第7話 スターシュ伯爵?

 グレニスが非番の今日は珍しく来客があった。

 普段は仕事で屋敷を空けている時間の方が長いので、屋敷への来客は珍しい。


 しかしお茶汲みなど客前に立つ仕事を任されない下っ端の自分にとっては、誰が訪れようとあまり関係のない話だ。





「スターシュ伯爵?」


「そうそう。リヴはまだお会いしたことなかったっけ? 大旦那様の歳の離れた弟で、旦那様の叔父にあたる方よ。王都に住んでいらっしゃるから、領地で隠居なさってる大旦那様たちに代わって時々様子を見にいらっしゃるの」


「へぇー、面倒見がいいのね」


 マニーが構えたちりとりへと集めた枝葉を掃き入れながら、適当な相槌を打つ。


「お人柄がいいだけじゃないのよ! 物腰も優雅で渋くって、とっても素敵な方なんだから! 若い頃はさぞかしおモテになったでしょうね~。ああ、せめてあと二十年早く出逢っていれば……」


「その頃マニーは一歳じゃないの」


「一歳じゃさすがに結婚できないか……!」


 一つ歳上の同僚と軽口を叩いて、けたけたと笑い合う。


 ちりとりの中身を麻袋へと移し終えると、積み上がった袋の山を前にして、マニーが腰に手を当てため息をついた。


「ふぅ……、今日は大漁ね」


「昨日は風雨が強かったものね……。ね、掃除用具は一旦ここに置いといて、二人で一気に運んじゃわない?」


「そうね。二人で両手に抱えればなんとか一度に行けるでしょ!」


 そうと決まれば早速掃除用具を置いて、口紐を縛った麻袋を両手に抱え込む。


 湿った枝葉の詰まった袋はずっしりと重く、二人してえっちらおっちらとごみ焼却場へ向かった。




 着替えに戻るマニーを「後は任せて」と見送ると、二人分の掃除用具を片付けるため足早に花壇へと引き返す。

 麻袋から染み出した泥でマニーのエプロンがべっとりと汚れてしまったのだ。


「メイド長に見つかる前に早く片さないと!」


 道具を出しっぱなしにしたことが見つかればお小言はまぬがれないし、それがごみ運びを横着した結果だと知られればさらに叱られること請け合いだ。


 目的の花壇が見えてくると、そこには先ほどまでなかった人影があった。


「!」


 メイド長か、すわお説教コースか、と走らないギリギリの速度で歩み寄れば、振り返ったのは見覚えのない年長の男性だった。


 白髪の混じる長めのブルーグレーの髪を一つにまとめ、エバーグリーンのジュストコールをすっきりと着こなした洗練された佇まい。

 高い鼻梁、優しげな目元は目尻の皺がセクシーで、数多あまたの女性を泣かせたであろう美貌が年月によって衰えるどころか、より深みを増しているのではと感じさせる。

 五十過ぎのお父様と同年代のようだけれど、お父様にこんな色気はない。違う次元の生き物だ。


「おや? 初めて見る顔だね」


 穏やかな声に先ほどのマニーの話が頭をよぎり、慌てて淑女の礼をとった。


「お客様がいらっしゃるとは思わず、大変失礼いたしました。お初にお目にかかります、リヴェリー=メイラーと申します」


「メイラー……メイラー子爵家のご息女か。はじめまして、私はユベル=スターシュ。グレニスの叔父で、城で文官をしている」


 優しく微笑んで、スッと紳士の礼をとってくれる。

 見目麗しい上にメイドの小娘相手にもこの態度。恋愛ごとにうとい私でもわかる。これでモテないわけがない。

 マニーが素敵な方だと騒いでいたのも納得だ。


 グレニスと似ているのは……高い鼻、かな。

 雰囲気も含め、全体的にはあまり似ていない。


「久しぶりにちょっと庭を見ていこうと思ったんだ。仕事の邪魔をしてしまってすまないね」


「とんでもないことでございます」


 スターシュがチラと視線を上げて私の後方を見る。


「さあ、グレニスも来たことだし、そろそろおいとまするとしよう。グレニスは堅物で気難しいと思うけど、頑張ってね」


 すれ違いざまにポンポンと肩を叩かれた瞬間、スターシュのまとう香りがふわっと漂って私を包んだ。


「っ、……はい……」


 なんとか短く返事を返せば、スターシュは私の態度を気にした風もなく去っていった。


 爽やかな柑橘系の香り。

 微かな甘さを含んですっきりとしたそれはスターシュの雰囲気によく似合って、彼が自らの魅力をきちんと把握していることがわかる。


 そしてその香りに紛れるようにして微かに漂ってきた、もう一つの


「うぅ……」


 グラグラと脳を揺らすような気持ち悪さに、手で口元を覆ってしゃがみ込む。


 体臭とも違う。

 食事や石鹸とも違う。

 甘酸っぱさを含んだ、不快な臭い。


 嗅いだことのない種類の臭いだ。

 生ごみのようなわかりやすい不快臭とは違い、臭い自体はただの甘酸っぱいものなのに。

 臭いの届く場所が違うというのだろうか。鼻を貫いて、脳を直接刺激されているかのような気持ち悪さがある。


 香りはグレニスと似ているのだろうかと、瞬時に思い切り吸い上げたのもよくなかった。


 鼻の中に残った臭いを一つ残らず吐き出そうと必死に息を吐き続けても、脳にこびりついた臭いはなかなか抜けてくれない。

 早く立ち上がって、片付けの続きをしなくてはいけないのに。


 スタスタと背後に足音が近づいてくる。


 どうかメイド長じゃありませんようにと神に祈っていれば、祈りが通じたのか、聞き慣れた低音が私を呼んだ。


「リヴェリー? そこで何をしている」


 グレニスの声にひどくホッとする。

 この屋敷にミルクティー色の髪は私しかいないので、後ろ姿で私とわかったのだろう。


 しゃがんだまま、身体を捻るようにしてグレニスを振り返った。


「旦那様……」


「おい、どうしたんだ!? 真っ青じゃないか!」


 グレニスは驚いたように駆け寄ると、片膝をついて屈み、肩に手を添えて私の顔を覗き込んだ。


「悪いものでも食べたのか? 客間のベッドで休んでおくといい。歩けないようなら俺が運んでいくが、どうだ?」


 失礼な問いへの答えも含め、グレニスの言葉にふるふると首を振る。


「吐きそうなようなら、ここで吐いてしまって構わないぞ」


「……を、……」


「うん?」


 口元に寄せられた耳に、か細い声で望みを告げた。



「尋問を、受けさせてください……」

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