2.秀星を知る人

 仕事を教えてくれる指導役の上司でもあるのに、女性を優しくもてなすのなんてお手のもの。

 最近、女性のリピーターが増えたのも、秀星の後にやってきたメートル・ドテルがこの男前で見栄えがするからなのだろう――と父が言っていた。


 葉子も控えている時に篠田給仕長を観察していると、やっぱり佇まいも仕草も、かっこいいなと思ったりする。

 それでも……、葉子にとって最高のメートル・ドテルは秀星しかいない。あの人は篠田のような性的な匂いなど感じさせずとも、メートル・ドテルの時の姿はかっこよかった。


 まだ目に焼き付いている。初めて仕事での真剣さを感じ、初めて厳しくしてくれた人で、初めて――葉子を大事にしてくれた大人だ。

 綺麗な所作と美しい佇まいを、毎日思い返している。


 葉子の目には簡単に涙が滲む。秀星がいなくなってから、すぐに涙が浮かぶ。父と母と一緒においおい泣く日もある。


「葉子ちゃん?」


 いけない。車はすでに大沼の湖畔を走り出していて、運転席にいる篠田が、こちらをチラリと見て案じた目をしている。

 すみません……、ハンカチで目元を押さえて、あまり気にしないように伝えようと、運転席にいる篠田へと向いたら……。


「うー、ごめんな。俺もさ、歳かな~。最近すぐに泣いちゃうんだよぅ。そんな……ハコちゃん、泣かないで。めっちゃもらい泣きしちゃうから! 先輩は、ハコちゃんが唄っていること、遺した写真を大事にしてくれていること、わかってくれているって」


 運転しながら、大人の彼のほうが涙腺崩壊になっている。

『ぶぁあ、前が見えねえ』とか言い出すので、葉子が慌ててその顔を、持っていたハンカチで拭いてあげた。


「葉子ちゃんのかわいいハンカチ、俺みたいなおじさんの涙で汚しちゃったー」


 また『ぶえぇ』と泣くので、葉子は呆れながらまた拭いてあげる。


「おじさんなんて思って……、いえ、お兄さんでもないですよね。おじさんって思っていますけど、嫌とは思っていませんから。秀星さんのことも、そう思っていましたよ」

「あのさ、あの人はさ。自分の好きに生きて逝っちゃった人だから、そちらの十和田の皆さんは気に病まなくていいんだからな」

「だったら。なんで給仕長も泣いているんですか。……わたしは……、わたしは……、……、会いたいんですよ……、ずっと一緒にいられると思っていたんですよ……!!」


 なかなか口に出来なかったことを、どうしてか葉子は吐露していた。

 そう口に出来たら、もう涙が止まらない。


「俺もだよー! メッセージを送れば返事をしてくれてさ。いいねを押せば、ありがとねってリプをくれてさ! いつだってスマホの向こうにいてくれると思っていたんだよ! なのに、何も言わずに、俺も、葉子ちゃんも、十和田シェフも奥様も置いていきやがって。やっぱ、先輩のばっかやろーーーーー!!!!」


 大声で彼が叫んだので、ぶわっと溢れだしたはずの涙が、いっぺんに止まった。

 もう葉子は唖然として、篠田を見ていた。


「ダラシーノさん、うるさいっ。もう~、ひっそりセンチメンタルな気持ち、いまのバカヤロウで飛んでいっちゃったじゃないですかあっ」

「あ、俺ね。打倒秀星さんだったんで、いっつも先輩のこと『バカなんですか!?』とか言ってたの」

「え、ひどい。秀星さんのどこがバカなんですか!?」


 むしろ貴方のほうが騒々しくてうるさいくて、チャラくて――と言い返したくなった。


「バカだよ。写真で仕事を捨てられる人なんだから。こっちは真剣にメートル・ドテルを目指していたのにさ。いっつも『僕は写真が第一だから』って、俺が目標に生きているものを手に入れているのに執着がないっていうかさ……。だから、写真ばかりの先輩のこと悔しいから『バカなんですか』ってよく言っていた。でもちっとも怒らないんだ。あの先輩、淡々と受け流されてさ」


 なんだか二人の先輩・後輩、神戸時代が葉子の目にも浮かぶようだった。騒々しい篠田が捲し立てても、秀星はあの落ち着きでしらっと受け流すか、静かに笑って相手にしないか……だったのだろう?


「ほんとうに尊敬をしてたし、誰よりも信じられる人だったから。俺も遠慮がなかったんだ。先輩には仕事の相談もいっぱいしていた。写真も楽しみにしていた。なのに……。ある日突然、写真の更新がなくなって……」


 また篠田が運転をしながら、泣き始めてしまった。

 だから葉子は、バッグからまた新しいハンカチを出して拭いてあげる。


「葉子ちゃん、やさしー。先輩もきっと葉子ちゃんといて、安らいでいたと思うよ!」


 チャラい彼が適当に言っているとしか思えずに、葉子は苦笑いをしていた。でも……、そうであったとしたら、少しは気が楽になる。


「篠田さんは、いつから秀星さんと神戸で一緒だったのですか」

「四年ぐらい一緒だったかな。秀星さんは、伊豆の高級ホテルでも給仕をしていたんだよ。矢嶋社長がスカウトしてきてね。これまた、あの社長が目を掛けてスカウトしてきた人だから、腹が立ってさー。しかも矢嶋社長のスカウトに応じた理由が、『ルミナリエを撮影してみたかったから』だからな!」


 あ、ルミナリエの写真、見せてもらったことがある。葉子は懐かしく思いだしてしまっていた。

 大沼の写真を撮りたいからここに来たと言っていたのと、まったく同じ感覚で神戸に行ったのかと思ったら、ちょっと可笑しくなってきた。


 そして葉子は篠田を見て思った。

 この人は、自分よりもずっと秀星のそれまでを知っている男なのだ。葉子が知らない秀星を教えてくれ、そして、篠田といるとまだ秀星が生きているような錯覚に陥るようになっていた。

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