四話 見えざる魔女が生まれた話

「私が思うに結局のところ人類は魔女に甘え過ぎていたのだろうな。その命運を一個人に任せたまま感謝もしなければ、いずれは見捨てられるのは目に見えているというのにだ」


 見えざるものの実在が事実であると仮定できるなら昨夜起こったことの推察は容易い。けれどそれはともすれば魔女の怠慢たいまんによる被害という責任転嫁になりうるが、支倉司令官は怠慢があったのは人類の側という見識であるらしい。


 僕としてもそれは同意見ではあるが、それはつまり都市の防衛を束ねる彼自身の怠慢であったと認めるに等しい…………いや、だからこそそう口にしているのだろう。支倉司令官の顔は今も威厳いげんに満ちているが、同時に自身に対する失望が見える。


「見えざる魔女は今もここにいるのかね?」


 周囲を見回すような真似はせず、僕の目を見て支倉司令官は尋ねて来る。


「いえ、僕の邪魔にならないように着いては来ないと」

「そうか」


 支倉司令官は安堵あんどしたように、もしくは贖罪しょくざいの機会を逃したというように瞑目めいもくする。


「あの、司令官」


 あちらからの言葉が途切れたので僕の方から口を開く。


「司令官は見えざる魔女がどのような存在なのかご存じなのでしょうか?」

「どのような存在とは?」

「ええとその、つまり彼女らがどうやって生まれたのかというような」


 現時点で僕が知っているのは見えざる魔女が見えざる獣と同質の存在であり、頼りない防衛隊に代わってこれまでこの都市を守ってくれていたことくらいだ。


「魔女本人からは聞いていないのかね?」

「その辺りの詳しい話はまだ」


 一度に情報を詰め込んでも混乱すると思ったのか、それとも自身も死にかけて仲間を失った僕に気を遣ってくれたのか、ともあれ結は多くは話さずに僕を一旦解放してくれた。


「それであれば当人が語っていないことを私が話すのも…………いや、君が符丁ふちょうを教えられたという事は私の側から事情を話せという事か?」

「…………符丁、ですか?」

「魔女が右手に何を持っているかと尋ねただろう。あれは魔女を見たと言い出す者がいたらそう尋ねて確認するよう申し送られていた事なのだよ。その答えを知るのは代々の司令官か見えざる魔女のみ…………つまりそれを知っている者は実際に見えざる魔女を認識できたものであるという証明になる」


 それに僕はなるほどと納得する。普通魔女が手に持っているものを想像すれば杖やほうきになるだろうから、当てずっぽうで考えても機関銃なんて答えは出て来ない。


「そしてその符丁に答えるものが現れたら、司令官の全ての権で最大限の便宜べんぎを図るようにとも申し送られている」

「それは…………」


 たったそれだけで破格過ぎないかと一瞬僕は思ったが、見えざる魔女の孤独を癒す唯一の存在が現れたと考えたらおかしくもない話ではある…………何せその魔女の機嫌ひとつで昨夜この都市は崩壊しかけたのだから。


「だから私には防衛隊の司令官としてその質問に答える義務があるわけだ…………とはいえ私もあくまで申し送りとして渡された資料を読んだに過ぎない。細かい点や気になる事があったらそれは魔女本人に直接尋ねたほうが良いだろう」

「はい」

「では、話すとしよう」


 そう言って支倉司令官は話し始める…………人類の終わりの歴史とその抵抗を。


                ◇


 始まりはいくつかの失踪事件で、それが見えざる獣という脅威によるものだと人類が気付くまでの話は知られている通り。ただ一つ違ったのはその見えざる獣を発見した科学者の話だった。支倉司令官によればある一人の天才科学者が見えざる獣という認識できない脅威の存在に気付き、また現在でも使われている探知機や銃弾を開発したのだそうだ。


 けれどそれらの道具が有効な状況が限られているのは周知の事実、もちろん改良が進めばそれらの道具はもっと確かな効果を発揮するようになっただろう…………ただ、その改良の時間が人類には残されていなかった。


「だからその科学者はもっと手っ取り早い手段を取る他に無かったのだろう」

「それが、見えざる魔女ですか?」

「そうだ。それがいかなる方法だったのかはもはや知る術もないが、その科学者は適性のある人間を見えざる獣と同質の存在へと引き上げる方法を発見していたらしい…………資料によれば流石にその科学者自身もなぜそうなるかの理解は出来なかったようだが」


 あくまで経験則という事だったらしい。こうすればこうなるというのが分かっていてもどういった理屈でそうなるかまではわからない…………しかしまあ、人類には認識できないような存在に気付くどころか、その同質の存在にまで引き上げる方法を見つけるだけでも充分以上におかしいほどの天才だと僕は思う。


「その計画の一段目に選抜されたのは百名ほどの少女達だったそうだ。成功例の無い実験の被験者に選ばれるにしては多い数だが、人類を守る数としては少ない…………それだけ当時は切羽詰まった状況だったという事なのだろうな」


 普通は直接人で試すにしても少人数で失敗しないか様子を見る。それが出来ないくらい当時は追い詰められていて、成功する前提で実験が行われたという事なのだろう。


「しかし資料にはその実験の結果に関しては書かれていない。ただ一つ確かなのはその実験の現場となった研究所は崩壊し、実験に参加した科学者の全てと被験者の消息がつかめなくなってしまったという事だけだ」

「それは…………失敗だったのでは?」


 今聞いた限りではそうとしか僕には思えない。


「だがそれから間もなくして都市の原型となったシェルターのいくつかで、見えざる獣の被害が激減することになった」

「それは」

「実験に成功して見えざる魔女となった少女達が、あらかじめ指定されていたシェルターを守ったのだろうと推察されている…………もっともその数は五十にも満たない数だったようだが」


 全員は成功しなかったのかそれとも他の要素か、いずれにせよ見えざる魔女となって残った少女達だけが予め伝えられていた担当のシェルターを守りに行ったという事らしい。


「それでも彼女ら見えざる魔女のおかげで人類が生き残ることが出来たのは確かだ…………その後連絡がつかなくなった都市はいくつもあるがね。それにしたって魔女が敗れて都市が滅んだのか、愛想をつかされたのか、それとも見えざる獣によって地下の通信ケーブルが切断されただけなのかはわからない」


 現状で各地に点在する人類の拠点であると城塞都市との連絡を繋ぐのは地下の通信ケーブルだけとなっている。昔は宇宙に衛星が飛んでいてそれで通信も出来たらしいがいずれも経年劣化で壊れてしまい、代わりを打ち上げることも出来ずに今に至るらしい。


 そして唯一の通信手段である地下のケーブルが何らかの要因で破損してしまっても修理の為に都市外へ出る事は出来ず、そのまま繋がる先の都市との通信は途切れてしまう。


「その、見えざる魔女を生み出す試みがその後は行われなかったんですか?」


 そのことを僕は疑問に思う。実験の結果として研究所が崩壊したのは大問題ではあるが、結果を見れば何人かの見えざる魔女を生み出すことは成功している。それだけ人類が追い詰められた状況下なら犠牲を覚悟で戦力増強のために再度行ってもおかしくはないと思うのだ。


「当初はその予定だったという話だ」


 当初という部分を強調して支倉司令官は言った。


「第二、第三と実験を行い見えざる魔女の数は増やしていく。さらに研究を進めていずれは適性の無い人間も、人類全てを引き上げて同質の存在とする…………被験者である少女達にはそう説明して実験への参加を納得させたようだ」


 それは見えざる魔女たちに与えられた空約束だ。

 他者から認識されない孤独はいずれ癒されるという何の確約も無い偽りの希望。


「だが実験はそれ以降行われることなく、それどころか見えざる獣に対するあらゆる研究も頓挫した…………見えざる獣に対する兵器類が何の改良も行われていないのもそれが理由だ」

「なぜです?」

「全ての研究データを握っていたその天才科学者が最初の実験で消えたからだ」

「…………」


 それを聞いて僕の中に憤りが生まれる。そんな貴重な人材であれば危険のある実験に立ち会わせるべきでなかったし、研究データだって安全な場所にバックアップをしておくものではないだろうか。


「君の憤りもわかるが当時の人々もそれほど馬鹿ではない。資料によれば単純にその科学者以外に実験をとり行える者がいなかったそうだ…………隔絶した天才というのも困り者だな。同様の理由で研究データも彼以外の者が取り扱えばそれが人類を破滅させる要因になりかねず、やむを得ず彼の管理下のみでの保管だったようだな」


 まさか研究所ごと崩壊するとは誰も思っていなかった、ということらしい。


「だがまあその科学者は人間としては間違いなく善人だったのだろう。予め各シェルターには見えざる魔女への対応の手順が事細かに送られていた…………あの符丁もその一つだ。研究のよる結果でならずとも自然発生的に君のような存在が現れる事を想定していたのだろう」


 善人であれば少女にそんな無体な実験を、と僕は思ったが…………それでも実行せざるを得ないくらい追い詰められた状況だったのだろうとも思う。だからせめてもと自分が死んだ場合も想定して彼女らの為に出来る事はやっておいたという事なのだろうか。


「さて、君の質問に対して答えられるのはこんなところだと思うが」

「あ、はい。充分です」


 見えざる魔女の成り立ちの説明としては充分聞けた、僕としてはそう答えるしかない。


「あの、それで僕は今後どうしたらいいのでしょうか?」


 流石に自分がこの都市の命運を左右する立場なのだとは理解している。

 この都市で生まれた人間としても防衛隊の一員としても僕はここで暮らす人々を守りたい…………その為であればどんな命令でもこなす意思があった。


「好きにしたまえ」

「は…………?」


 その返答に思わず僕はほうけてしまう。


「君の自由にしていいと言ったのだよ。私の権限で君が自由に行動できるように辞令は出しておくし、申請さえしてくれれば経費はいくらでも出そう…………その上で何をするのも君の自由だ」

「ええと、ですが…………」

「確かに司令官として君に見えざる魔女を懐柔するよう命じるのは簡単ではある…………だが私にはそれが良い結果を生むとは思えなくてね」

「…………」


 確かにそうかもしれないと僕も思う。支倉司令官から命じられれば僕が結にどんな行動を取ってもそのフィルターが入る…………いつかそれが僕と彼女の関係の枷となる可能性はあるかもしれない。


「だから何をするのも君の自主性に任せる。君がこれまで通りに生活したいというのならそれも止めはしないし、そのように調整しよう。もちろん何かあった時に私であれば話は聞く…………君にも事情を知る相談相手は必要だろうからな」

「…………はい」


 僕には頷く他ない。選択肢はほぼなかろうともそれを僕が選んだというのが重要なのだ。


「これが私の個人での連絡先だ。気兼ねなく連絡してくれ」


 この日、支倉司令官僕のがメル友になった。

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