三話 見えざる魔女と防衛隊

 どれだけ衝撃的な事態が起ころうが時間は平等に過ぎるもので、与えられた一日の休養の時間も過ぎて防衛隊に出勤する時間になった。意外だったのはひとまずの自己紹介と説明を終えた結が、落ち着いて状況を呑み込む時間をと僕に一人の時間をくれたことだ。


 彼女からすれば僕はようやく見つけた孤独を癒す相手で、事情を知った時点で一晩くらいは拘束されることを覚悟していたのだ。


「がっついて嫌われたくはないの」


 けれどそう告げて結は去って行った。そのおかげで僕も自室でゆっくりと休んで頭の中を整理することが出来たのだ…………まあ、考える事があり過ぎてまとまったとはとても言えないのだけれど。


 それでも、小隊長や宮崎に他の隊員たちの死を静かにいたむことは出来た…………彼女のいる場ではとてもできなかっただろうから。


「出勤、か」


 考えをまとめる時間を貰えたおかげであの夜の自分の行動は整理できて正確に話すことが出来る…………問題は防壁から飛び出した後の事だ。見えざる獣や結の事が見えるようになったことを話していいものか悩む。


 普通に考えれば頭がおかしくなったと思われるのがオチだろう。


「おはようなの」


 そんなことを考えつつアパートの玄関を出ると目の前に結が立っていて思わず止まる。昨日のうちにせめて何か羽織って欲しいと頼み込んだおかげかシンプルに布を首から羽織ってくれてはいるが、その下には相変わらず裸体が覗いている…………というかそれ以前にずっとそこで待っていたというように立っていられるのは怖い。


「お、おはよう」


 それでも何とか僕は気持ちを立て直して挨拶を返す…………それだけで結の表情が嬉しさに崩れるように赤く緩んだ。僕からすれば朝の挨拶など毎日意識することもないほど繰り返している事だけど、彼女からすれば一体どれだけぶりだったのだろうか。


「これから出勤なの?」

「そうだけど…………ついてくるの?」


 別に嫌というわけではないけれど、結の格好からすれば落ち着かない気持ちはある。


「ううん、あなたの邪魔をするつもりは無いの」

「それは、助かるけど…………」


 物分かりが良すぎるように僕は思う。昨日のこともそうだけどようやく見つけた自分を見える存在なのだから、もっと拘束しようとして来ても本来ならおかしくない。


「正直に言えばあなたを監禁して自分のものにしたいという衝動はあるのよ」


 そんな僕の表情を読んだのか結は隠すことなくその気持ちを明かす。


「でもそれ以上にあなたに嫌われたくないという気持ちがあるの…………幸いにしてあなたはわたくしに気を遣ってくれているのだからそれを崩すつもりはない、なの」


 つまりは僕に嫌われないために大きな譲歩をしてくれているという事らしい。それはとても助かるのだけど、彼女の長い孤独の時間を思えば申し訳ないという気持ちがしなくもない。


 もちろん僕だって監禁までされるのは御免だが、彼女は少しくらいわがままを言っていい立場ではあると思う。


「仕事が終わったらちゃんと時間を取るから」

「それに関しては問題ないの」

「え」


 きょとんとする僕に結はきっぱりと告げる。


「あなたに迷惑をかけるつもりはないけど、妥協するつもりも無いの」


 その言葉には断固とした意志が込められていた。


「防衛隊の司令官に魔女に会ったと告げるの」

「え、でもそれは」


 信じてもらえるはずもない。


「余計な事は言わずに会ったことだけを伝えるの…………そうして呼ばれたら魔女はその手に機関銃を握っていたと答えるの」

「えっとそれは…………?」


 僕にはまるで意味が分からない。


「言えばわかるのよ」


 戸惑う僕に、結は悪戯をした子供のように唇を緩めて見せた。


                ◇


 基本的に組織と言うものは大きくなるにつれ下っ端からトップへと声を届かせるのは難しくなる。五千人以上の隊員を抱える防衛隊もトップである司令官の下にはいくつもの管理職が存在しており、普通であればその管理職へ下から順に声を届けていかせるしかない…………そのうちの誰かが不要だと判断すればそこでおしまいだ。


 けれどなぜか防衛隊には司令官直通の連絡先というものが存在する。いわゆる幅広い意見を募るための目安箱ではあるが、実際は司令官に伝えられる前に選別されているだろうというのが隊員の認識であり、メアドから個人が割れるので当たり障りのない希望などを送るくらいにしか使われていなかった。


「昼月隊員。君は司令官が直接聴取を行うそうだ」


 しかし聴取の為の待機で食堂に他の隊員たちと集まっていたところ、いきなり司令部付きの職員がやって来て僕にそう告げたのだ。


「えっ!?」


 待機前にメールを送りはしたがまさか直接の呼び出しがあるとは思っていなかった。近くに座っていた生き残った小隊の仲間も驚きの表情でこちらを見ているが、流石にこの場で詳しく説明するわけにもいかず自分にもわからないという表情をするしかない。


「あの、なんで僕を?」

「司令官は現場の声を直接聞きたいそうだ。第一防壁に配置されていた隊員を無作為に抽出して選ばれただけで、君が選ばれたことに特別な理由があるわけではない」


 僕、というよりも周囲に説明するように伝令の職員が告げる。それが本当なら僕が選ばれたのはメールと関係ない偶然ということだろうか…………そんなわけはない。どう考えてもこの特例の呼び出しを他の隊員たちに納得させるための表向きの理由だろう。


「わかりました」


 ともあれ逆らう理由も権限も無いので僕は職員に従って席を立つ。今の説明である程度の興味が削がれたのか他の隊員たちの注目もそれほどではなくなっていた。


                ◇


「では私はこれで」


 職員に従って司令室まで来ると彼は一礼して去っていく…………出来れば中に入るまで付き添って欲しかったのだが無情にもその背中は遠ざかっていく。司令室の扉はその威厳を示すように豪奢でとても重厚であり入ろうとする意志を躊躇わせた。


 とはいえ司令官を待たせるわけにもいかない。


 コンコン


 覚悟を決めて僕は扉をノックした。


「防衛隊所属一般隊員昼月陽、招集に応じて参りました」

「入れ」


 名乗ると命じることに慣れた重い声が返って来る。それに覚悟を決めて僕は司令室の扉へと手を掛けた。


「失礼します」


 重い扉を開けて中に入ると急に世界が開けた。広い。ただ個人が執務するだけなら明らかに必要のないスペースには様々な調度品や設備が備えて付けられている。そして入り口正面の最奥に執務用のデスクが備え付けられていて、そこに座る司令官との目が合った。


 東都防衛隊司令官、支倉庵はせくらいおり。まだ三十代ながら一般隊員から司令官まで登り詰めた生え抜きの将として隊員たちからの評判も高い。訓練から遠ざかってもまだ衰えてはいないのか、こちらを見る視線は鋭くその体幹に揺るぎはない。


「来たまえ」

「はい」


 招かれて僕は司令官の座るデスクの前まで歩いて行く。値踏みするようなその視線は物理的な圧力を持っているようで胃が重く感じる。


「さて、君も知っての通り状況が状況で時間が惜しい…………単刀直入に聞く」

「は、はい!」


 何を聞かれるのかと僕は身を正して緊張する。


「魔女はその手に何を握っていた?」

「!?」


 そして放たれた言葉に思わず身を固くした…………けれどすぐに答えなくてはと気づく。


「魔女はその手に、機関銃を握っていました」

「…………そうか」


 重々しく支倉司令官は頷く。


「やはり見えざる獣も魔女も妄想の類ではなかったという事か…………」


 そして呟かれた言葉に僕は目を丸くする。


「知っているの、ですか?」


「司令官だけに伝えられる申し送り事項のような物だ」


 思わず口にした質問に支倉司令官が答える。


「元より見えざる獣の脅威自体は公式のものではあるが…………見えざる魔女の存在に関しては司令官だけに申し送りされる機密事項なのだよ」

「なぜですか!」


 僕は思わず声を荒げる。その存在が周知されていれば結の孤独も少しはマシになっていたはずだ。その存在を認識できずとも人々が彼女に感謝する気持ちを表に出していれば彼女はこの東都を見捨てるほど追い詰められなかったかもしれない。


「普通の人間には認識できない…………その存在を証明することも出来ない存在に都市が守られているなどと民衆は納得できないからだ」


 ましてやその脅威たる見えざる獣の存在自体も証明不能な代物だ。普通の人間に認識できるのは見えざる獣がもたらす消失という結果だけであり、その被害を持って存在を証明するというのは都市を危険にさらすことに他ならない。


 それらを踏まえれば支倉司令官の言い分は正しい。人類滅亡の瀬戸際であった当時なら別だっただろうが、多少生活の安定した現状においては存在を証明できない者同士の戦いを明かしても何かを隠すための茶番としか思われないだろう…………結と会っていなければ僕もその理屈を素直に納得できただろう。


「しかし実在する脅威と守護者の存在を、上の人間まで架空と思っては防衛体制の維持すら崩れかねん。故に司令官を含めたごく少数にだけそれが事実であるという申し送りが行われているというわけだ」


 都市の防衛が安定して月日が経てば、認識できない脅威の存在を人々は架空の存在だと思い始める。それが人間の心理でありそれ自体はどうしようもない類のものだ。

 むしろそれが実在するのだと信じさせようとすればするほどその裏に何かあるのではと邪推させることになる…………で、あればいっそそれを無理に正そうとせず一般社会には外の脅威に対して不安を覚えず安定してもらう。その上で上層部だけは事実を直視して防衛体制を維持することを選んだのだろう。


「だがそれにも限度があったことは先日証明されてしまった」


 結局のところ上が事実と認識していても現場が認識していなければ真剣味は薄れる。それはどれだけ厳しい訓練を積ませたところでどうしようもない類の話だ。


 そしてそれをフォローするものがいなければどうなるかは…………あの夜が証明してしまった。

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