最終話 青い春

 屋上に出ると、当たり前だがそこには誰もいないし、何もなかった。

 高い金網のフェンスが張られ、誤って立ち入った人が、絶対に落ちないようにされている。

 ここにいるのがバレたら、それなりに怒られる……だけで済めばいいが、最悪の自体として、停学もあり得るのではないかと、樹は少し不安だった。

 誤って入ったならともかく、今回はわかっててこの屋上に立ち入ったのだから。


「風が気持ちいいですね」


 そんないつきの不安もよそに、風莉かざりは屋上の真ん中に堂々と歩いていく。


「少し寒いくらいだろ」

「そうですね」


 風が吹けば、風莉の長い白髪が宙に舞う。

 よく手入れされている髪がサラサラと舞うのも、風莉は気にせずに空を見上げた。


「樹さん」

「ん?」

「私は樹さんが好きです」


 突然の告白に樹はドキリとした。

 風莉とは恋人同士にはなってはいたが、風莉の口からその言葉を聞いたのは初めてだった。

 何か理由があるのかと思ったら、こんなにもあっさり返ってきてしまって、樹はなんだか肩の力が抜けてしまう。


「でも、これが樹さんと同じ気持ちなのかわからないんです」

「え?」


 続いた言葉に、樹は目をぱちくりとさせて困惑する。


「俺も風莉のことが好き……だけど、そういうことじゃないのか?」

「多分、樹さんの好きと私の好きは違うと思います」


 それは樹が風莉に告白したときに言った言葉だ。

 だが、あの時は樹が風莉の本当の気持ちをわかっていなかったから出た言葉だ。

 ならば、風莉のこの言葉にはどういった意味が込められているのか。


「私は樹さんが好きです。だから一緒にいたいです」

「……ああ」

「樹さんを誰にも渡したくないです」

「…………ああ」

「樹さんを私だけのものにしたいです」

「…………ちょっと待て」


 樹は思わず手を上げて止める。


「どうしました?」

「いや、その……なんだ……」

「気持ち悪い……ですよね」

「いや! そんなことはない!」


 正直、樹は不安だった。

 『好き』と言ってもらえてないことから、自分が一方的に好きなだけではないかと、自信がなかったこともある。

 だが、今の話を聞く限りではそんなことはなく、むしろその逆。


「そこまで思ってくれてるのは……その……嬉しいよ」

「そう、ですか」

「ただ、風莉にそこまで思って貰えてるとは思わなくて驚いた」

「それは……」


 風莉は振り返って樹の顔を見る。

 しかし、すぐに目を逸して、言いづらそうに口を開いた。


「樹さんとは違ったからです」 

「……違うっていうのは」

「私は樹さんみたいに、恋人に何か出来るような人間じゃなくて……だから、これが恋と呼べる『好き』なのか自信がなくて」

「俺みたいに?」

「樹さんはいつも私の我儘を聞いてくれますし、私にプレゼントしてくれたり、私が喜ぶようなことをしてくれます。 

「でも、私はそんなことをしてあげられていませんし、いざするとなっても何をすればいいのかわからなくて……」

 

 風莉は俯いて喋り続ける。

 最後の方は少し聞き取りづらいくらいに、声が小さくなっていった。

 樹は風莉の言葉を聞いて、腕を組んで考える。

 考えて、考えて、やがて簡潔に答えを示す。


「別になにもしなくていいんじゃないか?」

「え?」


 呆れたような声で、ジト目で風莉を見つめて言い切ると、風莉はポカンとした表情で樹を見つめる。

 それもまた風莉の珍しい表情にも見えた。


「いや、言い方が悪いかったかもだけど。風莉は今まで通りでいてくれればいいと思う」

「でも、それでは……」

「だって俺はそんな風莉が好きになったんだから」

「そう……なんですか?」 

 

 風莉は自信なさげに両手を合わせて握る。

 樹は1つ息を吐いて、言葉を選ぶ。


「そもそも、俺だって俺の好きなようにやってるよ。俺が風莉を喜ばせようとしてる……のは、まあそうだけど。

「それは、結局のところ俺自身がそういう性格なだけで、風莉がそれに合わせる必要はないだろ。

「風莉は今まで通り自由にしてくれれば、俺も居心地良くて楽しいからさ」

「それでいいんですか?」

「それでいいだろ。というか俺だって弁当を作って貰ったりしてたし」

「それは私が好きにやってただけですよ」

「じゃあそれでいいだろ。今まで通り気を使わない関係でさ」


 風莉は目をぱちくりとさせる。


「今まで通り……では、恋人と呼べないのではないでしょうか」

「でも、俺は風莉のことが好きだからそれでいいと思う……風莉は?」

「私は……」


 樹に問われて風莉は一歩踏み出す。

 近づいて、息を吸って、大事そうに、はっきりとその言葉を告げる。


「樹さんが好きです」


 距離が縮まり、真っ直ぐに伝えられ、樹は少し照れてしまうが、目を逸らさずその言葉を受け止める。


「そうか、じゃあそれでいいだ──」

「私は樹さんが大好きです」

「んん!? 風莉さん!?」


 風莉は更に一歩踏み出して、樹に顔を近づける。


「樹さん」

「な、なんだ?」

「恋人らしいことってなんですか?」

「へ? こ、恋人らしいこと?」


 突然の単語に樹は動揺してしまう。

 今この屋上には樹と風莉の2人しかいない。

 そして、2人の距離はほぼゼロに近く、お互い顔は目の前にある。


(恋人らしいこと……この状況で!?)


 あるといえば、1つ思い浮かぶ……思い浮かんでしまった。


夏帆かほさんが言ってました。恋人だからしたいことがあると」

「あー、なるほど……」


 海凪みなぎ夏帆かほからの入れ知恵であることに、少々複雑な気持ちになる。


(けど……その前に、あるんだよな)


 樹の中には、それとは別にしたいことが……してほしいことがあった。

 赤い瞳が揺れていた。

 目の前には白い肌によってより魅惑的に見える小さな唇が、困ったように固く閉ざしていた。

 

「そうだな……その、そろそろ敬語はやめてみないか?」

「え? 敬語ですか?」


 風莉は自分も何かしたいという思いがあった。

 だから、その機会を与えてみようと樹は考えた。


「それが恋人ならしたいことですか?」

「そういうわけではないけど、まずはって感じかなー。風莉がくだけた口調で話してくれるなら、なんか他の人とは違う感あるだろ……なんて」

「そんなことでいいんですか」

「んー、まあ……」

「わかりました」


 風莉は口を開いて……開いて……パクパクとさせて、また閉じた。


「風莉?」

「少し待って下さい」


 風莉は目を逸らして深呼吸をする。 

 何度も、何度も、吸って、吐いて、やがて覚悟を決めたように、息を飲んだ。


「えっ……と、樹さん……」

「あ、『さん』付けも外してくれ」

「なっ! なんで今言おうとしたときに!」

「いや、それも敬語の一部みたいなものだし」

「うぅ……」


 珍しく風莉が慌てている。

 その光景が面白いのもあるが、自分がそうさせていることに、樹は愉悦感を覚えそうになって、笑いそうになるのを必死に堪えた。

 風莉は唇を噛み締めて、樹の顔を見る。


「い……樹くん」

「ん」

「その……これからもよろしく……ね?」

「んん」

「えっ……と、大好き……だよ……」


 最初の方は樹の目を力強く見つめていたが、最後の方には言葉も小さくなり、目線は明後日の方向を向いていた。

 その仕草が愛おしく見えてしまい。


「風莉」

「え──樹さん!?」


 樹は思わず風莉を抱きしめた。


「あ、あの……樹さん?」

「口調戻ってる」

「ぅあ……樹くん、どうしたんで──どうした……の?」

「いや、可愛すぎた」


 完全に勢いで抱きしめてしまって、樹も乾いた笑いが出てしまう。


「ただ、普通に喋っただけ……だよ?」

「それがいい」

「えぇ?」


 樹の言葉を理解できずに、風莉は困惑していると、そこで昼休みが終わるチャイムが鳴った。


「そろそろ戻るか」


 樹がそう言って風莉から離れようとしたときだった。


「ん?」


 風莉の腕が樹の背中に回されて樹を拘束していた。


「か、風莉?」


 風莉は力強く樹に抱きついて、その顔も樹の胸に当てる。

 動揺して速く、大きく鳴る樹の心臓の音が、風莉にはよく聞こえてしまっている。


「私、わかりました」

「え、何が?」

「私自身で出来ることが思いつかないなら、樹くんがしてくれてたことをやり返せばいいんです」

「へ?」


 突然の閃きに樹は嫌な予感がして、敬語に戻っていることにも気づかなかった。

 風莉は回した腕に力を込めて、樹の胸を擦りながら顔を上げる。

 そうして風莉は樹のことを真っ直ぐに見つめると一言。


「覚悟……してくださいね?」


 と、いつか見たような、その赤い瞳が見えなくなるほどの笑顔を見せて、少し照れくさそうに笑って見せた。

 空には澄み渡った青が広がっていた。

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織咲風莉はそれらすべての幻想を破壊する。 雨屋二号 @4MY25

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