第21話 吸われた分も吸い返すしかない

「リヴぅ、聞いたわよぉ~」


 お昼時の使用人食堂。

 テーブルの向かいからニヤニヤとこちらを見つめるマニーに、ギクリと身体が強張る。

 この楽しそうな表情は、十中八九恋愛絡みに違いない。


 何がバレた?

 今朝の口付けのこと?

 妄想だと思ってた昨日の口付けのこと?

 訓練見学後に二人きりで食事したこと?

 吸引タイムと称して毎朝抱擁してること?

 ……なんならバレて困ることしかない。


 マニーはおもむろに身を乗り出して顔を寄せ、声のトーンを落とす。


「旦那様に……、されたんだって?」


「なっ…………なぁんだ、そのこと……」


「え? 他にも何かあったの?」


「ないない! なんにもないけどっ!!」


 全身の緊張が解けてほぅーっと脱力しかけた私は、慌てて居直りぶんぶんと首を振った。


 危ない危ない、自分で墓穴を掘るところだった。


 マニーは釈然としない様子ながらも話を戻す。


「まあいいけど……。熱を出した日、旦那様にお姫様抱っこで運ばれたっていうのは本当?」


「あーうん、まあね。それってそんなに噂になってるの?」


 病人を運んだというだけだ。隠すことでもないので、そこは素直に認めておく。


 しかしあの時間帯使用人棟にはほとんど人がおらず、部屋に着くまで誰にも見られずに済んだと思っていたのに。

 どこかで目撃されて、いつの間にやら噂が広がっているのだろうか。


「んー、どうかしら? 私はさっきたまたま話の流れで、目撃したって本人から聞いただけだけど」


「そう……」


「で? で? どうだった? 日頃から鍛えてらっしゃる旦那様のことだし、リヴを抱き上げるのも軽々ひょいって感じ?」


「えぇ? うーん……そうね、簡単に持ち上げられたような気がする」


 香りに気を取られてよく覚えていないけれど。


 私の答えを聞いて、マニーはきゃぁきゃぁと一人楽しそうに盛り上がっている。


「いいなぁー。私も一度でいいから軽々お姫様抱っこなんてされてみたいわ」


「旦那様なら、目の前で体調を崩したら運んでくれるんじゃないかしら?」


 使用人だろうと、例え赤の他人だろうと。グレニスなら迷わず手を差しのべる気がする。


「まあそうかもしれないけど! 私がされたいのは未来の恋人によ! 恋人・・に!」


「あー……」


 なるほど、病人として運ばれたいわけではなかったらしい。


「旦那様はさぁー、地位もお金もあって人間もできてるし、逞しくて顔の造りも申し分ないけど……あまりにも完璧すぎて、ちょっとじゃない? いつも難しい顔してらっしゃるし」


 マニーは口を引き結んで眉根を寄せ、「こーんな風に」と全然似ていないグレニスの顔真似をしてみせる。


「……そうかしら?」


 難しい顔はしていても、近寄りがたさを感じたことなんてなかったけれど。


 地位を鼻にかけた態度もとらず、使用人一人一人の顔をちゃんと覚えていてくれるし、鍛練中であっても律儀に挨拶を返してくれる。

 真面目で、努力家で、泣きそうな私の願いを聞き入れて嗅ぐのを許可してくれるほど優しくて、どんな時でも最高にいい香りがして……


「確かに、完璧すぎるっていうのはあるわね……」


「でしょー?」


 マニーの言い分に深く納得した私は、神妙な面持ちでこっくりと頷いた。








あひた明日は、街れ待ち合わせにしまふぇんか?」


 火妖日の鍛練後。グレニスが明日のお出かけについて言及したので、思いきって提案してみる。


「街で? なぜわざわざそんなことを? ここから一緒に馬車で向かえばいい」


「それはそうなんれふけど……」


 うぅ、うまい言い訳が思い付かない。


 グレニスと二人で正門からお出かけだなんて、さあ噂してくれと言っているようなものだ。

 グレニスがどんなつもりで誘ってくれたのかはわからないけれど、そんな大々的に誤解を生むような真似はするべきでないと思う。


「用意に時間がかかろうと気にしなくていい。前回のように裏門へ迎えにいけばいいか?」


 訓練見学に行った日の帰り、「裏門からの方が使用人棟に近いので」と言った私の言葉を覚えていてくれたらしい。

 裏門であれば、先に門を出てちょっと離れた場所で待っていればどうにかなりそうだ。


「はい……じゃあ、裏門れお願いしまふ」


「ああ」


 答えて、グレニスの武骨な指がふにふにと頬をくすぐる。

 これがなんの催促なのかを知ってしまっている私は、せめてもの抵抗にぎゅっと強くしがみついて胸に顔を押しつけた。


「……」


 グレニスの指が諦めたように頬から離れ、ほっとしたのもつかの間。

 頭頂部に、何かが押し当てられる感触。


「?」


 すん……


 髪内部の温まった空気が失われ、微かに地肌がひんやりとして……。


「っあー!! 旦那ふぁま、私のこと嗅いれまふね!?」


「たまには俺から嗅いだっていいだろう」


 グレニスが悪びれもせず答えるのに合わせ、温かな吐息が前髪を揺らす。


「旦那ふぁまは匂いに興味なんてないれしょう!」


「だがには興味がある」


「うぐっ……!」


 なんという殺し文句だ。

 こんな風に誤解を与えるようなことばかり言っていては、惚れられても文句は言えないと思うけれど!?


 人が頭を動かせないのをいいことに、グレニスはすんすんと私を嗅いでくる。

 こうなったら吸われた分も吸い返すしかない。


 すぅぅぅぅぅぅっ!


「……リヴェリーはいい香りがするな」


「んぇっ!? そ、そうれふかね……? 香水はつけてないれふけど」


 強い香りを身にまとうと周りの匂いがわからなくなってしまうから、香水など香りの強いものは使わない。

 今付けているのだって、昨夜付けた髪用の香油くらいのものだ。


「だからだろうか、ほんのりと甘く優しい香りがする。人の匂いなど気にしたことはなかったが、これはなかなかいいものだな」


 グレニスはさぞお気に召したのか、ずっと私の頭頂部に鼻先を埋めて匂いを嗅いでいる。


「うぅぅ……」


 くさいと言われず安心はしたものの、どんどんと顔に熱が集まってくるのを感じる。

 嗅ぐのは好きだけれど、嗅がれるのは慣れていないのだ。

 見られていないとはいえ、一体どんな顔をして嗅がれていればいいのだろう。


「……もう、いいですか……」


 あえなく白旗を掲げた私がおずおずと顔を上げれば、グレニスもすんなりと鼻を引いてくれた。


「また顔が赤いな」


「誰のせいだと思ってるんですか」


 じとりとグレニスを睨む。

 これは明らかにグレニスが悪い。急に嗅ぎ返したりなんてするから。


「それはすまなかった」


 全然反省の色なんて見えない楽しそうな声音。

 するりと顎を捉えられたかと思えば、自然な流れで口付けが落ちた。

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