第22話 変な言い方

 休みの日だろうと日の昇る前に起き、しっかりと早朝鍛練の付き添いを勤め上げて無人の部屋に戻る。


 お仕着せを脱いで私服のワンピースに着替えると、髪を整えるため壁にかかった鏡を覗き込んだ。


「まだ赤い……」


 触れた頬はまだほのかに熱を残している。

 原因なんてわかりきったこと。連日もたらされる口付けのせいだ。


 恥ずかしくてぎゅっと口を引き結んでいるというのに、グレニスの舌は一瞬の隙をついてぬるりと侵入してくる。

 そうすると、グレニスの香りが口腔から鼻へ抜けて———


 ぶるぶるとかぶりを振って思考を追い出す。


 気を取り直して髪をかすと、右耳の後ろからゆるく編み込んでいき、反対の耳元でひとくくりにまとめた。


「これでよし!」


 白い短袖たんしゅうのシャツに、爽やかな空色の肩紐ワンピース。

 オリーブ色の小さな革ポシェットに財布やハンカチを詰めて、市井を歩くので日傘は持たない。

 壁掛けの鏡では全身を確認できないけれど、どこもおかしな点はないだろう。


 それにしても、あっという間に支度が終わってしまった。

 これではお出かけが楽しみすぎて待ちきれないみたいではないか。


 ……コホンッ


 自分に言い訳するように軽く咳払いすると、椅子に腰を下ろし、読み終えた本のページをパラパラと繰った。





 使用人棟の管理人の元に行き、複数用意された鍵の一つを借りうける。

 裏門脇の通用口を出れば、そこにはすでに一台の馬車が停まっていた。


「あれ?」


 通りすがりの馬車だろうか?

 御者台を見れば、見知ったトールと目が合った。あ、お疲れ様です。ペコリ。


 先に来て少し離れた場所に立っておこうと考えていたので、待ち合わせ時刻にはまだ結構な時間があるはずなのに。


「リヴェリー、早かったな」


 馬車の戸が開き、先刻ぶりのグレニスがすとんと目の前に降り立つ。


「旦———グレニス様ほどでは。……マント?」


 グレニスはなぜか、薄茶色をした腰丈ほどのフード付きマントを身に付けている。

 今日の気候には少々暑すぎないだろうか?


「俺は顔が知れているから、ちょっと人目けにな」


 なるほど。街の人たちに私との仲を誤解されないよう、グレニスの方で配慮してくれているらしい。


「中はほら」


 そう言ってグレニスがマントを捲れば、淡い水色のシャツにチャコールグレーのベスト、オリーブ色のズボンと、事前の約束通りラフな服装が見えた。


 普段のきっちりと洗練された騎士服姿も素敵だけれど、今日のシンプルな服も逞しさが際立ってよく似合っている。

 鍛え上げられ引き締まった身体つきをしているから、きっと何を着ても着こなせてしまうのだろう。


 しかし、互いの服の色がなんというか……


「なんだか揃いのようだな」


「!」


 一瞬、考えが声に出ていたのかと思った。


 服に取り入れた薄青とオリーブ色。

 マントで隠されていなければ、傍目には示し合わせて揃えたかのように映ったかもしれない。


「そういった素朴な服も愛らしくていい」


「あ、りがとう、ございます……」


 やっと冷めた頬にまたじわりと熱を集めながら、グレニスにエスコートされて馬車に乗り込んだ。





「今日は随分大人しいな」


「……気のせいじゃないですかね」


 馬車の中、真正面から見つめてくる瞳を直視できず、ついと視線を窓の外に逃がす。


「二人きりなんだ、もっと自由にしていればいい」


 その『二人きり』が問題なのだ。

 何も意識せずにいられた訓練見学の日とは、こちらの事情が違う。


「自由にと言われましても……」


「例えばこうやって」


「?」


 お手本を示すように手のひらを差し出され、深く考えずにその手をとる。


 掴んでグッと引かれたかと思えば、いざなうように腰を抱かれて向きを変え、ストンとグレニスの膝の上に着地した。


「え、……え? ……ええっ!?」


 何が起こった!?


 開かれたマントの内側、ミント混じりのグレニスの香りがふわりと私を包み込む。

 相変わらずいい香りだけど……え? え??


 『え』しか言えなくなった私を横抱きに抱え、グレニスは大層満足そうだ。


「せっかく二人きりなのに、離れていてはもったいないだろう?」


 鼻先が触れそうなほどの至近から群青の瞳が覗き込む。

 耳の奥でズンドコズンドコ大騒ぎする鼓動には、もう気付かれてしまったかもしれない。だって大きな手のひらが、あやすように背中を撫でているから。


 赤らむ顔を首筋に埋めようとしたけれど、首もとで留められたマントが邪魔で、仕方なく肩口に鼻を擦りつけた。


「グレニス様は……よく女性と出かけたりするんですか?」


 先ほどから私ばかりがドキドキと翻弄されて、グレニスの方は余裕綽々な様子だ。


「よくと言うほど頻繁ではないが、この歳にもなればそれなりに回数はある」


 グレニスの答えにズンと肩が落ちる。

 自分で聞いておいてショックを受けて、何がしたいんだ私は。


「言っておくがここ数年はないぞ? 騎士団長を拝命してからは仕事に慣れるだけで手一杯だったからな」


 そういえば一緒に食事した時も、騎士仲間以外と食事するのは久しぶりだと言っていた。

 鼻先で額をくすぐられ、くすぐったさに肩をすくめる。


「そう言うリヴェリーはどうなんだ?」


「私ですか?」


「一緒に出かけるような恋人はいないと言っていたが」


 わかっているなら聞かないでいただきたい。

 どうせ私には、グレニスと違って異性と付き合った経験なんてありはしないのだから。


「ええ、ええ。恋人なんていたこともないですし、こうして男性と出かけるのだってですよ!」


 けっ、笑わば笑え!

 今日のこれが———正確に言えば訓練見学の日に食事したのが、男性と二人きりでした初めてのお出かけだ。


「では口付けも?」


「当たり前でしょう!」


「そうか……、リヴェリーの初めて・・・を貰えて光栄に思う」


「なっ……! 変な言い方しないでください!」


 グレニスの膝の上、脚をばたつかせて抗議すれば、群青の瞳が楽しそうに細められる。


「『変な言い方』とは?」


 これは、わかってやってる……! なんてタチの悪い!


「もう知りませんっ!」


 グレニスのマントの端を引っ張ってぐるりと自分に巻き付けると、頭まですっぽりとくるまって立て籠もった。

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