第15話 私のソースだったのに

 キャメルとダークブラウンで統一された落ち着いた店内。

 すっきりとシンプルに魅せつつも、調度品の脚や壁に掛かった絵画の額など、さりげない部分にあしらわれた繊細な彫刻が格調高さを感じさせる。

 ゆったりとした弦楽が奏でられ、ホールを行き交う給仕の所作さえも音楽に乗って流れるかのようだ。


 そんな高級感漂うレストランに気後れしていた気持ちも忘れ、目の前の不思議な光景を呆然と眺める。


 対面に座るグレニスの手元。

 お手本のようなテーブルマナーで優雅にカトラリーが動いたかと思えば、瞬く間に皿の料理が消えていくのだ。


「わぁ……」


「ん? どうかしたか?」


「あっ、いえ、失礼しました!」


 グレニスが視線に気付いたのに慌てて、パッと自分の皿へ視線を落とす。

 優雅な動きに反してたちどころに分厚い肉が消えていくのが不思議で、ついまじまじと見つめてしまった。


「構わない。気になることがあるのなら、なんでも言うといい」


 不快感の見えない穏やかな声に、恐る恐る視線を上げる。


「その……召し上がるのがすごく早いなぁと思いまして」


「早いか?」


 グレニスの視線が空になった自分の皿を見て、ほとんど手つかずの私の皿を見て、また自分の皿へと戻った。


「……騎士生活が長くて感覚が麻痺しているようだ。騎士以外の人間とこうして食事をするのも久しぶりだからな。急かすように感じさせたのならすまない。俺のことは気にせずゆっくり食べてくれ」


 少々決まり悪そうなグレニスの言葉に、慌ててぶんぶんと首を振る。


「そんなっ、とんでもないことです! 見てたのは、その……ゆったりした動作なのにみるみるお料理がなくなっていくのが不思議で、目が釘付けになってただけです!」


 一瞬目を瞬いて、グレニスの険しい表情が微かに緩んだ。


「……ふっ、妙なことにばかり関心を持つな」


 これは、笑顔……なのだろうか? いや、どうかな……。


 それにしても、騎士仲間以外との食事が久しぶりだとはなんとも意外だ。

 差し入れを持ってきた人全員にお礼の食事を御馳走しているわけではないのだろうか?


「ほら、またしないようリヴェリーもしっかり食べておけ」


「あ、はいっ」


 カトラリーを構えて肉に向き直る。


 今の言葉からするに、グレニスはどうやら以前体調不良で心配をかけてしまった時の『赤身肉を食べるといい』というアドバイスを実践させてくれているらしい。

 面倒見のよさに感服しつつ、すっと切れる肉を切り分けて口へ運ぶ。


 ぱくり


「っんー! んんっ! ……んくっ、とっても美味しいです!」


「ならよかった。ここは肉料理が美味うまいんだ」


 前菜やスープも美味しかったけれど、グレニスの言葉通りメインの肉料理はまた格別だった。


 実家で食べるものよりも数段やわらかく、噛みしめるほどに旨味を溢れさせる牛肉。

 口いっぱいに広がる濃厚な肉汁を上にかかったソースがさっぱりと押し流して飽きさせず、いくらでも食べてしまえそうだ。


「お肉だけじゃなくって、このソースも美味しいですね。なんだかちょっとフルーティーで」


「こういった食材もわかったりするのか?」


「へっ? 食材??」


 一体何の話だろうか。


「ものを匂うのが好きならば、嗅覚が発達しているんじゃないのか? 香りから、何の食材が入っているかわかるだとか」


「あぁー……ふふっ、そんなすごい能力はないですよ。私はただ、自分にとって『好きな香り』か『嫌いな香り』かがわかるだけです。ちなみには『好き』ですよ!」


 フォークに刺さった肉を掲げて、ぱくっと頬張る。

 うーん、美味しい!


「なるほど、好き嫌いか」


「むぐ……っはい。あっ、でもグレニス様の香りだったら嗅ぎ分けられそうな気がしますね」


 なんといったって一番大好きな香りだからね!

 汗だくの男衆の中から、目を閉じて香りだけでグレニスを見つけることだってできるんじゃないだろうか。


「おい、ソースが口に付いているぞ」


「え?」


 わっせいわっせいと群がる汗だくの男衆の想像から意識を戻す。


 グレニスが右手でトントンと自らの口横を示すので、私も右手の指先で口横を拭ってみた。

 んん? 指に汚れは付いていない。


「違う、こっちだ」


 グレニスが身を乗り出したかと思えば、固い親指がグニッと左の口元を拭ってくれた。


「あっ、ありがとうございます」


「うむ」


 上体を戻したグレニスは、自然な流れでペロリと親指を舐める。


「ああっ!!」


「!? なんだ突然」


 ハッと我に返って周囲を見渡す。

 テーブル同士の間隔はたっぷりと開いているので、幸い他のテーブルまでは声も届かなかったようだ。


 今度はちゃんと声のトーンを落として続ける。


「だって、今の、その……、それ……」


 口元を触った指を舐めるだなんて、そんなの……間接キスではないか。———なんて恥ずかしいこと、口にできるはずもなく。


「わ、私のソースだったのにと思って……」


 言いながら絶望する。

 さすがにもうちょっとマシな誤魔化し方があっただろう。口に付いたソースを惜しんで声を上げるなんて、どれほど食い意地が張ってるんだ私は。


「なんだ、食べ足りないならいくらでも頼んでやる」


「いえっ、やっぱり大丈夫です」


 グレニスの優しさが辛い。

 私はふるふると首を振って、これ以上余計なことを口走らないよう切り分けた肉をせっせと口に詰め込んだ。







「俺が誘ったんだ、一緒に正門から戻って構わないんだぞ?」


「ここでいいです。その……裏門からの方が、使用人棟にも近いので」


「そうか」


 先に降りたグレニスにエスコートされて馬車を降りる。

 グレニスと連れ立って正門から入ろうものなら、使用人仲間に大注目を浴びること必至。そんなのは御免だ。


 馬車で送ってくれるというお誘いさえ一度は断ったのだけれど、この暗い中辻馬車を探してうろつくのは危険だと言って、却下された。

 断るのを断られるとは一体。


 この場には御者のトールさんもいるけれど、トールさんは喋っている姿を見たことがないほど無口だから私のこともペラペラ口外したりはしないはずだ。


「今日はありがとうございました。お食事もとっても美味しかったです」


「礼には及ばない」


 挨拶も終えて、あとは馬車が去っていくのを見送ろうと、目の前に立つグレニスを見上げる。

 グレニスも、じっと私を見下ろす。


「……」


「……」


「……?」


「ほら、早く門に入れ。無事の帰宅を見届けなくては帰れん」


「え、あっ、申し訳ありません」


 グレニスも私を見送ってくれるつもりだったようだ。

 慌てて外出用に借りていた鍵を取り出し、門横の通用口を開ける。


「……おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 扉をくぐってガチャンと施錠すれば、少々あって馬車の走り出す音が聞こえた。

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