第4話 暗殺者の可能性もあります
次の日もそのまた次の日も、鍛練後の抱擁は続いた。
早朝。
ルンルンと足取りも軽やかに鍛錬場へ向かう。
目は冴え渡って爛々と輝き、ワゴンを押していなければ連日小躍りしていたかもしれない。
鍛錬場ではいつも通り、グレニスが鍛錬の真っ最中だった。
「旦那様、おはようございます!」
「ああ、おはよう」
短い挨拶を済ませ鍛錬場の片隅に控える。
見るからにきつそうな動作の一つ一つがあの汗を生み出しているのかと思うと、鍛錬風景も俄然輝いて見えてくるというものだ。
見慣れた一連の動作が終わったのを見計らって、私はタオルとなみなみと果実水の入ったゴブレットを手に一目散にグレニスへと駆け寄った。
「お疲れ様です、旦那様!」
「ああ」
受け取った果実水を飲み干し、グレニスがふぅと息を吐く。
顎に伝うのは水だろうか、汗だろうか、ちょっと舐めて確認してみてもいいだろうか。
私は空になったゴブレットを受け取ると、そわそわと落ち着きなく居ずまいを正す。
グレニスは抱きしめることを罰の一種と考えているようなので、期待していることがバレてはいけない。
ぐっと表情筋を制して澄ました顔で待てば、期待を見透かしたかのようにグレニスの手が私を招いた。
「来い」
「し、失礼します……!」
ふぅぅぅぅと息を吐き出しきって、タオルとゴブレットを持つ手を広げ、万全の抱擁体勢でしずしずと腕の中に収まりに行く。
逞しい腕がぎゅうっと巻きついたのを合図に、思い切り息を吸い込んだ。
すぅぅぅぅぅぅぅぅっ!
っはぁぁぁ、至・福…………っ!!
中ほどまでボタンを外してくつろげられたシャツの、大きく開いた胸元に鼻を埋める。
盛り上がった胸筋の間に走る深い谷間。少し高い位置にあるここが、数日かけて見つけた鼻のベストポジションだ。
汗に濡れた素肌の香り、シャツの内側から立ち上る汗の蒸気、極上の世界がここにはある。
朝の鍛錬に付き添うようになってはや二週間。
毎朝与えられる『
もうこの香りなしには一日を始められない。
グレニスが仕事で城に泊まり込んだ日など、香り恋しさに一日中うわの空でメイド長に怒られたくらいだ。
「いい加減、匂いを嗅いでいたわけではないと認めたらどうだ」
「認めまふぇん」
首を振るふりをして、ぐりぐりと胸に顔を擦り付ける。
グレニスには二度と嘘をつくまいと心に決めているし、そもそも事実と異なるものを認めようもない。
「素直に認めれば、こうして毎朝
今、一生認めないことが確定した。
グレニスは『
すんすんすんすん
「……はぁ、まったく強情なやつだ……。これ以上は続けても無駄なようだな」
「ふぇ?」
「今回だけはその根性に免じて、匂いを嗅いでいたなどというくだらない言い分を信じてやる。明日からは通常の職務に戻るといい」
!!?
いやいやいやいや! 待って待って! そんなまさか! 殺生な!!
「なんてこと言うんですかっ! 一度自分で決めたことを曲げるんですか!? 簡単に
っぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。
どさくさでひしとグレニスに抱きついたまま、肩で……鼻で息をする。
見上げた顔は、いつだって険しい表情をしているグレニスには珍しく、唖然と目を瞬いていた。
「……何を企んでいる?」
「それを白状させるための尋問じゃないですか」
私の挑戦的な物言いに、グレニスが目を細める。
「そうまで言うのなら、どこまで耐えられるか見せてもらうとしよう」
「はい! よっ———」
よろこんでぇー! と元気よく声を上げかけて慌てて口をつぐむ。
危ない危ない。
示された尋問継続の意思に、私は心の中で大きく拳を突き上げ
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