五話 見えざる魔女のあんまり自制してない自制心

「これは名目上使われていない倉庫になっている場所のカードキーだ。しかし実際は一部の人間の為の非常時用シェルターとして改装されている…………だがそれすらも定期的に物資を運び入れるための名目でしかない」


 つまりその場所は見えざる魔女の住居として確保されている場所ということらしい。それも恐らくは彼女らを生み出した科学者の配慮なのだろう。誰からも認識されない魔女であればどこで暮らすのも自由にできるが、彼女の存在を認識できないがゆえに人々は無遠慮ぶえんりょにやって来る。


 土地の限られている都市内では放置された廃屋もほぼないし、逆に誰からも邪魔されない一人の場所で文化的な生活を確保するのは難しい。


 そしてそんな希少な場所に入るためのカードを別れ際に支倉司令官から渡されたわけだが…………つまりはそこに行けという事なのだろう。司令官は僕に命令はしないとは言っていたが何の示唆もしないわけではない。まずはそこで彼女と今後について話し合えということか。


「ここか」


 教えらえた場所に近づくにつれ人気は減って行き、最後には誰も見かけなくなった。目立たせないためかその場所の作りそのものは簡素なもので、名目上の物置としての体裁なのか無機質で大きめの搬入用の扉があり、その隣に小さな普通の扉が備えて付けられていた。


 渡されたカードキーを小さな扉のカードリーダーに通すと問題なくロックが解除される。


「ようやく来たの」


 扉が開くと今朝方と同じく目の前に結が立っていた。扉の目の前に立っていたせいでいきなり距離が近くて心臓に悪い…………というかそこでずっと待っていたことを考えると怖い。


「ええと、出来ればその待ち方は止めて欲しいんだけど」


 二度目があるなら三度目もある。流石に毎回同じように驚かせられるのはごめんなので僕は頼んでおくことにした。


「…………待ちきれなかったの」


 僕の言葉に自分の行為を客観視したのか結が少し目を逸らす。そんな反応を見せてくれるなら頼みは聞いてくれそうだと僕は少しほっとした。


「気持ちはわかるけど控えてくれると嬉しい」

「努力はするの」


 その努力が実る事を僕は祈ろう。全裸じゃなくなっただけマシとは言え、いきなり目の前に裸マントの少女が現れるというのは本当に困る。


「ありがとう…………それで、入ってもいいかな?」


 考えてみればここは結の居住スペースであり、いきなりそこに入ろうとしたのは無粋ぶすいだったように思える。もしかしたら扉を塞ぐように間近に立っていたのもいきなり部屋を見られて恥ずかしかったからの可能性も…………違うか。


「もちろんなの」

 頷いて結は僕に道を開ける。名目上は倉庫とシェルターであるせいか中に入るとそれなりの広さはあった。倉庫として考えるとやや手狭な印象ではあるが、あまり広すぎると外からも目立ってしまう可能性もある。ある程度の物資が搬入できて人一人が暮らすスペースを確保できるくらいの大きさなのだろう。


 中は物資などを置いておくスペースと居住スペースの二つに分けて使っているようで、居住スペースの方はパネルで区切って個室のようにしているようだ…………流石に興味本位でそちらに踏み入ってみる気にはならないが。


「気になるなら入っても構わないの」

「いや、流石にやめとくよ」


 そんな僕の視線に結がそんな提案をして来るが、いくら許可があっても人のプライベートスペースに押し入るのは無神経だろう…………ましてや彼女は僕の要求であれば多少の無茶でも受け入れてくれそうな事情を抱えているのだし。


「遠慮する必要はないのに…………でも、気を遣われるのは少し嬉しいの」

「…………」


 そんなことで喜ばれてもなんだか申し訳ない気分になる。


「とりあえずお茶でも飲むの」


 結は積まれた箱の一つから椅子を二つ取り出すと適当な広さの場所に設置する。そしてまた別の箱からお茶の入ったペットボトルを取り出すと僕に手渡した。


「ありがとう」


 特に反対する理由もないので僕は素直に椅子に腰を落ち着かせる。幾つもの箱が積まれただけの殺風景な倉庫の中でゆっくり椅子に座るというのもなんだか乙だ。常温保存だったのでお茶は冷えているわけではないが、部屋自体の温度が低めなのかぬるいとまでは思わない。


「そういえばご飯ってどうしてるの?」


 ちらりと見た限りではあるが食品の箱らしきものは保存の利くものがばかりだ。倉庫やシェルターという名目上は仕方ないのかもしれないが、僕であればやはり新鮮な食べ物も欲しくなる。


「極端な話を言えばわたくしたち見えざる魔女は食事を摂らなくても生きていけるの」

「…………そうなんだ」


 同じ人間にしか見えないのに生物としての在り様は随分違うらしい。


「でもそれじゃそのお茶は?」


 僕に渡したのと同じペットボトルが彼女の手には握られている。


「元々はわたくしも普通の人間なの…………全く何も食べないというのもなんだか気持ち悪いのよ」


 そう答えながら結はペットボトルの蓋を開けると、唇を付けてその中身を口に流し込む。言うなれば彼女にとって食事は嗜好品に近いのだろうか。言われて観察してみれば食品の割合もお菓子類が多い。


「それで基本的にはここにあるものを食べてるけど、新鮮なものが食べたくなったら食堂用の食糧倉庫の方に行くの…………そちらにもわたくしたち用の区分のものがあるのよ」

「へえ」


 頷きながらも僕はそれらの指示を出したという科学者のことが思い浮かぶ。支倉司令官が善人だったのだろうとは言っていたが、その言葉通り見えざる魔女となる少女達のことを考えて出来る手を尽くしていたらしい。


 都市で消費される食糧の生産は安定しているが、それでも無駄に廃棄できるほど大きな余裕があるわけでもない…………結が食べなければ無駄になる食糧が常に一定数確保されていると考えるとそれを維持するのは相当な事だ。


「これからはあなたの分も取りに行くの」

「えっ!?」


 当然のように続けられた言葉に僕は驚く。それに結は不思議そうな表情を浮かべた。


「わたくしたちと違ってあなたはまだ食事がいると思うのよ?」

「いや、それはそうだけどそうじゃなくて!」


 見えざる獣や魔女が見えるようになっても僕は普通の人間と変わった感じはしない。昨日も普通にお腹が空いて夕食を摂っている…………だが、僕が言いたいのはそういうことじゃない。


「別に自分で食べる分くらい自分で用意するよ」


 これまで人類を救ってきたことに対する見えざる魔女へのささやか過ぎる報酬の恩恵を与るのは守られていた側としては心苦し過ぎる。支倉司令官からは自由に行動した上で給料や経費も出すと言われているのだし、むしろ僕の側から何か買ってきたいくらいだ。


「むう、わかったの」


 残念そうに結が唇を尖らせる…………これはあれだ。僕に構ってもらう為に出来る事を何でもしてあげなければというような心理だ。


「司令官の許可も貰ったしちゃんとここには毎日来るから…………これまでずっと僕らを守ってくれていたんだし、僕で返せることならちゃんとその恩は返していくよ」


 だからここははっきりとその不安を解消しておくべきと僕は言葉にする。


「その物言いは危険なの」

「…………?」


 何が危険なのだろうと僕は首をかしげてしまうが、結がこちらを見る視線は真剣だった。


「えっと、なにが?」

「わたくしはあなたに嫌われたくないの」


 その言葉に僕は昨日の別れ際を思い出す。あの時も結は同じような事を口にして、僕に迷惑が掛からないよう早めに去って行ったのだ。


「嫌うつもりなんてないよ」


 気を遣ってくれるのはありがたいが遣われ過ぎるのも困る。結の境遇きょうぐうとこれまでの感謝を思えば多少の無理であっても僕は許容するつもりなのだ。それでこれまでのストレスを少しでも解消してくれるのなら安いものだろう。


「危険、危険なの…………あなたは魔女のくすぶり切った情念を理解してないの」

「え、ええと…………?」


 不意に結がどす黒い何かを秘めたような視線を向けてきて僕は思わずたじろぐ。


「わたくしはあなたに嫌われたくないから自制心を振り絞って我慢しているの…………その努力をふいにするような誘惑は止めて欲しいの」

「誘惑って…………」


 そんな発言をしたつもりは僕にはない。


「はあ、なの」


 わかっていない、というように結が溜息を吐く。


「例え話をするの…………仮にあなたが自分をわたくしの自由にしていいと言ったら即座にベッドに連れ込んでずっこんぐっちょんのぬるぬるにして絞り尽くすの…………いっそ野外でやるのもありかもしれないの」

「!?」


 いきなり何を言い出すんだと僕は思ったが、結の表情は冷たいくらいに真面目だった。


「気づいてるかもしれないけど、わたくしはあえてあなたを名前で呼んでないの」

「あ、うん」


 その事には僕もちゃんと気づいてはいた。


「名前を呼ぶと自制心が揺るぎそうであえてそうしていたのよ」


 名前を呼び合うというのは精神的な距離を縮める行為とも言える。出会ったばかりでそれをするという事は互いの壁を無くそうという意思の表れであり、距離を縮めたいというアピールに他ならない…………もちろん互いの同意が無ければ意味がない行為ではあるけれど。


「でも今はあえて呼ばせてもらうの…………陽」


 そう口にした瞬間に結の唇が緩む。それを堪えようとしたのか右頬には力が入って嬉しそうであり苦しそうな非対称な表情を彼女が浮かべる…………ただ、その目だけはギラギラと抑えきれないものを煌めかせていて僕は思わず一歩後ずさった。


「陽、わたくしはこれでも魔女の中ではまともな人間性を保っているほうなの」


 そんな僕に結は語りかける。


「他の魔女だったら問答無用で拉致監禁されていたっておかしくないの…………長い時間を孤独に苛まれた魔女の情念を甘く見ない方がいいのよ」

「う、うん」


 全力で何かを堪えるような視線に僕は気圧されて頷く。


「と、とりあえず健全な範囲のお付き合いという事で」

「それでいいの」


 頷いて結は表情を元に戻す。


「一緒にいる時間もわたくしが慣れるまで短めで構わないの」

「それはまあ、助かると言えば助かるけど…………」


 司令官から直接給与を保証したうえで自由にしていいとは言われているが、全く防衛隊の仕事もしないのは他の隊員たちに対して気が引けると思ってはいたのだ。


「緊急出動にはちゃんと参加したかったし」


 見えざる獣を見ることが出来る僕が参加すれば、前回のような被害は起きないはずなのだから。


「ちょっと待つの」


 けれどの僕の呟きに結が反応する。


「あなた、何を言っているの?」


 そして先ほどとはまた違う、こちらを射殺すような視線を彼女は向けた。

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