2:21 還るところ

「……はっ!?」


 わたしは唐突に目が覚めた。寝起きのぼーっとした感じはなく、スイッチで切り替えたみたいにほんとに唐突だった。

 体を起こしたところで、周囲が目に入った。


「え?」


 白。白。白。白しかない。

 そこはただただ真っ白い空間だった。白い部屋というわけじゃなく、壁や床、天井といった区別がなく、一面が白の、白い空間としか形容のしようがなかった。

 わたしは病院の患者衣のような緑色の服を着ていて、色がついてるのはそれだけだった。それ以外はほんとに何もない。

 ナニコレ。

 どう見ても、まともな空間じゃない。これはもしかして。


(転生モノとか転移モノのラノベに出てくるような、異世界に行く途中の空間なんでは? ありがちなパターンだと、チートをくれる異世界の神サマがいたりとか。とすると、ひょっとしてわたしが死んでるパターンもアリ?)


 ……なんて思ってしまったわたしは、少々ラノベに毒され過ぎているかもしれない。

 わたしがきょろきょろ見回していると、不意に辺りに陰影が付き始めた。周囲の陰影はみるみるうちにコンクリートっぽい質感の壁と床と天井に変わって、一つの部屋になった。わたしが横たわっていた場所も簡素なベッドの形へと変わった。

 おぉ? と思う間もなく、部屋の片隅に、ひゅぉあ~~んという効果音と共に光の柱がたった。

 転送で現れたのは異世界の神サマとかではなく、田中さんだった。


「佐藤さん、目が覚めたんですね」

「田中さん? えっと、ここは?」

「月面基地の仮想空間です」

「あー……、なるほど……」


 まあ、現実はそんなものだった。そいえば、最初に仮想体になったときも似たようなコトを考えてたよーな。わたしって、まったく成長していないのでは?

 田中さんはわたしの真横にウィンドウを出して、なにやらチェックしていた。そして、「失礼しますね」と言って、わたしの顔を覗き込むと、手に持ったペンライトの光をわたしの目に当てた。

 続いて、右手の人差し指と中指を立ててVサインを作ると、「何本です?」と尋ねてきた。


「立ててるのは二本」

「だいじょうぶそう、かな?」

「どういうこと?」

「いやあ、佐藤さん一ヶ月たっても目覚めなかったんで、心配してたんですよ」

「一ヶ月!?」

「あの時のこと、何か覚えていますか?」

「えーっと……」


 記憶がちょっとぼんやりしているけど、思い出せないほどじゃない。正門前で戦ってて、地下に行って……。あれ? 地下に行ったような気はするんだけど、そこで何を見て、何をしたかがまるで思い出せない。

 それと、なんだろう。何か、ひどく途方もないものを見たような印象だけはあるんだけど。


「うーん……、地下へ行こうとしたとこまでは覚えてるんですが、そこからはなんとも……。なんか、とんでもなく変な夢をみたような感じはするんですけど」

「なるほど。記憶が欠落してるのは問題ないです。実はですね、佐藤さんは地下でゾンビと戦ってたんですが、その最中にあそこの魔法陣に触れた途端、佐藤さんの機体は動かなくなりまして。プロセッサが異常を起こして、一切反応がなくなってたようなんです」

「異常?」

「ええ。それで、機体からは佐藤さんの仮想体データだけ回収したんですが……」


 そこでなぜか田中さんは言い淀んだ。続きを促すと、


月面基地こちらのサーバーで佐藤さんを起動したら、その、いきなり絶叫をあげて、ほとんど錯乱状態になっていまして……」

「げっ!?」


 女としてというか、人としての尊厳に関わるような、少々口にするのも憚られる状態だったそうな。マジで正気度判定SANチェックに失敗したのだろーか。でも、なんで?

 何か精神的に大きなショックを受けたのと似た症状というものの、原因は不明。プロセッサの暴走により、仮想体のシミュレーションにも異常が出たのではないかという説が有力だそうで。


 それで一旦わたしは停滞ステイシス状態に置かれた。停滞というのはシミュレーション上に仮想体の体は構築するけれど、進行は停止している状態のこと。時間が停止しているみたいなものだ。

 わたしも月面基地にセーブデータがあるので、そこまで遡ればすぐに復活できたんだけど、貴重な戦闘経験を積んでいるうえ、珍しい症状ということで回復を試みたそうだ。

 まあ実験台なわけだけど、セーブデータがあるからこそだしねえ。そこはしょうがない。


 どうも記憶の一部が極端にカオスな状態になっていたらしくて、それが錯乱の原因ではないかと推察された。けれど、単純に問題のあるとこだけ白紙化フォーマットしてしまうわけにもいかず、記憶を整理するプログラムというのを用意して実行したらしい。

 その後、停滞は解除されたけれど、意識は戻らなかった。脳内の活動はしているようだったので、それでしばらく様子を見ることになったそうだ。


 転送の間でゾンビと戦ったのが地球での二月二八日、ニューホーツでは九月一三日のこと。そして、今日はもうこちらでは一〇月一七日、そろそろバックアップから復活させるべきではという声が出始めた頃に目が覚めた。丸一ヶ月以上眠っていたらしい。


「それはなんというか……。お手数をおかけしました」

「いえいえ、きちんと復活できたようでなによりです」


 田中さんはほっとした笑みを浮かべた。

 まあ、わたしも今はたぶん正気で、普通に物事を考えられてると思う。いや、狂人は自身の正気を判定できないかもしれない。それに頭の中をいじられてるので、以前のわたしと本当に同じと言えるかというと、ちょっと疑問もあるけど。そこはかとなく、不安だ。


 そして、田中さんからあの後のことをいろいろ聞いた。

 リトリーヴァ・チームの最優先目標プライマリ・オブジェクティブだった、データ回収作業は無事完了したそうだ。施設内の後片付けをして、翌日には撤収したという。

 ゾンビについては、あちらの魔法陣へのエネルギー供給をやめて不活性化したら、奴らは関心を失くしたように解散していったらしい。

 念のため、転送の間に続く階段やエレベータには障害物を山ほど置いて、入りにくくしたそうだ。空間転移までしてくる相手にどこまで有効かはわからないけど、引き寄せるものがないなら、それで充分なのかな。



 田中さんと話してると、フォレスト司令とデュボア副司令も転送されてきた。


「キリコ、目が覚めたんだな。良かった」

「無事復活できたようでなによりです」

「ええ、お世話になりまし……ええっ!?」


 司令はつかつかと近寄ってきて、いきなりガバっと抱きついてきた。痴漢行為じゃなく欧米人の親愛のハグなんだろうけども、今までそういうやり取りは一切なかったのでびっくりした。


「ちょ!? し、司令?」

「フレッド、彼女は日本人で、そうやって抱きつく習慣には馴染みがありません。下手をするとハラスメント行為と受け止められかねませんよ」

「ああ、いや、すまん。まあ、無事戻ってきてくれてよかった」


 副司令に注意されて、ようやく離れてくれた。いや、「かねません」じゃなく、普通にハラスメント行為なんですけど。心配してくれてたみたいで、悪い気はしないけれど。


「まだ検査などはあるだろうが、しばらくは休養していてくれ。それと、今後ともよろしく頼む」

「あ、はい。こちらこそ」


 司令が右手を差し出してきたんで、わたしも握った。





【ムーンベース仮想空間 技術部・小会議室】

Oct.17 14:20


 フォレスト、デュボア、田中の三人は桐子との面会の後、技術部の部屋へ移動した。遅れて技術部長の砂田もやってきた。


「では、ミスタ・タナカ、報告をお願いします」

「はい。一部は断片的ながらイメージ化できたのですが、宇宙や未知の惑星らしきものがあるかと思えば、奇怪な生物らしい姿や、なんとも形容しがたいものもありました。

 視覚的な記憶以外にも、言語野との関連を辿っていくと、『合い間』とか『無限』、『畏怖』とかいった概念との結びつきが見られます。もっとも、既知の概念に相当するものがなく、『名状しがたい』ものも多いようですが」


 デュボアに促されて、田中は報告を始めた。内容は、倒れた桐子の短期記憶に残っていたデータの解析についてだった。

 奇妙なことに、短期記憶が通常ではありえないほどに混沌としていて、部分的には論理エラーも起こしていたのがわかった。記憶は複数の物理メモリに分散されているため、ハードウェアの問題とも考えにくい。

 そこで彼は、短期記憶に詰め込まれた情報そのものに問題があるのではないかと考え、データの中身について解析を始めた。その結果出てきたのが、多数の不可解なイメージだった。

 桐子のパーシアスが魔法陣に触れていたのは、一分にも満たなかった。その間にいったい何を見れば、あるいはどんな妄想をすれば、こんな記憶ができるのか説明不能としか言いようがない。


「彼女はその辺のことを覚えているのか?」


 フォレストは気になったところを尋ねた。


「先ほど本人に訊いた限りでは、漠然とした印象だけで、具体的なことは何も思い出せないようです。ただ、記憶を消去したわけではないので、部分的にぶり返す可能性がないとは言えません。しばらくは経過観察が必要でしょう」

「ふむ。わかった。皆もできる限りのサポートを頼む」


 フォレストの言葉に皆肯いた。

 できればメンタルケアの専門家がほしいところだが、残念ながらそういう人材はいなかった。


「……やはり、佐藤さん、何か見たんですかね」


 不可解な画像を見ながら、データ解析に協力していた砂田が口を開いた。


「魔法陣の向こう側か。『狭間』と呼ばれる何かがあるというのは、私も噂レベルでしか知らなかったが」

「司令でもですか」

「ああ。創造部門が中で何をやっていたか、というのは機密事項とされていて、詳細はまったく知らされていなかった。あそこの連中は胡散臭くてよくわからん、というのが正直なところだ」

「その創造部門から拾ってきたファイルの中にあった、『ウェイトリィ文書』との関連も気になりますが」


 今回、施設からデータを回収するにあたって、ついでに平行宇宙創造部門の中心研究グループの資料なども収集してきた。その中の秘匿資料に混じっていたのが、『ウェイトリィ文書』と名付けられていた一連の論文だった。

 二〇世紀後半に書かれたらしいそれらは、どうやら平行宇宙を創造するための基礎理論として使われていたらしいのだが、内容的には現代の宇宙論とはかけ離れている上に、極めてオカルト染みたものだった。

 そして、そこには魔法陣の向こう側にあるもの、『狭間』と呼ばれる存在についても仄めかされていたのである。


「実際のところ、あの文書の信憑性はどうなんだ? 『ヨグ・ソトース』とか平気で書かれてるんだが。あれじゃクトゥルフ神話だ」

「まあ、固有名詞については、ラヴクラフトの小説から性質が似通ったものを拝借してきたのかもしれませんが、それ以外の記述についてはどうも妄想やデタラメというわけでもなさそうでして」


 中には魔法陣の詳細などについても言及されており、単なる与太話と切り捨てるわけにもいかなかった。

 なんとも扱いに困る話ではあった。この平行宇宙は最新の宇宙論の実証実験として創られた、と聞かされていたのである。それが実は、こんな怪しげな知識に基づいて造られていたとは。

 とはいえ、彼らは現実にその平行宇宙にいて、すでに魔法陣を使ったゲートなども使ってはいた。


「あのゾンビたちが、魔法陣に関心を示したのも気になるが」

「こういうものだとなると、ちょっと安易に触れるのはやめた方がいいかもしれません。平行宇宙の扱いには危険が伴うような記述もありましたし」

「我々の目標に絶対に必要な知識というわけでもないしな。これは封印しておこう」


 結局、関連する文書はメインストレージから切り離し、独立したメディアに暗号化して保存し、封印することが決まった。

 触らぬ神に祟りなし、である。


「このこと、佐藤さんには教えるべきでしょうか? 隠し立てするのも気が引けますが」

「ふむ。記憶を覗かれていい気分はしないだろうが……。どう思う? デュボア」

「教えたことで記憶がぶり返して、再度正気を失ってしまう危険性はどうなのでしょう。また、関連知識は封印すると決まったわけですし、そこに彼女を関わらせる必要もないと考えます」

「よし、当面は伝えないでおこう。経過次第でだが、仮に話すとしても細部はぼかして、話半分のネタとしてあまり深刻にならない形に持っていくよう心がけてくれ」

「了解です」





「きりこさん、おかえりなさいー」

「キリコ、おかえリ!」

「ん、ただいま~。二人とも世話してくれて、ありがと~」


 インシピット村の家にいるホムンクルスに転送すると、七海ちゃんとマギーが出迎えてくれた。ルクレツィアさんとミュリエルさんは農作業中で留守だった。

 わたしがいない間、九班の人たちが中心になってホムンクルスの体の面倒をみてくれていた。ホムンクルスには組み込みのシンプルAIがあって、わたしが抜けてても指示された動きをなぞったり、体の状態を知らせることはできるようになってる。ただ、ごはん食べたり、トイレ行ったり、風呂に入ったりといったものは一人ではできなくて、それでみんなのお世話になっていた。ほとんど介護作業そのもので、大変だったはず。感謝である。


 わたしは外に出て軽く体を動かした。久々のホムンクルスは楽だった。パーシアスは首も胴体も動かなくて窮屈だったしねえ。


 もう季節は秋に入ってて、だいぶ過ごしやすくなってた。

 インシピット村はもう完全に復旧しているようだった。テロの痕跡は見当たらない。被害の大きかった診療所もほぼ建て直されてた。


 ようやく帰ってきたって実感した。なんか、ものすごく遠くまで旅してきたような気がする。

 もうここは第二の故郷みたいなもんだしねえ。実際、ホムンクルスの体はここで生まれたわけだし。

 今となっては、ここがわたしの還るべき場所なんだなぁって、しみじみ思った。





 そうして季節はめぐり、新年を迎え、春がきた。

 新世界ニューホーツに来て、六年目の春。でも、これまでとはまったく違う様相となってた。


「んぎゃぁあっんぎゃぁあっ」

「あ゛ーぁっ」

「だぁぅ……ぅぁ……」

「きゃっきゃっ」


 なんといっても、九人の赤ちゃんがいるのだ。元気に泣き叫ぶ子もいれば、すやすや眠ってる子もいる。なかなかに賑やかだ。


 男の子四人、女の子五人。本来だったら八人ずつのはずだったけどね。それは今は言うまい。

 誕生日は全員揃って二月一一日。奇しくも日本の建国記念の日と同じ――なんて言ってみたいところだけど、あいにく地球の暦では七月二八日なので関連はない。

 生後一ヶ月半、体重はだいたい5Kg弱、いずれも健康。人工子宮では早産だとか出産時の危険というのは、通常はないしね。


 さすがに一度に九人も生まれると、育児の現場は修羅場だ。昼も夜もない感じで、実質的に二四時間体制で事にあたっていた。仮想体とドローンの組み合わせだからなんとか対応できてるけど、生身だったらどうなってたかわからない。

 班編成も組み直されて、ホムンクルス三体、ハイラス一二体が専任の育児班になって、九班もそのままここに組み込まれた。


「きりこさん、ミルク持って来ましたー」

「あい~。って、ああっ、おしっこがっ!」

「ほい、布巾もってきタ」

「さんきゅ」

「あ゛あ゛ぁ゛あ゛っ! あ゛あ゛ぁ゛あ゛っ!」

「わゎっ、な、泣かないでっ! ほぅらほぅ~~ら、いいこ、いいこねーーっ!」


 ミルクは成分を合成したものが使われてる。

 ちなみに、ホムンクルスの体ではおっぱいは出ない。一応、生身の女性と同等の母乳を分泌する機能は備わってるけれど、ホルモンの制御が難しいこと、分泌した母乳の安全性が確認されていないことなどから、その辺の利用は見送られてる。ちょっとやってみたかった気はしないでもなかったけど。


 この子たちには、元気に育っていってほしい。未だに不安のタネはいっぱいあるし。

 開拓と新人類全体の未来についてはそんなに心配してないんだけどね。よっぽど変なことをやらない限りは、きちんと繁栄していけるのをこの目で視てるし。

 ……って、視た? 何を?

 ものすごく当たり前のように『視た』と思い込んでたけど、そんな未来視のような話があるわけがなかった。倒れたときの錯乱で、夢か何かと混同してたんだろうか。

 まあ、いいや。今大事なのは、この子たちをどう育てていくべきかだし。


 そんなことを考えながら、わたしは腕の中の赤ちゃんがうとうとと目を閉じていくのをずっと見守っていた。

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