第11話 これじゃない気がする
重いバスケットを手にグレニスの屋敷を出ると、適当な
辻馬車では城内に入れないため門前で馬車を降り、入城手続きは多少手こずったものの、なんとか無事に城門の中へと足を踏み入れた。
「……ふぅ」
降り注ぐ日差しの暑さに日傘を開く。
登城するとあって、今日は使用人部屋のクローゼットにしまいっぱなしになっていたアフタヌーンドレスを身につけてきた。
瞳の色に合わせた爽やかな若草色のドレスは、数着の普段着と共にこれ一着だけ持参したお気に入りだ。
ミルクティー色の髪は耳の後ろから頭頂部を通るラインを編み込んで反対の耳の上で留め、残りはそのまま背中に下ろしている。
子爵家といっても大して裕福なわけでもなく使用人の数も少なかったため、実家にいた頃から自分で身支度を整えるのには慣れっこだ。
門衛の一人に案内されて屋外演習場へとたどり着くと、すでに甲冑での訓練が始まっていた。
「案内ありがとうございます」
「いえ。危険ですので、くれぐれもこちらの杭より内側へは立ち入らないようご注意ください。では自分はこれで」
門衛はハキハキと要件を告げると、くるりと踵を返し今来た道を戻っていった。
城へは夜会で何度か訪れたことがあるけれど、演習場の方まで来るのは初めてだ。
等間隔で打たれた腰の高さほどの杭。
その内側が広大な演習場になっており、杭の外側少し離れた場所には所々ベンチも置かれている。
立って近くで見ていようかと少し迷って、結局誰もいないベンチへと腰を下ろした。
手に持ったバスケットも重いし、何より騎士からの熱気がすごいのだ。
数百は下らない騎士たちが揃いも揃って甲冑を身につけ、ガシャンガシャンと金属のぶつかる音を立てながら統率のとれた動きをすれば、その一挙手一投足に応じて磨きあげられた甲冑の表面が
日の照りつける甲冑の表面温度もさることながら、甲冑内部に籠もる熱も相当なものに違いない。
「これは確かに
見ているこちらが先に
騎士たちの頭上に
甲冑姿の騎士が数百人いても、グレニスを見つけるのは簡単だった。
一人だけ兜のてっぺんに、見覚えのある赤い
騎士たちの隙間から時折ちらちらと見える赤い羽根をぼんやりと目で追う。
時折小休止を挟みつつ、真上にあった太陽がすっかり傾いた頃。ようやくすべての訓練が終わったのか、大きな「解散!」の号令の下に騎士たちが続々と兜を外しだした。
あちらこちらから解放感に満ちた長いため息が聞こえてくる。
グレニスはどうしているかと目を凝らせば、遠くに一瞬垣間見えた赤い羽根が一段高く持ち上がって、ふっと下へ下がった。
「!」
兜を脱いでる!
こうしちゃいられない!
ガバッとベンチを立ち上がって演習場に駆け寄ると、杭の境界から身を乗り出す。
これ以上中に立ち入れないのがもどかしい。
今まさに! そこに! 脱ぎたての兜があるというのに……!!
杭から身を乗り出してグレニスのいる方向を見つめていると、突然視界がぬぅっと銀色の壁に遮られた。
「お嬢さん、訓練見学はいかがでしたか?」
「見苦しい姿で申し訳ない。甲冑訓練でなければ、もう少しいい姿を見せられたのですが」
壁を見上げれば、それは二十代前半とおぼしき騎士の二人組だった。
二人ともびっしょりと汗で髪を濡らし、脱ぎたての兜を小脇に抱えている。
背の高い騎士二人に眼前に立たれると、頭一つ分小さい私などすっぽりと影で覆われてしまう。
「騎士の訓練に興味がおありですか? 僕でよろしければ、このあと他の演習場所もご案内しますよ」
「それとも、どなたかお目当ての騎士が?」
「え、ええと、あの———」
目当てはグレニスの甲冑なの、だ……けれ……ど……? ———待てよ? 汗で蒸れた甲冑の香りを嗅ぐだけなら、この人たちでもいいのでは?
グレニスの
この人たちはニコニコとして親切そうだし。
そうだそうだ、これは名案だ。
何も汗だくで甲冑を身につけているのはグレニスだけじゃない。
見渡す限り、ここはこんなにも魅惑的な甲冑で溢れているではないか!!
そうと決まれば二人組の騎士を見上げ、たまたま先に目が合った片方へと声をかけた。
「あの、すみませんが……ちょっと兜を貸していただけませんか?」
「兜? 別にかまいませんが……あっ、女性には重いでしょうから気をつけてください」
断られる可能性も考えていたけれどあっさりと快諾され、気遣わしげにそうっと兜を手渡される。
あの日グレニスの兜に触れてあんなに怒られたのはなんだったのか。あれか。断りもなく触れたのがいけなかったのか。
昼間の日差しを浴び続けた兜は、こんなに日が傾いてもなお、じわりと熱を宿していた。
「では失礼して……」
両手でしっかりと兜を持ち、期待たっぷりにこくりと唾を飲み込む。
いざ鼻を寄せようと被り口をこちらに向ければ、まだ距離があるにも関わらずむわっと香りが立ち込めた。
炎天下で長時間蒸しに蒸されて濃度を増した、男くさい汗の香り。
ムンムンと熱く漂って、力強く野性的で、ほのかにスパイシーな……嫌いじゃない。
嫌いじゃないし、なんなら好きな部類の香りなのだけれど———なんというか、
何がどう違うとは言えないのだけれど、欲しているものと違うというかなんというか……。
「……」
「どうしました?」
兜を見つめたまま思考の渦に沈んでしまった私を、騎士が怪訝そうな顔で覗き込む。
「あっ、すみません。ちょっと香りを嗅がせていただこうと思って……」
「香り……? 兜のですか?」
「はい!」
顔を起こした騎士はもう一人の騎士と目を見合せると、先ほどまでの好意的な様子から一転、一歩後ろへ後ずさって引きつったような笑みを浮かべた。
「えーと……変わった趣味? ですね……。そんなもの、汗くさいだけでしょう……」
「そんなことないです! 今も香ってきますけど、いい香りですよ!」
もっと自信を持ってほしくて力強く訴えれば、騎士たちの足がさらに一歩後ろへ下がった。
「? どうかし———」
「第五部隊ケーズ=ククス、並びにディオン=シュナーダ。こんな場所で女性を口説くとは、まだまだ元気が有り余っていそうだな?」
二人の騎士の後ろから、聞き慣れた声がする。
青ざめた騎士たちが半身を引いて振り返れば、割れた二人の中央に、いつも以上に険しい顔をしたグレニスの姿が現れた。
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