お父さんとはぐれちゃったのかぁ。じゃあ、お姉ちゃんたちと一緒に探そっか!」
「うん……」
男の子が頷くのを見て、すっくと立ち上がった。
人混みをざっと見渡してみても、誰かを探している様子の男性はいない。
「ここは人が多いからなぁ……。お父さんの髪と服の色はわかる?」
「そんなまどろっこしいことをせずとも、こうすればいい」
そう言うなり、グレニスは男の子を肩に乗せて立ち上がった。
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