2:20 狭間

Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.(深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ)


―― Friedrich Nietzsche, "Jenseits von Gut und Böse"



 は無数の平行宇宙すべてと接する、平行の合間にある領域だった。

 故に、其処は『狭間』と呼ばれていた。


 それぞれの平行宇宙は、いかなる次元要素においても決して互いに交わることはない。しかし、『狭間』はすべての平行宇宙と接している。

 そういう領域であるから、逆説的に、『狭間』には時間と空間というものが存在し得なかった。もし『狭間』に時空間があったならば、接している平行宇宙同士も地続きとなってしまい、交わらないという前提が崩れてしまう。


 空間がないということは、位置という概念が存在しない0次元の世界ともいえる。三次元空間がxyz、二次元がxy、一次元がxで表されるとすれば、0次元には空間における位置を示す変数がない。

 かといって、それは点ではない。点とは、点とそれ以外の他の領域があって成り立つ概念だ。しかし、『狭間』は一にして全、全にして一であり、他というものが存在しない。すべてがただ一つの『狭間』に集約されていた。

 そのため『狭間』では形ある物は存在し得ない。形とは、位置を持った点の集合だからだ。


 そして、時間がないというのは、正確には「時間がない」ということである。

 決して凍り付いているわけではなく、『狭間』だけに存在する無数の特殊な軸において、状態は常に変化し続けていた。ただ、時間軸がないために、『狭間』では『順序』に意味がなかった。変化をする前と、変化をした後という区別がなく、どちらも等しく重なり合って混在していた。



 そういう特異な領域である『狭間』からは、接しているすべての平行宇宙の、その開びゃくから終焉に至るまでの間の、端から端まで、あらゆるものが俯瞰できた。


 それぞれの宇宙は可能性に満ちている。

 量子的なゆらぎから、ある時間のある場所がどのような状態をとるかは定まっていない。状態Aとなる可能性、状態Bとなる可能性、いずれも確率の差異はあっても、可能性としては並立していた。

 ミクロの可能性が積み重なれば、マクロの可能性にも影響を及ぼしうる。やがてそれは大きな分岐となって、枝分かれしていく。


 時間軸に囚われない視点からだと、宇宙はそのあらゆる可能性が重なりあった形として視えた。それはあたかも霧のようで、確率が高い可能性は濃く、低いものは薄かった。

 選択的に、霧の中のどの可能性を観測するかによって、世界の在り様はまったく異なっていた。



 とある平行宇宙の一つでは、とある銀河系に属する一つの太陽系の可能性が見渡せた。

 地球が今の軌道になく、生物が生まれない可能性もあった。ちょっとした地形や気候の変化から、人類が別の形態になる可能性もあった。人間社会が違う歴史を辿り、違う発展を見せる可能性もあった。

 佐藤桐子という個体が生まれ、育ち、死ぬという過程にも、様々な可能性があった。


 ゾンビ・アポカリプスが発生しない未来もあった。

 あれが発生した経緯を辿ってみれば、人間が引き起こしたものだった。意図してそうしたわけではなかったが、彼らは結果として人智の及ばぬ超常現象を地球に呼び込んでしまった。

 発生するまでのいくつかの段階で、ちょっとした偶然で違う結果が起きれば、ゾンビが発生するに至ることなく終える可能性もあったのだ。

 もっとも、それはあくまで過去の可能性の分岐を覗き見ているだけである。真相を知ったところで、既にそれが起きてしまった分岐に存在している身には、過去に干渉する術はなかった。どうにもならない。


 視えたのは地球だけではない。ニューホーツの未来も視えた。

 開拓が成功し、新人類が繁栄して宇宙へと進出する未来。失敗して人類が絶える未来。ある程度発展するものの、途中から文明が退化してしまい、中世ヨーロッパ風の異世界が出来上がってしまう未来もあった。

 ただ、新人類が繁栄する未来の可能性は一際濃かった。彼らがよほど大きな選択を間違えさえしなければ、そこに至ることができるはずである。



 そうして、桐子は魔法陣を介して、『狭間』からの視点で様々な事象を視た。物理法則さえ異なる様々な平行宇宙、様々な形態の星、そこに棲む生物らしきものの姿や、奇妙な現象、よくわからない奇怪な何かなど、人間の想像を超えた世界があった。


 それらを視たというのは、『狭間』となんらかの形で同調しているということでもあった。そして、刹那とも永劫ともつかない観測の果てに、『狭間』の本質そのものも、わずかながらも窺えてしまった。


 『狭間』は接している平行宇宙の状態を『刺激』として受け取り、人間には理解不能な法則に従ってその状態を無限に変化させていた。コンピュータが外部から入力を受け取って、プログラムに沿って演算するのに似ているかもしれない。人間のような意思や感情のようなものはなく、ひたすら冷徹に思考にも似た演算を繰り返していた。


 演算結果によっては、平行宇宙の動作や時空間に干渉することもあった。『狭間』にはそうするだけの能力を有していた。

 そもそも人類が平行宇宙を創り得たのも、魔法陣を介して『狭間』に接触したからだった。

 『狭間』は、魔法陣が平行宇宙の中のいつ、どこにあろうとも検知して内容を読み取り、その時空間に反映させていた。魔法の有無や時間の流れる速さといった、平行宇宙が持つ属性の設定変更や、『転送の間』や空間を繋げるゲートなどもそうした能力の一部だった。


 もっとも、容量の限られている人間の脳や、それを模した仮想体でかろうじて理解できるのはそこまでだった。

 『狭間』は余りにも膨大で、余りにも人間の思考とはかけ離れており、人間の想像力を遥かに超えた本質を捉えきるのは不可能だった。

 そして、意味はわからないものの印象として極めておぞましいもの、名状しがたい何かなど、およそ人間性ヒューマニティなどという狭隘な感性がまるで通用しない、理解しかけただけで正気にダメージを与える様々な事象に関与していた。



 そして、『狭間』は自身を覗いている『桐子』という存在にも如実に反応していた。

 およそ人間には理解しがたいロジックの結果だが、あえて人間の感性に近い言葉で言い表すなら、「関心を持った」というところだろうか。

 『狭間』に同調して覗き込む者など、そう多くはいない。平行宇宙研究開発プロジェクトの者達でさえ、接触は間接的なものに留まっていた。そういう意味では、『狭間』にとって彼女は特殊な存在と言える。


 『 狭間』Yog-Sothothは、桐子の発生から終焉に至るまでのあらゆる可能性を含む、存在のすべてをじっと凝視していた。

 同調しているからこそわかるそれは、視線を感じるなどというレベルではなく、存在そのものに得体の知れない圧がかけられていた。

 耐え難いほどの圧倒的な畏怖に呑まれ、彼女の意識はそこで途絶した。





【File:THE WHATELEY DOCUMENT #002】

Date : Nov.20.1994

File location : Another World Development Organization, Core Research Section


*** CONFIDENTIAL ***


ABOUT CREATING AND CONTROLLING THE PARALLEL-SPACE


Author:James Walter Whateley


Abstract:

To create a parallel-space, you should access the 'Gap' -- also known as 'Yog-Sothoth' -- lying between spaces via magic circles.

Be careful. It does not require any spell-castings or sacrifices, but it is extremely dangerous. Magic circles must be drawn exactly in the specified formats.

This document explains how to describe magic circles, and ...

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