最終幕 希望
第五十六話・人生を左右する話
シェルターから出て行く者が増えた。住んでいる地域が爆撃の被害を免れ、任務で大きな怪我を負わずに済んだ者は保護対象者と共に家に帰るのだ。
「みつる君、色々ありがとう」
「お父さんと仲良くね、りくと君」
マイクロバスに乗り込む前、りくとはみつるの手を握り、涙目でお礼の言葉を繰り返した。そんなりくとを見て、みつるも泣きそうになっている。
二人が出会い、交流を深めた学習塾はもう無い。住んでいる地域も通う学校も違う。ここで離れたら次に会えるのはいつになるか。
ちなみに、江之木の職場は無くなってしまったが、本社に無事を伝えたところ、別支店への異動が決まった。しばらくは壊れた職場の片付けや残務処理に追われることになるが、職を失わなかったのは運が良い。
「これ、ウチの連絡先。近くに寄ったら遊びに来い。おまえらならいつでも歓迎だ」
「ありがとう江之木さん」
みつるとりくとが別れを惜しむ隣で、江之木がさとるにメモを手渡した。自宅の住所と電話番号、メールアドレスなどが書かれている。
「帰る家あんのか?」
「それはまだちょっと考え中で」
「行くとこないならウチに来てもいいんだぞ。一戸建てで部屋は余ってるからな」
これは江之木の本心からの言葉だった。
結婚してすぐ戸建てを買い、そこで生まれてくる子どもと三人で暮らすつもりだったのだ。不幸にも江之木の妻は出産時に死んでしまった。以来、思い出の残る家を手放すことが出来ず、ずっと住み続けている。りくとと暮らすようになってもまだ広い。
さとるとみつるの人の良さは分かっている。それに、みつるが来てくれればりくとが喜ぶ。
「落ち着いたら絶対連絡寄越せよ」
「忘れなかったらね」
軽く小突かれ、さとるは肩を竦めて笑った。
シェルターから出た後には幾つかの選択肢がある。
江之木親子のように自宅に戻るか。
ひなたのように保護施設に移るか。
支援を受けて新しい土地に行くか。
しかし、それを選ぶ前に、さとる達には考えなくてはならないことがあった。避けては通れない、人生を左右する大きな選択が。
江之木親子を見送った後、さとるは会議室へと呼び出された。促されて椅子に腰掛ける。向かいに座る男性……
「調査結果が届きました。……
「……そうですか」
さとるは深い溜め息をついた。
もし大怪我をしたと言われたら気持ちは揺らぐだろうし、死んだと言われれば涙を流すだろう。それくらいの情はある。でも、母親が無事だと分かったのに素直に喜べなかった。
「君達が居なくなった翌日、あやこさんは捜索願いを出しています。もちろんこれは受理だけして、警察は動いておりませんが」
「……」
あの日の朝、迎えのマイクロバスに乗り込んだ直後、さとるのアパートにあやこが押し掛けてきた。普段なら絶対に起きてこないような時間帯だ。一緒に暮らすみつるの姿が見当たらず、心配したのかもしれない。
だが、そんな母親の姿にさとるもみつるも怯えていた。
「今なら、今の混乱した状況下ならば、君達の希望通りに対応することが出来ます」
真栄島は、いつものように穏やかな笑みを浮かべ、向かいに座るさとるに優しく語り掛けた。
「──元の生活に戻るか否か、決めて下さい」
元の生活に戻るか否か。
選択を迫られ、さとるは息を飲んだ。
「元の生活に戻るのであればご自宅までお送りします。しかし、戻りたくないのであれば、君達兄弟を『死んだこと』にする必要があります」
「……」
「生きていると知られれば、さとる君はともかく、未成年であるみつる君は母親の元に帰さなくてはなりません。あやこさんには親権があります。あちらから要求されれば従わざるを得ません。もし縁を切りたいのであれば、この混乱した時期のうちに死亡したことにしてしまったほうが話が早いです」
真栄島の言いたいことは分かる。
書類上死ねば親から解放される。爆撃の被害に遭ったことにしてしまえば遺体が無くても怪しまれない。こんな手段を選べるのは今だけだということも。
「その場合、オレ達の戸籍はどうなるんすか」
「あやこさん側に死亡の記録だけを残して、実際には別に移すことになります。その際、名字は変更した方がいいかもしれませんね」
「……」
無戸籍になるわけではない。みつるの将来に悪い影響が無いのであれば、さとるに異論はない。
「もう一つの選択肢として、みつる君だけをあやこさんの元に帰すという道もあります」
その道を選んだ場合、みつるとは会えなくなる。
もし自分というサポートが消えたらどうなるか。こんな事態になる前から何度も何度も想像してきた。その度に一人で逃げ出したくなる気持ちを無理やり抑え込んできた。
「……弟と話をしてきてもいいですか。オレが勝手に決めるわけにはいかないんで」
「もちろん。後悔のないように、よく話し合ってください」
会議室から出て通路を歩く。
シェルターからはどんどん人が減っている。江之木親子も自宅に戻った。残っているのは、新たに外部に用意される施設に移る人達と職員、怪我や持病で入院している人達のみ。知った顔が減る度に、帰る場所が定まらない不安に襲われる。
家が無くなったわけではない。家族が亡くなったわけでもない。何もかも失くした人も少なくない中で、自分の気持ちだけを優先して良いものか。自分だけが我慢すれば済むのではないか。こんな事態になって、もしかしたら母親は変わってくれたのではないか。そう期待する気持ちも僅かにあった。
考えがまとまらないうちに与えられた部屋の前に辿り着き、深呼吸をしてからさとるは扉を開けた。
「にいちゃん、おかえり!」
「ただいま、みつる」
井和屋兄弟に与えられているのは家族用の部屋で、左右の壁際に二段ベッドが置かれ、中央にはテーブルがある。みつるは本を読んでいたが、兄の姿を見てすぐに栞を挟んで本を閉じた。
「顔色悪いよ。具合悪いの?」
「あー……いや、大丈夫」
どう切り出したものか分からず、さとるはみつるの向かいの椅子に腰を下ろし、深い溜め息をついた。
「りくと君、帰っちゃったね」
「そうだな」
「遊びに来てって言ってくれたけど、僕、飛多知市行ったことない。にいちゃんは行ったことある?」
「あるよ、電車でだけど」
「そっかぁ」
元気のない兄の気を少しでも紛らわせようと、みつるが話し掛ける。気を使われているのが分かり、さとるも笑顔を取り繕った。
江之木親子の自宅は飛多知市にある。さとる達の住む馬喜多市のすぐ隣の市だが、もし死んだことにして違う場所に移り住んだ場合、簡単には行けなくなる。母親に見つからないようにするためには出来るだけ離れた地域に住む方がいい。新たに用意される施設も地元からはやや遠いという。
「あのさ」
「うん?」
ぐるぐる考えても答えは出ない。
さとるはようやく腹を括って口を開いた。
「母さんは生きてる。家も無事だって」
「えっ……」
兄からの報告に、みつるは表情を硬くした。
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