【2】名もなき朝の唄《ハコの動画配信》
1.夜明けの急逝
大沼と別れる日は『たぶん、まだ来ない』と言っていた。
だから秀星とはこれからも、父のレストランを一緒に支えていくのだと葉子は信じて疑わなかった。
彼と一緒にいる楽しい日々に、充実した仕事、そして、唄と写真の楽しいお喋り。毎日繰り返して、これから先も変わらないと思っていた。
傍らにいる秀星だって、葉子にはいつも優しく笑っていたし、楽しそうにしてくれている。
両親と彼とともに大沼で日々を過ごして、葉子は二十五歳になっていた。
三月、湖面の結氷が溶け始め、雪解けも始まっていた時節。
秀星自ら、大沼を離れていった。最後の写真を撮って、大沼からいなくなった。
これが『他の土地へ行きます』というただの転居であれば、どれだけ救われたことか。
---❄
三月の北海道はまだ春とは言えず、この時期でも暴風雪、ホワイトアウトに見舞われることも珍しくはない。
一晩中吹雪いて窓に雪が叩きつけられても、北国の気候に慣れている者なら、暖かい布団にくるまって安らかにやり過ごすことなども日常だった。
その日の朝も、そんな吹雪明けで、外は穏やかに明るくなり始めていた。
十和田家の電話が鳴る。父が出て、出たのに一切の返答もせず、ずっと無言でいることに気がつく。電話の相手が一方的になにかを話しているのだろうか。やっと小さな消え入る声で『はい、はい……』という反応が出てきた。
ダイニングで食事を一緒にしていた母と葉子は顔を見合わせる。父の様子がおかしいことに気がついた母の深雪がリビングへ――。
「秀星が、湖畔で……、凍死だと……」
「え……」
父の震える声が確かに葉子の耳にも届いた。母が言葉を失っている様子も届いた。
突然襲ってくる胸の鼓動、徐々に息苦しくなっていく。葉子も既に血の気が引いていた。でもまだ信じたくない、なにかの間違いであってほしい! 葉子もダイニングを飛び出し、ソファーにテレビが並んでいるリビングへと駆け込んだ。
「お父さん……秀星さん……どうして」
「……いつものところで、撮影していたそうだ」
「だって昨夜は、」
「吹雪の中で撮影していたんだろう。そのままらしい――」
そのあと、レストランは臨時休業となり、各方面への対応で父と母が忙しく動く。
葉子は茫然としながら、父と母のあとについて手伝ったり……。彼の遺体の引き取りに追われ……。
人が亡くなると、こんなに慌ただしいのだという記憶しかない。
荼毘に付すまでの期間の短さ、目の前の見えていることのほうが早く流れていて、受け入れられない気持ちが追いつかない。
彼と最後まで一緒に居たカメラが、父の手元に帰ってくる。
父が
葉子もそのカメラを抱かせてもらった。まるで彼を初めて抱くような気持ちで、機器なのにぬくもりを感じるのはどうしてだろうと思いながら。
突然去った人の心の奥はすぐには見えない。だから、哀しみはより深くなり彷徨うしかない。
どうして、どうして……。父と母とともに、何度も問う日々の始まりでもあった。
「さよならも言えない別れなんて。それで良かったの? 私も、お父さんもお母さんのことも、レストランのことも、捨てたの?」
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