第14話 何よりも一番グレニス様が好きです!
「い、いえ……私の方こそありがとうございます。グレニス様のおかげで今日の目的を果たすことができました」
お目当ての兜も嗅がせてもらえたし、はちみつレモン水も差し入れられた。
そもそもこうして城に入れたのだってグレニスのおかげだ。
「……俺でなくとも構わなかったんじゃないか?」
「え?」
水差しから二杯目のはちみつレモン水を注ぎながら、グレニスが低い声で呟く。
あれ? グレニスの機嫌がまた悪化しているような??
「
妙に棘のある言い方だ。
まるで何か、具体的な出来事でも指しているみたいに———
「あっ! さっきの騎士様たちのことですか!?」
「……兜を被っていただろう」
「なっ、あれはまだ被ってません! そりゃ、嗅がせてもらおうと思って借りはしましたけど……。でも、漂ってきた香りがちょっと、思っていたものと違ったというか……」
「嫌な匂いだったのか?」
「いえ、どちらかと言えば好きな香りでした」
うぅ……。
グレニスが『そら見たことか』と言わんばかりに白い目で見てくる。
「でもっ、その……違ったんです。うまく言えないんですけど、こう、好きな部類の香りなのに、なんだかしっくり来ない感じがして……」
カップに口を付けながら、
「それで……さっきグレニス様の兜を嗅いだ瞬間に、気付いたんです。『私が求めていたのはこの香りだったんだー!』って」
「求めて……? どういう意味だ?」
「一番大好きってことです!」
ゴホッ
胸を張って堂々と答えれば、目の前のグレニスが唐突にむせ込んだ。
「大丈夫ですか?」
「っ、ああ、問題ない」
背中をさすろうかと腰を浮かせかけるのを、片手で制される。
数回咳込んで呼吸を落ち着けたグレニスは、空のカップをテーブルに置いて言った。
「リヴェリーはそんなに俺の匂いが好きなのか」
「はいっ! 何よりも一番グレニス様が好きです!」
ゴホッ
「…………そうか」
グレニスの眉間にグッと深くしわが刻まれる。
随分険しい表情だ。こんなにお世話になっているというのに、私は何か失礼なことを言ってしまったのだろうか。
私の心配をよそに、グレニスは予想外の提案を口にした。
「急ぎの書類を片付ける間しばらく待っていられるか? 差し入れの礼に、帰りに何か御馳走しよう」
「えっ、そんな悪いですよ!」
あんなにぬるい果汁水を飲んでもらえて、むしろこっちがお礼を言いたいくらいだ。
「ここで待つのは嫌か?」
問いかけながら、グレニスの指が隣に鎮座する兜をコツコツと叩く。
ここで……あの兜と一緒に……。
「待ちますっ!! 五時間でも六時間でも待ちます!」
「そんなには待たせないはずだ」
そう言うと、グレニスはソファを立ち上がって執務机へと向かった。
チラッと斜め前方の執務机を見れば、グレニスはすでに仕事モードで真剣に書類に目を走らせている。
……また兜に触れていてもいいのだろうか?
グレニスが兜を示したのだから、許可してくれたという解釈で間違っていないはずだ。きっと。希望的観測が混じっていない自信はないが。
仕事中に軽々しく話しかけるのも
視界の端で動く私には気付いているだろうに、何もお咎めはない。
その様子に安心した私は、今度こそ遠慮なく手にした兜を被るのだった。
コンコン
金属を叩く音が頭に響く。
誰だか知らないが、人の至福のひと時を邪魔をしないでいただきたい。
コンコン
「終わったぞ。寝ているのか?」
「! 起きてますっ!」
グレニスの低い声がして、我に返った私は慌てて上体を起こした。
反動で頭がぐらりと大きく揺れる。
思考はでろでろにとろけていたし、兜の重みを気にせず香りを堪能するべくいつの間にかソファに頭を置いて寝そべっていたけれど、眠ってはいない。
「長く待たせてすまなかったな」
ガポッと兜を取り上げながらグレニスが言う。
「いえ、もっとゆっくりお仕事されてても大丈夫でしたよ」
だってまだ、十数えるほどしか経っていない気がする。早すぎる。
グレニスは左腕に兜を抱えると、空いた右手で私の髪を撫でつけた。
「まったく……、兜を被ったまま寝そべったりなどするから、髪がグシャグシャじゃないか」
「え……、うわっ!」
言われて自分の頭に触れて見れば、編み込みのあちこちから飛び出した髪がくしゃくしゃと手のひらをくすぐった。
かなりの惨状だ。さすがにこのままでは外を歩けそうにない。
「ちょっと鏡をお借りできますか?」
「ああ、そこのキャビネットの上にある」
キャビネットの上に立て掛けられた鏡に駆け寄ると、一度編み込みをほどいて全体を手櫛で整える。
もう下ろしたままにしようかとも迷ったけれど、編んでいた部分にうねうねと癖がついてしまっていたので、もう一度左右の耳から耳までをざっくりと編み込むことにした。
「……手際よくできるものだな」
背後に立つグレニスの興味深そうな顔が鏡に映り込む。
「うちは使用人が少ないので、実家にいた頃から自分のことはほとんど自分でやってたんです。パーティーの準備なんかはさすがにメイドに手伝ってもらいましたけど」
「なるほど。自分の世話を自分でできるというのはいいことだな」
背中に下ろしている髪を一房すくい上げ、グレニスが感心したように溢す。
そんな風に言われたのは初めてだ。
嫌だと思ったことはないし実家を恥じたこともないけれど、やっぱり自分の世話を自分でしているというのは、貴族社会においてあまり褒められたことではないから。
「グレニス様も……ご自分で身支度を整えるんですか?」
「ああ。式典のややこしい服以外はな」
「……ふふっ」
偉大な騎士団長との思わぬ共通点を知って、なんだか妙な嬉しさが胸を染めた。
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