4.ハコちゃん、よくできました。


 矢嶋社長が来るとわかった時から、父が考えていたものだった。

 明日、矢嶋社長は秀星が死去した湖畔に花を手向けるためにやってくる。その後にフルコースをご馳走すると父は決めていた。

 父は振る舞うテーマも定めていた。『大沼にいた秀星を思わせる料理』だった。

 彼と探したり一緒に決めたりした食材を使ったもの、また一緒に開発をしたメニューなど提供する。対して葉子は、父から湧き出る秀星の姿を矢嶋社長に伝える役割だった。


 秀星が仕込んでくれたすべてを発揮して、胸を張れるサービスをする。葉子は決意する。

 秀星が買ってくれた革靴を寝る前に磨く。

『これ、僕のお下がりだけどあげるね。靴磨きセット』

 彼と給仕長室で、よく一緒に磨いた。彼が期待して買ってくれた革靴の他にも、葉子自ら数足揃えたが、この靴は葉子の勝負靴と言ってもいい。履きつぶしたくなくて、なるべく長持ちするような履き方をしてきた。明日はこの靴を履いて、神戸の有名レストラン経営者、矢嶋社長へのサービスを担当する。



---☆




 父が誠心誠意込めた料理を、矢嶋社長は無言に、でも丁寧に食してくれた。


「アミューズです。〈大沼産蓴菜じゅんさいとプチトマトのコンポートとのカクテル〉です。蓴菜は夏が旬ですが、今回は保存しているものを使用しております。コンポートの味付けは、シェフと桐生給仕長が試行錯誤したものとなっております。レシピが決まった際の試食では、あの桐生給仕長とは思えないような無邪気な喜び方を見せてくれたそうで、シェフにとっても思い出深い一品になっているとのことです」


 次のオードブルはキャビアが使用されていた。父にも思い出深かったのか、そして葉子にも思い出深い、あの日の失敗。

 やる気のない娘を預けるオーナーシェフの心苦しさ、心構えも姿勢も悪い見習い女子の失敗、ここはライブ会場だと叱りつけた桐生給仕長の決意。

 そのことも、さらりと葉子は矢嶋社長に伝える。


 神妙な面持ちで食事をしていた矢嶋社長だったが、そこではじめてクスリと笑みをこぼしたのだ。


「そんなことが。ですが、わかります。桐生らしいですね。そうですか……。こちらでも給仕・セルヴーズを全力で育てていたのですね」


 全力で育てていた。葉子もそうだと思っていた。

 でも彼はそれを途中で切り捨てて逝ってしまった。

 そんな暗澹とした重さが胸に迫ったが、葉子は堪え、表情を変えない努力をする。


 料理は『スープ』、『ポワソン』と続く。

 やがて肉料理『ヴィヤンドゥ』へ。


「シェフと桐生給仕長がともに食べ比べをして選んだ函館牛でございます。〈牛フィレのロッシーニ・大沼風〉です。食材はすべて函館大沼周辺のものを使用しております」


 食後の『フロマージュ』へと到達する。


「シェフと桐生給仕長が探し当てた道産のチーズです。七飯町近郊にあります牧場のものです。デザートワインも道内シャトー産で、桐生給仕長が選んだものです」


 その日の父のメニューは、秀星との思い出を織り込んだ料理ばかりだった。

 テーブルへとサーブする前に、厨房でどのような料理か父から聞き取り、葉子からも秀星との思い出を語りながら、料理の説明をしてサーブした。


 矢嶋社長は、神戸でいくつも飲食店の経営をしているだけあって、ちょっと怖い目つきをするビジネスマンというのが葉子のイメージだった。だが、気のせいか。ひっそりと目元を拭いながら食べているような仕草も見られた。それでも葉子は秀星に教わったとおりに、お客様から語られるまでは、見ぬ振りをしてそっとしておいた。


「素晴らしい料理とサービスでした。来て良かった。ありがとうございました」


 食事が終わり、矢嶋社長が帰り支度をするときにそう言ってくれた。

 函館でもう一泊して、明日、飛行機で神戸に帰るという。


 タクシーが到着し、レストランのエントランスから見送るとき、矢嶋社長が父と並んでいる葉子を見つめていることに気がつく。


「まさか、あなたから秀星を感じるとは思いませんでした。大事に育てていたことが、よくわかりました。素敵なサービスでした。秀星に会えましたよ。こんな気持ちになれる食事は、ほんとうに久しぶりです」


 私から秀星を感じてくれた?

 懸命にしたサービスから、あの人を見つけてくれた?


『ハコちゃん、よくできました』


 あの人のそんな声が聞こえてくるようだった。


「泣くな。最後までサービスマンの顔で見送れ」


 畏怖を抱く経営者からの言葉に打ち震えている娘を知った父から、そっと耳打ちをされ葉子も我に返る。歓喜の涙を堪え、葉子は仕事の顔に戻す。いつも秀星と揃えていた『お客様の前では凛とすべき』という心構えを取り戻す。


 タクシーに乗り込む矢嶋社長が『また来ます』と見せてくれた笑顔に、父と一礼をして見送った。


 この日から、矢嶋社長との縁が出来た。

『また来ます』は、よくあるお礼だと父と葉子は思っていた。だがその後も、矢嶋社長はことあるごとに大沼にやってきては、店の料理を食べて帰っていくようになった。そして、秀星の親族の行方を調べてくれたり、父が秀星の遺産を引き取るまでの手伝いも惜しまず協力してくれたのだ。


 サービス。それは秀星が葉子に遺してくれた財産。初めてそう思えた。

 秀星の財産は『写真』、遺産も写真。

 だったら私は……。葉子の心の奥にある湖面が波立つ。




---☆---☆




 秀星が逝去して数ヶ月。

 初夏になり、北海道は観光シーズン最盛期を迎える。

 睡蓮が湖面を彩る前、葉子は彼が逝った水辺に立ち、ハンディカメラをセットする。


 秀星さんが撮影していた時間。


「初めまして、ハコです。今日からここで唄うこと、ここから見える北海道駒ヶ岳、大沼の景色を配信していきます」


 カメラの方向は、いつも秀星がレンズを向けていた方向と同じ。

 駒ヶ岳と大沼を見渡せるアングルに固定している。

 『ハコ』の姿は映らない。声だけ、歌声だけ入れて風景と共に配信する。



 動画サイトへの配信、記録としてSNSにその日に唄った曲名を記してつぶやいた。


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