第五十八話・別離の笑顔、歓喜の涙

 馬喜多まきた市の中心部からやや外れた地域に建つ団地を背広姿の三人組が訪ねた。


 日が落ちたばかりの時刻。切れかけた電灯の明かりが通路の隅に雑に置かれたゴミ袋などを浮かび上がらせている。その間を縫うようにして目的の部屋まで進み、チャイムを鳴らす。


『ピンポーン』


 家主は在宅している時間帯であると事前に調べはついている。何度か鳴らし続けていると、ようやくガチャリと内鍵が回る音がして、金属製の扉が僅かに開いた。

 中から顔を覗かせたのは、長い黒髪を後ろで結んだ三十代後半の女性である。晩酌をしていたようで、頬は赤く、吐く息は酒臭い。


「……どちら様ぁ?」

井和屋いわやあやこさんですね。私どもは県の保護政策推進課の者です」


 一番手前に立つ老紳士が差し出した名刺を片手で受け取り、あやこは気怠そうな顔で「はぁ」と呟いた。県のナントカ課とやらに聞き覚えはない。何の用だろう。そう思っているのが態度に出ている。


「息子さん達の捜索願いを出していましたよね。今日はその件でご報告に参りました。……込み入った話になりますので、上がらせていただいても?」

「えっ? あ、はい」


 捜索願いの件と聞いて、あやこの態度が変わった。先ほどまでは適当にあしらうつもり満々だったが、すぐに半開きだった扉を全開にして三人を迎え入れる。

 一人は穏やかな目をした白髪の老紳士。残る二人はパンツスーツ姿の若い女性である。あやこがあまり警戒せずに他人を部屋に上げたのは女性が同伴しているからだ。


 狭い玄関で三人を待たせている間に、あやこは床に積まれていた洗濯物やら何やらをザッと隣の部屋に押し込んだ。以前、真栄島達が勧誘のためにこの部屋を訪れた時より散らかっている。当時はさとるが毎日寄って家事をしていた。その彼がいなくなってから部屋は荒れているようだった。


 直接話すのは今回が初めてである。小さなテーブルを挟んで座り、彼女の人となりを知るため、まずは世間話から始めることにした。


「この辺りは被害はありましたか」

「ええ、向こうの……南側のガラスが割れてしまって。すぐに直してもらえましたけど」

「そうでしたか。お怪我は?」

「ガラスを片付ける時に指を切ったくらいで、他は別に」


 あやこはベランダの窓を指差しながら説明をした。酔いはすっかり醒めたようで、受け答えもしっかりしている。


「あのぉ、それで……」

「捜索願いの件ですね」

「うちの子達は見つかったんですか」


 不安そうに尋ねるあやこに、真栄島は神妙な顔付きで数秒沈黙した。そして、意を決したように再度口を開く。


「残念ながら、井和屋さとる君と井和屋みつる君の死亡が確認されました。発見場所は亥鹿野いかの市です。遺体の状態が悪く、身長や体型などの身体的特徴と虫歯の治療痕から二人だと断定されました」

「死っ……?」


 二人が死んだと聞かされて、あやこは口元を引き攣らせた。膝の上に置かれた手が小刻みに震えている。


「そんな、なんで」

「息子さん達は爆撃の被害に遭ったんです。しかし、何故亥鹿野市に居たのか……家出でもしていたんでしょうかねえ? 捜索願いが出ていなければ身元不明の遺体として処理されるところでした」


 遺体発見現場の話は嘘である。もし現地に確かめに来られたらまずいので、同じ県内でも離れた場所である亥鹿野市で発見されたことにしたのだ。

 駄目押しで更に説明を続ける。


「先ほども言いましたが、遺体の状態が悪くてですね。それに、こんなご時勢ですから保管も出来ず、身元が判明した遺体はまとめて現地で火葬となりました」

「……、……」


 もはや何と言っていいか分からないのだろう。あやこは瞬きも忘れ、茫然と床を見つめるばかりだ。


「こちらはお二人の遺髪です。DNA鑑定などに出していただいても構いません」


 真栄島の後ろに控えていた女性の一人、三ノ瀬みのせがカバンから小さなビニールの包みを二つ取り出し、あやこの目の前に置いた。中身は五センチほどの長さの黒い髪の毛が一房ずつ。ラベルには発見された日付と氏名が印字されている。ちなみに、髪の毛は二人から提供してもらった本物である。


「さ、さとる……みつる……ッ!」


 あやこは包みを引ったくって胸に抱き締め、子どものように声を上げて泣き出した。


 勧誘した日の帰りに、真栄島と三ノ瀬はあやこがさとるから金をせびっている姿を直接目撃した。下の子の世話を放棄して遊び歩き、上の子を搾取して苦しめる母親。そう彼女のことを認識している。

 しかし、目の前で嘆く姿を見れば心が揺らぐ。どんなに酷い親でも我が子の死は辛く悲しいものなのだ。

 あやこが落ち着くのを待って、今度は葵久地きくちが数枚の書類を取り出した。


「今回被害に遭われた方々には国から見舞金が支給されます。こちらの書類に記入押印して市役所に提出していただければ、一名あたり二百万円の災害見舞金が支払われます」

「え」


 先ほどまで絶望しかなかったあやこの目の色が変わった。犠牲者一人で二百万。二人で四百万。あやこにとっては大金だ。遺髪の時より素早い動きで書類を奪い、申請書の文面を上から下まで食い入るように確認する。


「死亡確認関連の欄はこちらで記入済みです。あとは井和屋さんの振込先の口座番号と名義を記入して印鑑を押していただくだけとなっております」

「そ、そう。分かりました」


 口の端を歪めて笑うあやこを見て、真栄島は小さく息をついた。やはり、この母親はこういう人間なのだ。


「この度は誠にご愁傷様でした。では、我々はこれで失礼いたします」

「ええ、ええ。わざわざありがとうございました」


 見舞金の申請書を大事そうに胸に抱えたまま、あやこは三人を玄関先ではなく団地の階段まで見送った。






 偽の死亡報告を終えて井和屋家を辞し、車に乗り込んだ瞬間、三人は大きな溜め息をついた。


「……あの涙は何だったワケ?」

「ホントですよ。貰い泣きして損しました!」

「まあまあ、これでさとる君達が自由になれるんですから。下手に食い下がられなくて助かりました」


 遺体は集団火葬したと嘘の報告をしたが、もし亥鹿野いかの市まで確認しに行くとゴネられたら面倒なことになるところだった。書類やデータは幾らでも偽造出来るが、流石に本人の遺骨は用意出来ない。遺髪だけで納得して貰えたのは、真栄島にとっては有り難い話だ。


「最後のほう笑ってなかった?」

「完全に見舞金に目が眩んでいましたよね」

「そりゃ縁を切られても仕方ないわ!」


 三ノ瀬みのせ葵久地きくちの会話を聞きながら、真栄島まえじまはこの事をどうさとる達に伝えようかと考えていた。

 事実を伝えれば、またさとるとみつるに悲しい思いをさせてしまうのではないか。しかし、話を飾れば母親に未練が残る可能性もある。思案の末、見聞きしたものをそのまま伝えることにした。


 シェルターに帰り、早速二人を会議室に呼んで話をする。真栄島達から説明を受けたさとる達は、悲しむどころか腹を抱えて笑い出した。


「ひっでぇ、息子よりカネじゃん!」

「ホントお母さんらしいよね」


 実の母親をてると決めて吹っ切れたのか、さとる達はよく笑うようになった。まさかこの報告でも笑われるとは思っておらず、三ノ瀬と葵久地は顔を引き攣らせている。


「それにしても、四百万かぁ〜……オレらを自由にするために無駄に大金使わせちまってすんません。働いて返します」

「返済の必要はありません。君達の笑顔を買ったと思えば安いものです。財源は敵対国からの賠償金と税金ですがね。不必要な箱物ハコモノを作るより、よっぽど国の未来のためになる使い道ですよ」


 見舞金は爆撃で死亡した被害者全員に国から一律支給されるものである。さとる達を死んだことにする場合、見舞金の支払いもセットで行わないと怪しまれてしまう。これまでろくに子育てをしてこなかったあやこに金を渡したくはなかったが、これも必要経費と割り切った。

 余分に金を使わせてしまったことを詫びると、真栄島はすぐに否定した。悪戯っぽく口元に人差し指を当て、目を細めて笑う。それを見て、さとる達はまた笑った。


「ははは! ……はは、は……ッ」

「にいちゃん?」


 大声を上げて笑うさとるの目の端から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。慌てて袖口で拭うが、後から後から溢れてくる。


「……すんません。……す、少しでも、母さんが泣いてくれたの、嬉しかったから」

「さとる君……」

「もう思い残すことは無いです」


 さとるが実家の家事をやり、金を渡してきたのは、みつるのためだけではない。心の何処かで母親から褒めてもらいたいと思っていたからだ。頼りにされていると信じたかったからだ。まだ父親がいた頃に見た母親の笑顔をもう一度見たかったからだ。その期待は何度も裏切られてきた。


 嘘の死亡報告で、あやこは涙を流した。


 たったそれだけで満たされてしまうくらい、さとるが母親に求めていた見返りはちっぽけなものになっていた。


「これからは自分達の幸せのためだけに生きてください。そのための支援は惜しみません」

「はい、ありがとうございます」


 この日以降、さとるは母親に対する執着を完全に棄てた。

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