2.遺品整理


 彼が遺したものを、父と整理する。

 アパートに遺されたものをひとまず十和田家で預かり、その日は給仕長室にあるものを整理することに。


 秀星がつかっていたデスクの引き出しや棚にあるものを、父と一緒にひとつひとつ確認をしている。


「ご家族にご親戚、いなかったの?」

「ああ。両親は既に看取ったことはわかっていたんだが、神戸で勤めていたレストランに問い合わせたら、疎遠になった兄弟などもいないらしい。出身は神奈川の小田原なんだが、親戚もみつけられなかった。普通、おじおば、いとこといるはずなんだがな。ご両親が親戚と疎遠にしていたなにかがあったのかもしれない。だから、事情を言わないで一人で生きていたのかもしれない。もしくは本当に血筋が途絶えた可能性も」


 そこは神戸の前雇い主に問い合わせても、まったく情報がなかったと父が言う。


「秀星さん、その神戸のレストランに、うんと仲の良い後輩さんがいたみたいだったよ」

「うん……。それもあちらの社長さんが、彼ならなにか知っているかもしれないと本人に尋ねたらしいけれど、その男性も非常にショックをうけていたらしくて、どうしてこうなったかもわからないと言っているらしい。彼にも前触れのようなものは一切見せていなかったようだったとか。それに、俺たちと同じように、秀星の親族のことはなにも知らないと彼も言っているらしい」


 あんなに慕っていた後輩にすらも、秀星は心の底の底までは見せていなかったということだ。

 誰も。彼の真の姿を知らないということになるのか。葉子に寂しさと同時に虚無感が襲う。

 あんなに楽しく日々を共にしていたのに。どうして? 神戸の後輩さんもきっとおなじ気持ちでいると、葉子は確信している。


「じゃあ。この膨大な写真データ。私たちが預かっていていいのかな」


 彼のアパートには、質素な独り暮らしのわりには、カメラにワインと高価なものがあったので、即刻処分するという決断も出来ずにいる。なによりも、写真のデータ数が膨大だった。


「専門家に聞いているところだ。俺の料理の写真の権利はもらっておきたいなと思って……。ほんとうに、毎日、欠かさずに……撮影して記録してくれていたのに……。どうするんだよ、これから。けっこう、頼っていた……店の接客も……」


 料理人で頑固な父が、娘の目の前にかかわらず、すすり泣いた。

 家族の話もでてこない。盆正月も帰省しない。だから、秀星はいつも十和田家と過ごしていた。

 父もいつのまにか弟分になっていたようで、ふたりでおいしいものを探求するドライブにだって頻繁に出かけていた。


 彼の突然の死に、葉子以上に父が打撃を受けている。


「このデータ。私が大事に保管しておくね。見るだけならいいよね」

「父さん、こういうデータとかよくわからないから、そこは葉子、頼む。見るだけならいいだろう」

「権利がどうなるのか、わかったら教えて」


 父が弁護士を通して間違いがないよう、秀星の遺品に細心の注意を払って引き取ろうとしていてる。

 きっと。どこかで、もう家族のような人になっていたのだと、いまになって親子で感じて、心を痛めている。

 哀しくてしかたがないのは葉子も一緒だった。


 彼が事務仕事をしていた小部屋で、彼が遺したノートパソコンに保存されていた写真データを葉子は眺める。


 父の毎日の料理に、大沼と駒ヶ岳の四季折々の写真、森でみかけたオオウバユリの開花写真や、エゾリスにシマエナガなどの野生動物の写真も。

 どれも綺麗なのに、彼はプロにはなれなかった。どれも、どこかで誰かが撮影してSNSにアップしていそうな出来映えなのかもしれない。

 毎日欠かさずに撮影することで、いつか奇跡の一枚が撮れることを待っていたのだろうか。

 彼が遺したデータをひとつひとつ確認しているうちに、思わぬ写真画像が、葉子の目に飛び込んできた。

 父の料理写真に混じって、黒い制服で給仕をしている葉子の写真がいくつか入っていたのだ。


 画像のデータ名が『笑顔、よくなった』、『まだ背筋曲がっている』、『シルバーを並べる姿、よし』、『ワインを注ぐ姿勢、惜しい』などなど評価のようなものがつけられていた。


 葉子はもう、とめどもなく涙が溢れてしかたがなかった。

 特に『笑顔、よくなった』に胸が熱くなる。こんな綺麗な顔をした自分を、葉子は自分でも見たことがないと思ったからだ。


 きっとこれが『ファインダー越しに見える写真家の目線』なのだろう。

 アナタは、たったひとりでも胸を熱くする写真を遺してくれていたんだよ。

 なんで。いまわかっちゃったのだろう? あの人が生きているときに、伝えたかったよ。伝えたかった……。


 それでも、あの人はあの場所に行くことをやめなかっただろう。写真家として望んだ場所だったのだろう。あそこに気が済むまでいたかったのだろう。葉子はそう思う。






 雪解けが進んだとはいえ、まだ湖畔や森林の散策道には、ところどころ雪が残っている。そして、雪も積もらなくはなったが、ちらちらと降る日も続いている。


 秀星が亡くなった実感がまだ湧かずとも、出勤する時間になると『いなくなった』という空虚に襲われている。毎日だ。

『ハコちゃん、おはよう』

 毎日綺麗にプレスしてある白シャツに着替えて、給仕長室で葉子を一目見たら、あの優しい笑顔をみせてくれるおじさんはもういない。

 その哀しみを押し殺して、葉子は仕事に向かっている。



教えてもらったこと、きっちりやりこなすよ。

秀星さんなら、言うよね。僕たちには毎日おなじことの繰り返しでも、お客様にとっては『一度しかない時間を楽しみにやってくる』。僕たちのその日の感情など、関係ありませんよ。対価を頂いている以上――。それが使命、責任。

あなたに教わったことで、お客様をもてなす。父の料理を最大限に楽しむための空間と時間を作り出すのがサービスマンがやること。やるよ、ちゃんとやる! 『正しく』届ける!


 父も必死に哀しみを押し殺して、ひと皿ひと皿、誠心誠意を込めて毎晩作り出している。


『僕のことを気にして仕事を台無しにするだなんて……。がっかりです』


 父もそう言われたくなくて、秀星に向かって意地でやりこなしているに違いない。

 葉子も向かう。ダブリエのヒモをきちんと締め、秀星亡き後のホールを守ろうとしていた。



---☆



 秀星の遺品を整理しアパートを解約したころだった。

 葬儀を終えて半月ほどすると、秀星が神戸で勤めていたレストランのオーナーが『弔問したい』と連絡をしてきた。


 家族親族のことをあまり話題にしなかった秀星に関係者がいないかと、父が神戸に連絡した時に対応をしてくれたオーナーだった。


「神戸から参りました、矢嶋と申します。『矢嶋シャンテ』というレストランを経営しています。先日は桐生の訃報のご連絡をありがとうございました。また、弔問も受け入れてくださってお礼申し上げます」


 到着したのがディナータイム準備中の午後だった。従業員玄関のチャイムが鳴り、葉子が対応をした。

 厨房で既に下準備に入っていた父に伝えると、十和田の家に通して母に対応してもらうようにという指示だった。


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