結び

 人間の意識が変われば、心が映し出す世界も変わります。人は思考によるエゴを本当の自分と混同しています。

 人間の内面に在る私と言う分離意識がエゴを作り出しています。それは頭の思考がでっち上げる妄想であり幻想です。

しかもエゴは、それ自身では存在出来ず物質的なモノにアイデンティティを求め、自分を何かに同一化する事によって生き延びようとします。

 本来、思考と自分の本質には何の関係もありません。エゴと自己を同一化してしまうと苦しみが生まれます。苦しみが蓄積し抱えきれなくなったエゴは、自滅し気付きへの意識へと変容します。

 苦しみや恐れは、人間に付き物の機能不全であり人類最大の敵です。エゴによる自分を正当化する見せ掛けの正義感は、多くの問題や対立を生んできました。何かに同一化しようとするエゴの欲求は底知れず、例え手に入っても決して満足する事はありません。

 この機能不全を解決するには、思考を超えてエゴの奧に在る本当の自分である真我に目覚める事です。時間の概念を超え、過去への執着、未来への不安を手放し、今この瞬間に在る事が大切です。また言葉の概念を超え、決め付けや思い込みを取り去り、今ここにくつろぎましょう。

 なぜこんなに苦しまなくてはならないのか?この苦しみから逃れる方法はないのか?誰も信じられない中、意識の変容である悟りがある事は一筋の光になります。

 自分の本質は、今ここ、今この瞬間に真実として生きている私の存在そのものです。思考は分離感から来る自己イメージを頑なに守る、自己中心的なエゴでもあります。あるがままの存在に気付く事で、新しい意識の変容が訪れます。

 この世は何一つコントロール出来ず、思い通りにはなりません。生老病死を初め何も自由に選択出来ません。心臓の鼓動や呼吸、またはこの世の全ての営みは全自動で起きており、人間には自由意志は無く、生きているのでは無く生かされている事がわかります。

私と言う分離感が無くなり、今にくつろぐ事が出来ると、安らかな気分になり、心の平安が訪れます。あるがままに放っておけば自然に愛を享受出来るのです。

 地球上の人類は、思考による科学の進歩により便利で快適な生活を手に入れました。しかし同時に様々な問題や対立を生み出し、かつてない程の変化と激流の中で最大の危機を迎えているのです。

しかしピンチは最大のチャンスです。私達一人一人がエゴから抜け出し、思考を超えて本来の自分を取り戻し、存在そのものに立ち返る時に、この世界を愛で満たす事が出来るようになります。

この世は思考による幻想で仮想現実です。分離感による私と言う主体が、この物質世界を客体として見る時、主体と客体の二元性があるという世界観が立ち現れます。

自己を良く観察すると私という主体は無く、今ここに在る現実「色」があるだけです。そして真実を良く見つめていくと、それは気付きの意識そのもの「空」なのです。存在の本質は相対的な二元性では無く、独立していない繋がりの在る一つ生命のワンネスなのです。

「色即是空、空即是色」つまり色は空であり、空は色であって、空と色の二つではありません。経験されるものと経験するもの唯一無二で、絶対的な現実である経験がただ起きています。

それは愛であり生命そのものです。存在の本質である生命が紡ぎ出す現実が消える事は決してありません。

あらゆる事象が変化し移り変わる物質世界の中で、生命である存在意識は、ずっと沈黙の中に永遠に存在します。

それが真の自分であり真我であり自分の本質なのです。その意識の沈黙の中に大いなる愛が存在するのです。

 私たちは日頃あらゆるものを自分自身の先入観や固定概念によって名前を付け、言葉の貼り付けによってこの世界を認識しています。

 「これは音楽である」と言葉で捉えた途端、まるで催眠術にかかったように私達は、それが何なのかを知ったと思い込んでしまいます。本来、全ての言葉付けは、私達の心が先入観や固定概念によって行なっているに過ぎません。

 全ての先入観や固定概念を取り払い、世界をあるがままに見る事が出来たらどうなるでしょうか?今のあるがままを感じられるようになると、あらゆる比較対象物が幻想であり物語であったと気付く事が出来るでしょう。

 そのような悟りの境地においては、エゴや自我としての自分という最も強固な固定概念さえも消えてしまいます。

 個人としての「自分がいない」のであれば、自分以外の何か他のモノという固定概念も消え去り、世界に対する分離感は完全に終わりを告げます。

そして自我が消えていった時に見出されるのは、利己主義的な部分が抜け落ちた純粋な愛と慈悲なのです。

思考が物事の真実を見えなくしています。心の抵抗を取り払い、感謝と信頼の心持ちで生きるのです。そして思考を超えて今のあるがままにくつろぐ事が出来れば愛で満たされ、喜びと心の平安が訪れます。

音楽においても、その本質をあるがままに聴いて感じてみると、音楽の存在は永久不滅な存在である事に気付けます。形を変え移ろい行く事はあっても本質は決して変わりません。解釈や判断する事無しに、ただ今在る音楽の中にくつろぐのです。

音楽の本質を感じる為に思考を超えて、正に「無我夢中」になると、音楽の中に永久不滅の真理である愛を感じる事が出来ます。

音楽の存在と生命を感じる事で、この世界は常に完璧な調和で保たれているという真実に気付く事が出来ます。そうすると今ここに赦し、今ここに感謝し、今ここに信頼するようになります。

恐れや苦しみは人間の思考や感情によって引き起こされている幻想やまやかしであると認識すると、今在る音楽をありのままに感じる事が出来るようになります。

音楽による愛は、抵抗せずに委ね、ありのままを受け入れる赦し、あるいは今への感謝と絶対的な信頼となって真実となって現実化するでしょう。

音楽と共に今にくつろぐ事が出来れば時間と言葉の概念が消え、生命エネルギーを心身共に感じる瞬間を体験出来ます。それが音楽による意識の目覚めであり覚醒で悟りになります。

音楽における悟りが現れると心には「世界は今のあるがままの姿で完璧である」という気付きが生まれ、この世の完璧な調和を心身で感じる事が出来ます。

既に完璧で完成された世界に生きていると信頼出来ているので、執着や欲が無くなり、感謝で満たされる事が出来るでしょう。これが手放しであり愛によって今ここに在る音楽の存在を意識する事に繋がります。

人は思考から離れると自由になれます。音楽は楽譜から離れると自由になれます。音楽は愛の現われです。

「今ここに音楽が在る」音楽は実体がなく存在意識と感性が大切です。思考では無く今この瞬間、音楽の存在を意識する事は愛であり喜びであり心の平安です。

だからこそバッハの音楽は今も尚、世界中の多くの人に愛され聴き継がれているのです。

 最後に本書の出版においてご尽力いただいた〇〇さん、編集にあたってくださった○○さん、そして何よりもこの本を手に取って読んでいただいた読者の皆様には心から感謝いたします。

 本当にありがとうございました。


二〇二三年 初春

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今ここに音楽が在る ~バッハ名曲六十三選~ @antonobu

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