第12話 やっぱりなんでもないです
咄嗟に手にしたままの兜を持ち上げてサッと顔を隠す。
だってなんだかグレニスはすこぶる機嫌が悪そうだ。今見つかれば、間違いなく問答無用で怒られる予感がする。
「「ジェルム団長、お疲れ様です!」」
二人の騎士がビシッと敬礼のポーズをとって声を揃える。
「ああ。他の者たちはさっさと着替えに戻ったぞ、君たちは戻らないのか? ……それともまだ甲冑訓練を続けたいというのなら、意志を尊重するが?」
「い、いえっ! たった今戻るところでした!」
「
焦ったように返事をする騎士二人の間を悠然と通り抜け、グレニスが私の目の前に立った。
「ほら、お前もいつまで
顔を隠すように掲げていた兜をひょいっと取りあげられ、騎士へと返される。
「命を預ける大事な防具だ、そう易々と他人に触らせるものではない」
「はっ! 申し訳ありません!」
グレニスから忠告と共に兜を受け取った騎士は、「自分たちはこれで失礼します!」と言い二人して逃げるようにその場を去っていってしまった。
「……」
機嫌の悪そうなグレニスと二人きり。非常にまずい事態だ。
ちなみに、まだばれていない可能性に賭けて顔は横に
「リヴェリー、一体何をしに来たんだ?」
ばれてた。
おかしいな……。先輩メイドたちなんかだと、普段まとめあげている髪を下ろしてメイクをするだけで、ガラッと雰囲気が変わって別人のようになるのだけれど。
「ややっ、これはこれは旦那様じゃないですか! こんな所で会うなんてなんとも奇遇な」
おやまあと大袈裟に両手を広げ、たった今気付いた風を装って———
「休日まで俺を主人と呼ぶ必要はない。で? ここで何をしているんだ?」
誤魔化せなかった。
「えー……なんと言いますか…………あっ! はちみつレモン水!! そうそう、訓練の差し入れに旦———グレニス様のお好きなはちみつレモン水をお持ちしたんですよ! ちょっと待っててくださいね!」
返事を待たずベンチに駆け戻ると、置き去りにしたままの日傘とバスケットを掴んでグレニスの元へと引き返す。
「これですこれ!」
畳んだ日傘を小脇に抱え、バスケットの中にみっちりと詰まっていた大きな布の塊を証拠を示すかのようにジャーンと取り出す。
冷たさを保つため何重にも巻いた布をくるくると解いていけば、中から銀色の水差しが現れた。
注ぎ口にはコルクを詰め、中身が零れないようにと蓋つき水差しの蓋の上からさらに布をあてがって紐でぐるぐると縛ってあるので、見た目はなんとも不格好だ。
そして触って気付いたけれど、金属製の水差しの表面はもうすっかりぬるくなっていて冷たさなど微塵も感じない。
この様子では、恐らく中身も同じだろう。
「ぁ……」
当たり前だ。いくら布を巻いて保冷を図ったとはいえ、この炎天下に何時間も屋外に置いていたのだから。
せっかくの差し入れが台無しになり、先ほどまでの高揚していた気持ちがしゅるしゅると萎んでいく。
うなだれて視線を落とせば、グレニスの足元が目に入った。
精緻な彫刻の施された、立派な甲冑。
足底から脛当てに至るまで厚く付着した土は、野外訓練の激しさを物語る。
目の前にいるのは他でもない、数万からなる騎士を率いるこの国唯一の騎士団長、グレニス=ジェルム侯爵。
そのグレニスに対して、自分が渡そうとしているものは何だ?
不格好な水差しに、生ぬるい果実水。
偉大な騎士団長相手に、自分はなんて見すぼらしいものを差し入れようとしているのか。
「……あー、えっと……、やっぱりなんでもないです! あの、もう帰りますね!」
もっと気の利いたものを用意するべきだった。
訓練後の差し入れだからといつも通りはちみつレモン水を用意するだけで、ここがどこか、相手がどんなに偉い人かなんて、何も考えていなかった。
自分の愚かさが恥ずかしい。
一刻も早くこの場から消えて、全部なかったことにしてしまいたい。
そそくさと水差しをバスケットにしまおうとすると、大きな手のひらにパシッと手を掴まれた。
「……?」
水差しを持つ手を掴まれていては、水差しがしまえないのだけれど……。
「カップか何かないのか?」
「……あ」
漏れない封の仕方や保冷ばかりに気を取られて、注ぐ器さえも忘れていた。
水差しだけ持参しても飲めるわけがない。
「申し訳ありませんっ! ほっ、本当になんでもないので……あの、もう離してもらえますか」
帰りたい、帰りたい、帰りたい、恥ずかしい。
グレニスの手が、無情にも不格好な水差しを取りあげる。
「これは
「はい…………でもっ、あの! 飲んでいただかなくて大丈夫ですので! もう全然冷たくもないですし、それは帰って自分で飲みますから!」
休日に勝手に持参するとあって、材料だって代金を払って使用人食堂の厨房から分けてもらったものだ。
自分で飲んでしまったところで何の問題もない。
半べそをかきながら返してほしくて手を差し出せば、グレニスがぐっと眉をひそめた。
「何を言ってる、俺のものなんだろう? とりあえず俺はさっさと
水差しを持ったまま、グレニスがくるりと
「え? あっ、でも杭より内側は……」
「今日の訓練はすべて終わったから大丈夫だ」
そう言いながらスタスタと演習場内を歩いていってしまう。
だだっ広い演習場に一人置いていかれそうになって、私は慌ててグレニスの後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます