第三十七話・安心できる場所

 夜が明けた頃、三ノ瀬みのせの衛星電話に連絡が入った。シェルターで待機している葵久地きくちからだ。彼女はあれから行方不明の三人、特に尾須部おすべのことを調べていた。


『尾須部とうごの身元を再度調べてみたんですが、これといって不審な点はありませんでした。幼少期から成績優秀で大学も良いとこ出てますし、犯罪歴はもちろんないです』

「ふうん、普通に頭のいいお兄さんてわけ?」

『そんなところですね。両親が地元議員の熱心な支援者っていうくらいで、本人は政治的な活動には全く参加していません』

「なーんだ。もっとエグい過去が出てくるかと思ったのにぃ」

『三ノ瀬さん!!』


 葵久地の話を聞く限り、尾須部に思想の偏りはないようだった。やはり、今回の中学生連れ去りは独善的な正義感に基づく暴走なのだろうか。


『あと、国会議員の阿久居あぐいせんじろう氏の動向も調べてみました。昨日の午後東京の議員宿舎を出て、車でこちらに向かっているとのことです』

「え、車で? 時間掛かりそう」

『旅客機や鉄道はまだ動いてませんし、無事なルートを選んで陸路で移動する方が確実ですから。明日の早朝までには那加谷なかや市に到着するかと。講演会は午後イチからなので間に合いますね』

「私達の方が先に着いちゃいそう〜」

『船旅が順調で何よりです。現在、会場は避難所になって混雑しているそうなので、人探しは難しいかもしれませんね』

「んん〜、そっかあ〜」

『ちょっと気になることがあるので、調べたらまた連絡します』

「わかった、ありがとう葵久地さん」


 通話はそこで終わった。

 船は既に那加谷市の沖合い数キロ地点まで来ている。講演会の会場は埠頭エリアのポートピアホール那加谷という大型イベント会場で、行こうと思えばすぐに行ける距離にある。しかし、標的の阿久居が不在では、みつるとりくとの居場所を見つけ出すのは難しい。


「どうしよう、時間が空いちゃったわね」

「被災者のフリして避難所に入り込む?」

「それも有りかな〜。ていうか、結局ゆうべはあんまり眠れなかったから少し休みたいかも」


 ニセ巡視艇の襲撃以降、なんとなく気が休まらなくて全員眠れぬ夜を過ごした。このままのコンディションでは思うように動けない。船内で休むにも限度がある。


「じゃ、一度港に寄ろっかー」

「え?」

「那加谷埠頭には色んな会社がそれぞれ船着き場を持ってるからねー。知り合いのとこ行く」


 そう言って、アリは舵を切って漁船の向きを変えた。時折無線でどこかに連絡しながら、入り組んだ埠頭の狭い海路を進んでいく。

 陸地に見えるのは大きな倉庫や工場ばかり。雰囲気は登代葦港に似ているが、それより規模が大きい。貨物船が行き交う中に古びた小さな漁船が混じっているのが不自然に感じた。


 アリが頼ったのは、とある海運会社の社長だった。日焼けした恰幅の良い初老の男性で、突然訪れた見知らぬ客を笑顔で出迎えてくれた。

 従業員に日系人が多い関係でアリと知り合ったという。社長は船着き場だけではなく休憩所まで提供してくれた。


「後で会場近くまで送ってやるから少し休みなさい。全員ひどい顔色だぞ」

「すみません、お世話になります」

「困った時はお互い様だ。気にせんでいい」


 徹夜で船を動かしていたアリはもちろん、さとる達もほとんど休めていない。休憩所でシャワーを借り、仮眠を取ることになった。畳と座布団しかない部屋だが、船の甲板よりは居心地がいい。そのまま三ノ瀬達は横になった。






 何処かから漏れ聞こえる話し声に、さとるは目を覚ました。トイレを借りるついでに声のする部屋の扉の隙間から様子を窺う。


「相変わらず無茶ばかりして。そんなんじゃ体が幾つあっても足らんぞ」

「分かってる」

「あーあ、こりゃ痕が残るな。まったく」


 上半身裸で背を向けるアリと、社長の姿が目に入った。アリの背中には青アザが幾つも出来ており、それに社長が湿布を貼っているところだった。いつのものか分からない古傷もたくさんある。

 こうして見るまで、アリが怪我をしていたことすら気付かなかった。


「……おまえならどこでもうまくやれるだろうに、何もこの国にこだわらなくても」

「他人のことより自分の心配したらー? 従業員は全員避難させたクセに、なんでまだ居んの」

「俺はいいんだ。いつおまえが来るか分からんしな」


 さとるは気付かれないように休憩所に戻った。





 さとるが次に目を醒ました時、休憩所には誰もいなかった。慌てて身体を起こして壁掛け時計を見る。時刻は三時。窓の外は明るいので昼間だろう。波の打ち寄せる音が微かに聞こえる。

 部屋から出ると、狭い廊下の突き当たりの部屋から人の気配がした。


「……シェルターに関する具体的な話は世間に公表されていない。誰かが上で止めとるんだ。ここいらだと県議会議員の若手グループだな。人権がどうのこうの言って無償解放すべきだと反対しとる。おかげで一般市民のシェルター入りどころか情報公開すら進まないうちに爆撃が始まってしまった」

「葵久地さんからの報告にもあったわ。ホント困るのよね、そーゆーの」

「だから俺らのシェルターに人がいなかったのか。てことは、シェルターにいるのは職員と協力者、保護対象者だけか」

「入る条件にお金があるから人権のことを言われちゃうと弱いわ。だからって希望者全員を受け入れられるほど収容人数キャパシティは多くないもの。どこかで必ず線引きが必要なのよ」

「要は、カネを持ってない層に対するパフォーマンスだな。そのせいで逆に助かるはずだった命が失われて……まぁ、今更シェルターに入れても意味はないが」


 テーブルを囲んでいるは、社長と江之木えのき、三ノ瀬の三人だ。アリは別室で休んでいるのか姿はない。大人だけで情報交換をしているようだ。置いていかれたわけではないと分かり、さとるは安堵の溜め息をついた。

 難しそうな話をしているようだし、まだどこかに行く様子もない。休憩所の部屋に戻ろうと踵を返したが、話題が自分に移ったことに気付いて立ち止まった。


「それで、あの男の子をどうするんだね。危ないことをするようならここに置いていきなさい」


 その言葉を聞いた途端、さとるは扉を開けて部屋の中に押し入った。突然のことに、室内にいた三人が驚いて顔を上げる。


「お、起きたの、さとる君」


 三ノ瀬が愛想笑いしながら話し掛ける。珍しく動揺しているようで、やや顔が引きつっている。


「オレを置いてこうとすんなよ」

「してねェって。心配してくれてるだけだろ」


 不機嫌さを隠そうともしないさとるに江之木が諭した。そのやり取りを見て、社長は呆れたように小さく息をついた。


「仲間外れにされると思ったかね?」

「……別に。子ども扱いが嫌なだけです」


 ムキになればなるほど自分が子どもだと認めるようで、さとるは言葉遣いを取り繕った。


「コイツは弟を探してんだ。俺の息子と一緒に連れ去られたんでな。だから、今更引き退らねェよ」

「なんだ、誘拐か?」

「誘拐というか、騙されて付いてったというか」


 江之木はハッキリ答えられなかった。

 阿久居せんじろう議員の暗殺云々の話は残された情報から導き出した推測に過ぎない。無理やり連れ去られたわけでもない。ただ、安全な場所にいた子ども達を保護者に無断で他人が連れ出した、それだけが唯一の事実。


「本人の意志で付いてったんなら見つけても素直に帰ってこないんじゃないか? 聞き分けがいい子なら、そもそも親に黙って行かないだろ」


 社長の指摘に、江之木は苦い顔で俯いた。

 親子の仲はうまくいっていなかったと、さとるは聞いている。父親より尾須部を信頼しているとすれば、もし見つけたとしても素直に戻らない可能性が高い。

 みつるはどうか。尾須部とは今回の件まで面識はなかった。信頼度で言えば、必ずさとるを選ぶはずだ。


「何にせよ、明日になったら会場近くまで車で送るから、今日はゆっくり休むことだ」

「何から何までありがとうございます」

「アリが連れてきた客だ。丁重にもてなさんとな」


 三ノ瀬から頭を下げられ、社長は笑って椅子から立ち上がった。彼ももう休むのだろう。そろそろ休憩所に戻ろう、と他の二人も席を立つ。

 部屋から出る前に、さとるが振り返った。


「あの、アリ……とはどういう関係なんですか」

「単なる昔馴染みだよ。たまーに顔を見せにくる程度の付き合いだ。あの子がこうしてここに人を連れてくるなんて、日系人以外じゃあんた達が初めてかもしれんなぁ」


 あまりにも社長が穏やかな笑みを浮かべているので、それ以上尋ねることも出来ず、三人は休憩所に戻った。

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