3.あなたに会いたい
「最近は、時間短縮、あるいは、『映える』ものが喜ばれる傾向にあり、できあがった料理をゲストの目の前で『デクパージュ』する――ということをやらないレストランも増えている」
篠田の目の前には、鶏の丸焼き『ローストチキン』がある。
父が本日のお料理として焼いたものだ。厨房でより分けて皿に盛り付けて提供する予定だが、そこで篠田が『デクパージュの講義をする』と言い出した。
父も了承済みで、普段ならスー・シェフが切り分けるところを、今日は篠田がナイフとフォークを持って、綺麗に切り分ける。
お客様の白いお皿にも、父が副菜などを美しく置き終えた中心に、篠田がチキンを乗せていく。
「同様に、クレープフランベもメートル・ドテルの腕の見せ所。どちらも実施するお店にばらつきがありますよね、シェフ」
「うちでは特にな。その仕事にひとりが時間を取られたら回らない。大所帯のグランメゾンではやるだろうけどね。あといまはインスタ映えってやつかな。出てきたその瞬間で見栄えがいいことが、喜ばれる」
「――というように。レストランの方針や、その時の時流に合わせて、あったりなかったり、スピーディーさを求めるお客様が望まなかったりもある。けれど、給仕をするなら覚えておいてほしい技術でもあ~るかな」
最後、ちょっとおちゃらけた言い方をするのも、篠田らしかった。
でも、葉子は真剣にスマートフォンで彼の技術披露を撮影をして記録をしておく。
彼のナイフ裁きは手慣れていて、どの位置にナイフを当てれば簡単に切れるかも、美しい切り口になるかも、理解しきっているようだった。
その技は一流。父も満足げに微笑み、さすがだと頷いているほどだ。
「では。十和田さん。ゲストのテーブルへ」
篠田とともに、葉子も白いお皿を手にホールへと出て行く。
「知床鶏のローストです。本日は丸鶏の状態から厨房で切り分けさせていただきました。添えてあるサワークリームは、シェフ特製、北海道産の生クリームとヨーグルトから作られた自家製となっております。ジャガイモもローストしておりまして……」
お客様に篠田が料理の説明をする。
その時の姿は、やはり後輩――、秀星を思わせた。
その日も仕事が終わり、店は閉店。
篠田と最後のお客様を見送り、ドアを施錠した途端だった。
「あ~、おーわった、終ーわった。今日もビールがおいしそうー」
首から外したボウタイをくるくると回しながら『ダラシーノモード』に戻っちゃうと、葉子もがっかりする。
秀星さんも私服の時は、ほのぼのお兄さんのようなおじさんで、どこも色気なんてなかったけれど、そばにいて、葉子に優しい声で話しかけてくれる落ち着きは仕事をしている時と変わらなかった。
なのに。ダラシーノは、仕事が終わるとあのクールな佇まいをベリッと剥がしてどこかに放り投げたようにして、またチャラチャラしている。
そう。あの人はあの人で、秀星さんは秀星さん。別人なのだから、おなじ影を探している自分がおかしいのだと、葉子はたまに我に返っている。
篠田が来てから、葉子は奇妙な気持ちになっている。
彼に対してではない。秀星に対してだった。
――篠田といると、余計に寂しくなるのだ。
秀星がもういないことを突きつけられている気持ちになる。
すごく、胸が苦しい。
寝るときになって、一人で泣くこともよくあった。
彼が亡くなって三周忌も終えて、二年経ったというのに、葉子の心を占めている。
あの優しい笑顔に会いたい。あの優しい声でハコちゃんとまた呼んで欲しい。
生きている時にはわからなかった気持ちだった。
葉子はもうアラサー女子、二十代も後半の後半。
自分でもわかっている。出会った時は拙い子供のような女だったことだろう。
歳月が経っていまならわかる。私は、あの人を好きなのだ。死んで――、死んだから? いなくなったから、わかったこと。
だからって、女としてどうして欲しかったという欠片もない、男としてどうして欲しかったと想像するのもおこがましいほど、そういう恋情みたいなものでもない。
ただ……。その人が、葉子のなかで欠けてはいけない人だったのだ。
いきなり父や母を失ったような、そんな肉親を亡くした気持ちに近いのかもしれない。でもやっぱり違う……。
会いたい、会いたい……。秀星さん、私に、もう一度微笑んで。
もう一度『ハコちゃん』って呼んで……。
あなたを忘れたくなくて、ずっと唄っているよ――。
---☆
ハコの日課はジョギングをして、発声練習。そして、秀星撮影ポイントで駒ヶ岳と大沼の景色を撮りながら、ライブ配信をすること(冬季は屋内)。ずっと変わらない。
「おはようございます。爽やかな新緑の季節になってきました。北国の桜も終わり、やっと風が柔らかくなりました。今日はSCANDAL『会いたい』です」
アコースティックギターを構え伴奏から。
ギターは専門学校時代からそれなりにやってきたが、本格的にレッスンを受けたのはここ一年ほど。だいぶ慣れてきた。
函館市内に、元プロだったという四十代の女性が個人で開いている教室をがあり、予約をして通っている。
今日も、唄い始めた葉子の背後には『ダラシーノ』が見に来ている。
たまに葉子の撮影に気がついてしまった散策中の人々に、『すみません。動画の撮影中なんです』と対応してくれるのも助かっていた。『やっぱり、ハコちゃんでしょ』と聞かれても『違いまーす』とか平気でかわしているのは、さすが給仕長なのかもしれない……。
いつのまにか彼に助けられている。
だから葉子は安心して、唄っている。
動画配信を始めて二年――。
いろいろあった。葉子は最近、ふといままでのがむしゃらだった活動を振りかえるようになった。
必死だった。とにかく唄を続けよう。とにかく唄おう。
秀星さんがよく言っていた『エゴを押し通して続けている』ということを、ハコもやってみて、そこから彼を知りたかった。
あんなに穏やかだった男性の凄まじい執念を感じた葉子は、素通りすることが出来なかった。
やっぱりあの人そのものが『写真』だった。
『人のエゴからつかみ取った精神の塊に惹かれる人もいるんだ』
葉子はまさに、彼が言っていたその塊に魅入ってしまったひとりだ。
彼が生きていれば、それを伝えられたけれど。きっと……、彼は、もう……帰るつもりなど……
穏やかな湖面だったのに、一陣の風が湖畔に吹き付けてきた。
「あ、ハコちゃん――」
考え事をしながら唄っていたせいか、葉子の目の前にあったカメラスタンドが倒れるのに気がつくのが遅れた。
レンズが真上を向き、ギターを構えて唄っている葉子へと向けられている。
顔出しをしたのは一度だけ。秀星の一周忌、命日の日に、写真配信の活動を開始する
まだ名が知れる前で、その動画が拡散されることは免れた。
でも、知っている人は知ってる。そしてハコの顔が、いま……!
どくりと心臓が大きくうごめいて、声が止まる。
でも葉子の足下に、さっと来たのは篠田だった。
すぐにカメラのレンズを余所へと向け、彼がそのカメラをスタンドごと手にもった。
『続けて』
仕事中の、給仕長の声で言われた。目も篠田給仕長の時の、葉子に指示を出すときの目。
葉子も頷いて、止まった手を動かし、止めてしまった音から拾い直し唄い始める。
篠田はいつもの位置にカメラを固定することはせず、そのまま葉子のまわりで、ハコが映らないよう、音声は拾える距離で『固定』ではない『パノラマ』のようにし動かして、大沼の風景へと向けている。
*え、また男の人の声がしたよね!
*一瞬だけハコちゃんの顔が見えちゃったよ。かわいい!!
*え、え。風景が動いてる!?
*誰が? ハコちゃん、ギター弾いているもんね。いつも音声はいっちゃってる男の人??
*カレシ? 彼がいるのハコちゃん!!?
撮影が終わってからコメント欄を確認してひやりとしてしまった。
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