第18話 私と付き合ってください

 朝。

 いつもの習慣で、日も昇らぬ早朝から目を覚ます。


 もそもそと上体を起こして首や腕を動かしてみても、発熱時特有の関節の違和感はない。

 頭もすっきりしているし、熱はもうすっかりと下がったようだ。


 それでも今日一日ベッドで大人しくしていないといけないなんて……。


「はぁ……」




 出勤するマニーを見送って少々、窓の外はもう随分と明るい。

 そろそろグレニスの鍛練も終わった頃だろうか。


 はちみつレモン水の作り方については昨日のうちにマニーにメモを託しておいたから、誰が付き添おうとグレニスはいつも通りに過ごせているはずだ。———そう、誰が付き添おうと。


 鍛練後の光景を思い浮かべてみる。

 汗だくになったグレニスは、シャツを脱いでメイドに渡し、はちみつレモン水の入ったゴブレットを受け取るだろう。

 上向いた顎、嚥下に合わせ喉仏が規則的に上下して、鍛えあげられた肉体の表面をかぐわしい汗がつうっと滑り落ちていく。

 そして、誘われるようにふらふらと胸に飛び込んだメイドを、今この瞬間にもグレニスの力強い腕がグッと抱きしめ———


 想像すればツンと、鼻の奥が切なく痛んだ。



 コンコンコンコン


「? マニー、忘れ物ー?」


 不意のノックに思考を中断し、ドアへ声をかける。

 マニーがノックをするなんて珍しい。両手が塞がっていてドアが開けられないのだろうか?


 ドアを開けに行こうとベッドを下りかけて、聞こえてきた低音に動きを止めた。


「グレニス=ジェルムだ。見舞いに来たんだが、入ってもいいだろうか?」


 聞こえるはずのない声に目を瞬く。

 私ったら、グレニスのことを考えるあまり幻聴を……?


「リヴェリー?」


 いや、違う! 本物だ!


「ひぇっ、はっ、はい! どうぞ!!」


 下ろしかけた足をサッとブランケットの中へ引っ込めると、ワタワタと髪を撫でつけ居ずまいを正し、ドアの向こうへと声を返した。



 ガチャリとドアが開き、白い騎士服に身を包んだグレニスが姿を現す。

 大柄なグレニスが一人入ってくるだけで、部屋がものすごく狭く見えるから不思議だ。


「おはよう、リヴェリー」


「おはようございます、旦那さ———」


 チロリと視線が刺さる。

 そういえば、休日には主人と呼ばなくていいと言われていたのだった。


「———グレニス様。わざわざお見舞いありがとうございます。あっ、そこの椅子どうぞ」


「ああ。これは見舞いだ」


 ベッドの隣にある書き物机の椅子を勧めれば、椅子をベッドのすぐ脇につけて、グレニスが腰を下ろした。

 机の上にはフルーツ山盛りのバスケットが置かれ、半開きにされたままのドアにも気遣いを感じる。


「昨日のうちに来られなくて悪かったな。その後調子はどうだ?」


「もう調子はばっちりですよ。熱もすっかり引いて、今すぐにでもお仕事に復帰できそうです」


「そうか。しかし今日一日はしっかりと休むように」


「はーい……」


 今まで、なんでこの瞳に見つめられて平然としていられたのだろう。

 強い光を宿す群青の瞳に見つめられては、胸の内に潜む恋心まで透かされてしまいそうだ。


 どうせ部屋から出られないのだからと寝衣姿のままでいたことも悔やまれる。

 やわらかな薄布一枚ではあまりにも心もとなく、ソワソワとして落ち着かない。


「こういう事はよくあるのか?」


「こういう……?」


「この間も、体調を崩して庭にうずくまっていただろう」


「あ、あれはたまたまですっ! 丈夫さが取り柄なので、ここ十年ほど風邪さえ引いてませんよ!」


 グレニスの前で二度も体調を崩してしまったことで、病弱などとあらぬ誤解を受けそうになるのを全力で否定する。

 あいにくと、そんな深窓の令嬢っぽい繊細さは持ち合わせていないのだから。


「医者は何と?」


「えーっと、ただの発熱で……、うつるようなものでもないと……」


 ゴニョゴニョ。


「……とすれば、やはり一昨日の訓練見学が原因か。長時間炎天下にいたせいで体力を消耗したんだろう」


「えっ」


「それに気付かず食事などと、遅くまで連れ回してしまってすまなかった」


 グレニスが膝に手をついて頭を下げる。


 ちょっ! 待って待って待って!


「顔を上げてくださいっ!」


「いや、俺の配慮が足りていなかった。預かっている大事な娘さんを倒れさせたんだ、この件に関してはリヴェリーのご両親へも謝罪の手紙を送っておく」


 やめてやめてやーめーてー!!


 ブランケットから飛び出しベッドの上をにじり寄って、ひしとグレニスの手を握る。

 触れた部分から、どうかこの必死な気持ちが伝わらないだろうか。お願いだから顔を上げてほしい。


「謝罪はいらないです! なんでもないですからっ! グレニス様のせいでも、訓練見学のせいでもないので!」


「そんなもの、わからないだろう」


「わかるったらわかるんです!」


「俺に気を遣う必要はない」


 かたくなに責任を負って譲らないグレニスを前に、もうこれしか方法はないと覚悟を決めると、ええいと恥をかなぐり捨てて叫んだ。


「これ……っただの知恵熱ですから!!!」


 半ば悲鳴のように吐露すれば、グレニスがぱちぱちと二度瞬く。


「知恵熱……?」


「そうです! お医者様に言われました! ちょっと考え込みすぎて熱を出しただけなので、誰のせいでもありません!」


「……ふむ」


 うぅぅ、恥ずかしい。

 考えすぎて発熱だなんて、日頃どんなに頭を使っていないかが露呈してしまう。

 しかも考えていた内容が内容だ。


「深刻な悩みか? 俺で力になれることがあるなら、なんでも言うといい」


 じゃあ、私と付き合ってください。


 真っ先に頭に浮かんだ願いをブンブンと振り払う。


「何かないか?」


「それなら……あの、いつもの抱擁をお願いできますか……?」


 せっかくのチャンスを逃す手はなく、お言葉に甘えてお願いをしてみる。

 熱のせいで今朝の吸引タイムが失われたことが、一番ショックだったから。

 吸引タイムなくしては元気になるものもならない。———すでに元気だろう、という意見は受け付けません。


「ふっ、お安い御用だ」


 グレニスの口元が微かに緩む。

 躊躇なく騎士服のボタンを外して上衣を脱ぐと、脱いだ上衣をベッドに放り、鍛練時のような白いシャツ姿で両腕を広げた。


「ほら、来い」


 自分から頼んだくせに、いざ『来い』と言われると急に恥ずかしさが込み上げてきてしまってその場でまごつく。


 グレニスの膝がベッドに触れるほど近くに座っているといっても身体までには少し距離があるし、抱きつくにしたってどうやって抱きついたものかとあれこれ言い訳を並べながらためらっていると、焦れたようにグイと腕を引かれた。


「ひゃっ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る