第23話「衛士って呼んでいい?」


 周囲が騒然とするなか、水柱の一部が弾け飛ぶように消え、代わりに異様なものが水柱の中から姿を現す。

 それは遠目だと一瞬人型にも見えたが、よく見れば明らかに人ではないフォルムをしていた。


 その全身は、ゴツゴツとした岩の様な暗い苔色の鱗に覆われていた。

 両手足は人間の数倍は太くてたくましく、指の先端にはナイフのように鋭い爪が見える。

 臀部でんぶから伸びる幅広の長い尾は鞭の様にうねり、自身の存在をアピールしている。

 頭部には前方に突き出した大きくて長い口を備え、そこには幾本もの牙がズラリと並んでいる。

 そして爬虫類の如く黄色い大きな目は、まるで周囲一帯を獲物として見ているかのようにぎょろぎょろと動いていた。


 頭から尾の先まで、全長はおよそ六メートルを超えているだろう。

 まるで二足歩行する巨大ワニだ。


 そいつが現れた瞬間、俺と砕華はその正体をすぐに理解した。


「バリアンビースト!」


『グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 プールサイドに降り立ったワニ型のバリアンビーストは、大きな口を開いて耳をつんざく咆哮を轟かせる。

 大気を震わせ、鼓膜を激しく揺らす獣の雄叫びにより、人々の恐怖心が煽られる。

 あれはまさしく我々人間を害する悪しき存在だ、と。


「キャァァァァァァァァァァ!?」


 当然、辺りはすぐさまパニックとなり、誰かの悲鳴を皮切りに人々が必死に逃げ惑う。

 まさか街中だけでなく、こんな場所にまでビーストが現れるとは。


 多くの人が集まるこの場所は確かに襲撃地としては絶好の場所と言えるだろうが、よみきりパークは東京と神奈川の県境に位置しているので、東京を襲撃地として定めているバリアンビーストのルールに則っているかどうかは正直微妙なラインだ。


 もっとも、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 今日のバリアンビーストは、メテオキックが目的で出現したに違いないのだから。


「砕華!」


「わかってる」


 いつでも逃げられるようカナちゃんを抱えて砕華に声を掛けると、砕華は静かな声で応えた。

 ふと砕華の顔を見やれば、そこには仁王像にも負けない憤怒の形相があった。


「さ、砕華さん? もしかして怒ってらっしゃる……?」


「今日はマジで邪魔すんなっつったのに」


 砕華は指をポキポキと鳴らし、逃げる人々の波に逆らいながら堂々とした歩みでビーストの方へ向かっていく。


 俺は一目で分かった。

 砕華は今、俺がこれまで見てきた中で一番激怒している。

 どうやらスペクターはまた約束を破ったらしい。


「絶対に――ブッ壊す!!」


 気合いの怒声をきっかけに駆け出した砕華は、プールサイドから水面へと綺麗なフォームで飛び込んだ。

 砕華の体が水の中に入って完全に見えなくなった直後、水面の一部が眩い光りを放つ。


 次の瞬間、派手な音を引き連れたもう一つの存在が、水中から空中へ飛び出した!


本気解放マジモード――大気圏突破蹴アトモス・ブレイクッ!」


 現れたのは、最強のヒーローにして東京の守護者。

 プールサイドに立つビースト目掛け、水中から必殺の蹴りを繰り出したメテオキックの姿だった。


 そのままメテオキックの凄まじい一撃は、バリアンビーストの胴体に容赦なく突き刺さる!


『グギャオアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』


 メテオキックの蹴りを食らったビーストはピンボールのように弾き飛ばされ、悲鳴の様な咆哮を上げながらロケットの如き速度で空の彼方へ消えていった。


 十五秒—―。


 それが、ワニ型のバリアンビーストが出現してから星になるまでの時間だった。






 * * *






「ふぁ~、疲れた」


 茜射す電車内で、麓山はやまが欠伸をしながら言った。

 それを聞いて隣に座る慧斗けいとも頷く。


「今日は色々あったもんな。まさかバリアンビーストが現れるなんてな」


「私、あんな近くで見たの初めてかも。めっちゃ怖かった~」


「でも、メテオキックの登場もすげー早かったよなぁ」


「おかげで怪我人いなかったらしいよ~? ヒーローってホントすごいよね~」


「衛士達も危なかったよな。けっこう近かっただろ?」


「え? ああ……そうだな。運が良かったよ」


 麓山と慧斗の会話によって、俺は二時間前のことを思い出す。


 突如としてプールに現れたバリアンビーストだったが、同じくすぐさま現れたメテオキックによってものの数秒で天へ打ち上げられ、そのまま粉砕された。


 歴代最速のバリアンビースト粉砕記録であったらしい。


 騒ぎが収まってからは、変身を解いて戻って来た砕華と共にカナちゃんを迷子センターへ連れて行き、待っていたカナちゃんの両親と無事に再会させることが出来た。

 カナちゃんは明るい笑顔を取り戻し、それを見て俺と砕華も笑い合ったのだった。


 その後は、警備の関係によりプールで予定されていたイベントが中止となったことで、砕華が鬼の様な形相を浮かべていたのを覚えている。

 余程楽しみにしていたようなので、今後その怒りは全てバリアントに向けられることだろう。


「私、眠くなっちゃったなぁ~」


「俺もだ……衛士、俺達寝てもいいか?」


 揃ってあくびをかみ殺している慧斗と麓山を見て、俺は頷く。


「ああ。乗り換え駅に着く前に起こすよ」


 今日は色々気を回してくれたから、これぐらいはお安い御用だ。


「わりぃな。じゃ、ちょっくら寝るわ」


「キラっち~、アマエイ~、おやすみ~……」


「うん。おやすみ、千裕」


 砕華が小声で返事をすると、二人はすっと目を閉じ、ほどなくして静かに寝息を立てはじめた。

 これで起きているのは、俺と砕華だけとなった。


 なにか話すべきだと思うのだが――。


「……」


「……」


 なぜか、どちらから話すこともなく、しばらく無言が続く。


 ガタンゴトンという電車の走行音が耳心地良い。

 心地良すぎて、逆に落ち着かなくなる。


 電車が揺れて、互いの火照った肩と肩が触れる。

 砕華の熱が肩を通して伝わって来て、俺は少し顔が熱くなっていくのを感じた。


 ふと砕華の顔を見れば、小麦色の顔が少し赤らんでいる。

 それは日焼けのせいだろうか?

 こんな砕華の顔を見るのも今日で最後となるのだろうか?


 そう思うと俺は名残惜しくなって、気付けば口を開いていた。


「砕華」


「なんだし?」


「今日まで付き合ってくれて、本当にありがとう」


「……うん」


 返事に少し間があった。

 もしかすると砕華は、今日で仮初の恋人関係が終わることを忘れていたのかもしれない。


 それほど楽しい日々だったのなら、俺としても嬉しい。

 だが所詮は偽物の関係。その終わりは俺から告げるべきだろう。


 胸を締め付ける妙な感覚は、きっと告げてしまえば消えるはずだ。


「これからも、友達として仲良くしてくれると嬉しいな。もちろん俺だけじゃなくて、慧斗や麓山とも」


「……うん」


「君の秘密も守る。誰にも話さない。墓まで持っていくよ」


「……うん」


 砕華はうつむき気味で、どことなく悲しそうな表情で目を伏せている。

 俺の胸は、苦しいままだ。


 そこから再び無言の時間がしばらく続いた。


 しかし三駅目を通り過ぎた時、砕華が深い息を吐いてから俺の方を向いた。

 宝石のように綺麗な藍色の瞳には、俺の顔が映っている。


「あのさ、衛士」


「なに?」


「その、さ……これからも衛士って呼んでいい?」


「え? それは、もちろんいいけど」


「ホント? やった! あ、あと! アタシまだ二人で行きたいところがあるから、そこにも付き合ってほしい! いい?」


「えっ、あ、うん。分かった」


「ゼッタイだよ? ゼッタイ約束だからね!」


「砕華、少し声を抑えて……」


「あっ、ごめん」


「約束だ。俺でいいなら、どこでも付き合うよ。君が行きたいところに」


「うん!」


 砕華は先程とは打って変わって、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 その笑顔を見た俺の胸が高鳴る。鼓動が加速する。

 こんなにも速くなるのは初めてかもしれない。


 俺は、いったいどうしたのだろうか?


 今日は砕華の所作一つ一つに、心を大きく揺さぶられている。

 冷静な思考が出来なくなりそうだ。

 これは、いったい何という感情なのだろうか?


 気が付くと、砕華も小さく欠伸をしていた。


「なんだかアタシも眠くなってきちゃった……アタシも寝ていい?」


「ああ、もちろん」


 眠くなるのは当然だろう。

 今日一番疲れているのは間違いなく、全力で遊んで、全力でヒーローをやっていた砕華なのだから。


「ありがと。おやすみ、衛士」


「おやすみ、砕華」


 砕華は目を閉じ、俺の右肩に頭を預けた。


 肌の温もり。

 心臓の鼓動。

 息遣い。

 それら全てが伝わってきて、砕華という存在がとても近くに感じ取れる。


 安らぐ様な心地良さがあるのに、なぜだか緊張して体が固くなってしまう。

 そんな不思議な感覚が俺を満たしていく。


 駅までの時間は、炎天下の氷菓の様に溶けて消えていた。

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