第五十九話・新たな名前

 とうとうシェルターから出る日が来た。

 新しい戸籍や各種身分証の手配がおわるまで、さとる達も一旦保護施設に世話になることになった。身元を確認できる書類がなければ働いたり部屋を借りたり出来ないからだ。


 皆、持参した荷物は少ない。僅かな着替えや家族写真、通帳や免許証、保険証などの貴重品のみ。

 上層階のホールには送迎用のマイクロバスが止まっている。ここに来た時もこの車に乗ったことをそれぞれが思い出している。あの時は二度と生きて戻れないと覚悟していたが、色んな人に助けられて生き残った。日常生活に戻ったとしても、その思いだけは忘れないだろう。


「忘れ物はないですか? この便が出たらシェルターは閉鎖しちゃいますからねー!」


 右江田うえだ三ノ瀬みのせが声を掛けて回り、注意を促している。

 右江田は自宅アパートに帰る予定だが、教員として採用された暁には、ひなたを引き取ることが決まっている。それを聞いたほとんどの人は驚いたが、ひなた本人がとても嬉しそうにしているので誰も反対しなかった。


 自宅に戻る便と施設に向かう便は違うバスだ。従って、馬喜多まきた市に戻るゆきえ達とはここでお別れとなる。


「さとる君、色々ありがとう」

「いえ、こちらこそ助けてもらって感謝してます」

「それじゃあ、弟さんと仲良くね」


 娘のみゆきを抱っこしながら、ゆきえは空いているほうの手を伸ばし、さとると握手を交わした。マイクロバスに乗り込んでからも、窓から笑顔で手を振っている。

 左足には銃創の痕が残っているが、腫れや痛みはすっかり引いている。退去ギリギリまでシェルター内の医療施設で治療を受けたおかげだ。

 彼女の職場は爆撃で潰れてしまったが、保険代理店の別支店で働くことが決まっている。

 今回の爆撃被害は『戦争』『他国からの武力行使』に当たり、基本的には生命保険や損害保険の補償対象外となる。窓口に毎日問い合わせが殺到しているため、顧客が政府の救済措置を受けられるよう案内する仕事が待っている。


「優しそうな人だね、にいちゃん」

「うん。すごく良い人だったよ」


 さとるが無人島で戦えたのは密かにゆきえを心の支えにしていたから。そうでなければ最初の襲撃でリタイアしていた。今こうして生きていられるのは彼女のおかげだ。


「……堂山どうやまさん、さよなら」


 マイクロバスが見えなくなるまで、さとるはその場に留まり続けた。







 シェルターの代わりに用意された施設は、数年前までデイサービスの事業所として使われていた大きな建物だ。築年数は古いがリフォーム済みで、室内は綺麗に整えられている。元介護施設ということもあり、個室や大部屋、食堂、浴室など設備が充実している。小さな子どもからお年寄りまで安心して過ごせる造りとなっている。


 安賀田あがたの妻、ちえこは個室に入ることとなった。難病と薬の副作用のため、あまり起きていられない。ほとんどをベッドの上で過ごすので、上階にある眺めの良い部屋が割り当てられた。

 夫の死を知ってから、ちえこはどんどん弱っていった。周りに心配かけまいと常に気丈に振る舞っているが、食欲は無くなり痩せ細る一方。担当の医師や看護師は、何とかして元気付けられないかと日々頭を悩ませていた。


 ある日、さとるとみつるが揃ってちえこの部屋に訪れた。

 シェルターに居た時から時々会いに来てくれる二人を、ちえこはとても気に入っている。彼らと語らう時間が施設での一番の楽しみなのかもしれない。


「ちえこさん、お願いがあるんですけど」

「なぁに? どうしたの」


 いつになく改まった様子のさとるに首を傾げる。

 何でも叶えてやりたいが、今のちえこは何もしてあげられない。せいぜい話し相手を務めるくらい。


「オレ達、事情があって名前を変えなきゃいけないんです」

「まあ、名前を?」

「それで、その……迷惑じゃなかったら……『安賀田』って名字を借りてもいいですか」

「えっ」


 思い掛けない話に、ちえこは笑顔のまま固まった。

 ちえこには詳しい事情は分からないが、この子ども達は『井和屋いわや』を棄て、新たな名字を名乗りたいのだという。そこで『安賀田』を希望し、ちえこの許しを貰いに来たのだ。


「好きな名字を選んでいいって言われたけどよく分かんないし、それなら知ってる人の名前の方がいいかと思って。オレ達のチームが任務を終わらせられたのは安賀田さんのおかげだから……」

「まああ、そんな風に言ってもらえるなんて、主人も喜ぶわ!」

「いいの?」

「もちろんよ!」

「良かった」


 同じ名字を名乗りたいと言ってくれたことが嬉しくて、ちえこは二つ返事で申し出を受けた。ベッドサイドの椅子に座るさとるとみつるの手を取り、満面の笑みを向ける。

 ひんやりとした細い指を握り返すと、硬いものがあった。ちえこの左の薬指にはめられた結婚指輪だ。痩せたせいでやや緩くなっているが、彼女はずっと身に付けている。


「嬉しいわ。いっぺんに二人も家族が増えたみたい」

「か、家族……?」

「おんなじ名字を名乗るんですもの。周りから見たら家族みたいなものだわ。親戚ってことにしちゃおうかしら?」

「家族かぁ……」


 朗らかに笑うちえこを見て、みつるは照れたように笑った。





「オッケー貰えましたか。では、このお名前で手続きしておきますね」


 事務室では、葵久地きくちが様々な事務処理を行っていた。

 協力者と保護対象者はみな病気療養と偽って仕事や学校を休んでいる。復帰の連絡を入れたり、提出用の偽の診断書を作成したり。元の生活に戻る者には協力費として報酬を支払っている。その振り込み手続きも全て情報担当職員達の仕事だ。

 さとる達の情報操作は葵久地が担当している。


「ちえこさんて他に家族いないの?」

「安賀田さん夫婦にはお子さんがいませんでしたからね。他県に親族が居ますけど、十年以上前に絶縁したそうですよ」

「そっか」


 家族が増えたみたいだと彼女は笑った。名字を借りるだけで養子縁組をするわけではない。それでも、安賀田の姓を名乗る者が増えて嬉しかったのかもしれない。


 ちえこの痩せた手の感触を思い出し、さとるは少し考え込んだ。


「オレ達の戸籍いつ頃出来そう?」

「数日は掛かると思います」

「ん、わかった」


 戸籍が無ければ働き口も住む場所も見つけられない。それまで施設内でじっとしていても身体が鈍ってしまう。


 さとるは自分がやるべき事を見つけ、早速真栄島まえじまに相談しに行った。

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