第24話「やっと思い出せたね」


 人には誰しも、忘れたい過去というものが存在する。

 その忘れたい過去に対して人は選択することが出来る。

 

 克服するか、逃げるか、二つのうちどちらかを。


 立ち向かう強さがある人間は、過去を克服して強くなることが出来る。

 受け入れられない弱い人間は、過去から逃避することしか出来ない。


 俺は後者だった。


 俺はバリアンビーストとして人々を傷付けなければならない己の役割を嘆くだけで、スペクターに立ち向かう勇気もなく、ただ逃げ出した。

 あの時はそれが俺の限界だったし、俺はそれで理想の自分を手に入れたはずだった。


 だが、俺は思いもしなかった。


 そもそも俺は、逃げることすら出来ていなかったなんて。






 それはプールデート終えた帰り道、自宅に着く直前のことだった。


 俺は自宅マンションの門前に一人の男が立っているのを見つけた。

 黒いポロシャツを纏う細身の男で、年齢は壮年から中年の間ぐらいだろうか。

 顎ひげを生やし、背は俺より少し高いぐらい。ワイルド系だ。


 どこかで見たことがある気がしたが、気のせいだと思い直した俺は会釈してその脇を通り抜けようとする。


「やあ」


 ところが、男は気安く声を掛けて来た。

 まるで見知った仲であるかの様に。


 だが記憶を手繰り寄せても覚えがない。

 戸惑いつつも、俺は咄嗟に挨拶を返す。


「こ、こんにちは」


「砕華とは上手く行っているようで何よりだよ」


「え?」


「ん? あぁ、そうか。覚えていないんだったな」


 男は考え込むような素振りをしてから、くつくつと笑う。

 俺は男の笑い声を聞いて、捨てたはずの過去の記憶が呼び起こされる。


 それはバリアントにいた頃に嫌と言う程聞いた声だった。

 しかも夏休みに入る前にも一度耳にしている。


 砕華がメテオキックであることを知った、あの日に。


「私は暗月あんげつ 創世そうせい。砕華の父だ」


 男がほくそ笑んだ瞬間、体中の血が冷えていくのを感じた。


 砕華の父――この発言が本当だとすれば、それはバリアントの総統ということ。

 すなわち暗月と名乗った目の前の男は、スペクター・バリアント本人だということだ。


 嫌な汗が背中を伝う。

 いつもの顔まで覆っている黒鎧の姿しか知らなかったせいで、スペクターだと気付くことが出来かった。


 まさか逃げ出した俺の居所を突き止め、自ら連れ戻しに来たのか?


 いや、今の俺の姿はバリアントから抜け出した後に作ったもの。

 だからスペクターが今の俺の姿を見たのは、学校に襲来したあの時だけだ。


 つまり俺のことは「砕華と仲が良いクラスメイト」程度の認識のはずだ。


「あ……あの、は、初めまして! 天下原衛士です! 砕華さんとは友人として、仲良くさせてもらってます……!」


 ならば俺はシラを切り通す。

 俺は暗月創世がスペクター・バリアントであることを知らないし、俺とこの男は今日初めて会った。


 あくまでも砕華のクラスメイトの一人として、俺は全力で振る舞う。

 とにかく、今はこの状況からの逃走が最優先だ。


 すると暗月は首を傾げた。

 しかしなにかを理解したのか、ほどなくして納得したように小刻みに頷いた。

 上手く誤魔化せたと確信した俺は内心で安堵する。


「ふぅむ、なるほどなるほど。記憶処理は正常に機能しているらしい。だからこそ貴様は任務を遂行出来たわけだがな」


「え?」


 記憶処理?

 任務?

 何のことだ?


 いや、待て。待ってくれ。


 まさかスペクターは、俺のことを――。


「砕華との関係構築は無事成功したといえるだろう。正直言って期待以上だ。だからもう戻っていいぞ、


 ドクンッと、心臓が大きな音を立てて鼓動した。


「――がっ!?」


 続けて鋭い痛みが脳髄を襲う。まるで焼き切られるような痛み。

 耐え難い痛みによって俺は眩暈を引き起こし、足には力が入らなくなり、その場でうずくまる。

 

 息が出来ない。苦しい。

 なんだこれは?

 分からない。


 いや違う。分かる。

 俺は、思い出してしまった。


「あ……あぁ、あああああああああああっ!!」


 俺の中にあった記憶が湧水の様に続々と解放され、同時に痛みが引きはじめた。


 俺には、スペクターからある任務が課せられていた。

 その任務を遂行するため、俺は自分でバリアントを抜け出したと思い込んでいたのだ。


 記憶をと共に封印され、それをたった今、全て思い出した。




 ――やっと思い出したね、シロ。




 俺の中から声がする。

 俺をシロと呼ぶその声に、懐かしさを覚える。


「クロ……そうか、俺は……!」


 俺を呼ぶ声の名は「クロ」――俺の中に宿るもう一つの人格だ。


 瞬間、俺の背中から漆黒の旋風が巻き起こり、俺の全身を包み込んだ。


 眼前の景色は黒い乱流に覆われ、同時に俺の内側から淀んだ泥が湧き出す。

 泥は全身に纏わりついて、膨張しながら俺の体を変えていく。


 右半身に纏われた泥は白と金の配色に染まり、断罪を司る残虐な天使の鎧に。

 左半身に纏われた泥は黒と赤の配色に染まり、傲慢を司る暴虐な悪魔の鎧に。


 背には清純な白鳥の翼と悪辣な蝙蝠の翼がそれぞれ一対ずつ、計四枚の翼が形成される。

 頭部は白と黒の仮面に覆われ、口や鼻は無く、赤と緑の二つの目だけが表されている。


 白い天使と黒い悪魔、それぞれを半々で合体させた歪な鎧を纏う双翼の獣。


 それが俺のバリアンビーストとしての姿だった。


 俺達はジキルとハイドの様に、一つの体に二つの人格と力を宿す。

 これが俺のバリアンビーストとしての特異性だった。


 それさえも忘れていた。忘れさせられていたのだ。

 眼前に立つ我が主、スペクターによって。


「思い出したか、デュアリス」


「スペクター……お、お手を、煩わせました……」


「構わん。貴様の記憶を封じたのは私だからな」


 俺はスペクターの前に跪いて反射的に頭を垂れる。

 するとスペクターは満足そうに頷き、くつくつと笑った。


「貴様はビーストとしてはなんとも欠陥だらけだった。能力は高いが戦いを拒む。臆病者の役立たずと思っていたが、どうやら人を欺くことだけは得手だったようだな」


「はっ」


「しかし、完全に記憶が戻っているか私には分からないのでな。貴様、己の任務を言ってみろ」


「はっ!」


 命令のまま、俺は自らに課せられた任務を口にする。


「俺の任務は、人間としてメテオキック――綺羅星 砕華と接触、親密な関係を結んだ後に自らの正体を明かし、裏切りによって彼女に精神的ショックを与えることです」

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