■Reentry(8)


 人間は空を飛べない。彼女だってそれは同じ。だというのに、彼女はあまりにも軽々と、都市の空を舞っていた。ドローンと手を……脚を……取りあって踊るように。

 自由自在とはいかないのだろう。直線的に跳んでは、ドローンを蹴って軌道をわずかずつ変え、高い場所へと登っていく。その動きは、まるで。


「スイングバイ……」


 星の引力を利用して軌道を変える、宇宙飛行の技術のようだ。重力から解き放たれ、利用すらして宇宙を往く姿を連想した。

 黒いハーネスも動きを止めて、上に意識を向けているようだった。


「……ありがとうございます」


 ティコさんに、届かない感謝の言葉を述べる。おかげで、私がやるべきことを思い出した。

 どうして先輩が、とか、先輩だから勝てないとか、そんなことは後回しだ。今、私が考えるべきことはたったひとつ。


「自分の務めを果たそうとしている市民を、守ることです」

「……秩序を乱し、治安を乱してでも、か?」


 黒いハーネスが、聞き知った声で、問いかけてくる。応じて警棒を中段にまっすぐに構えて頷く。

 はっきりと、頷くことができた。


「秩序は大切です。それでも、秩序のために悪を為すのは間違っています」

「人工知能には、倫理がない。正義がない。あの技術を野放しにするのは、危険だ」

「ならば、私たちが守ればいいでしょう! それが警察企業わたしたちの仕事ではないのですか!」


 叫びとともに、同時に踏み込んだ。

 がちん、がちん、と互いの武器がぶつかりあう。技術でも、膂力でも、装備の質でも負けている。本気を出した先輩に、私は徐々に押されていく。一歩一歩、下がりながら、必死に打ち合う。


「退け、キヌ。言ったろ。お前じゃ勝てない……!」

「…………」


 大きく振るわれた剣を、警棒で強く打ち払う。巨大な岩を叩いたような、堅い手応え。殴ったこちらの方が態勢を軽く崩すほど、力を込めていた。


「その、呼び方を」


 胸の奥から、燃えたぎる感情が弾けそうだった。感情の熱に押されて、声は自然と、叫びとなった。


「今のお前が、その声でッ! 呼ぶなッ!」


 警棒を両手で握り締める。構えは中段。警棒の先端を通して相手を睨む。ああ、この構えを教えてくれたのも、先輩だった。

 だが。目の前にいるのはもはや、敵だ。


 頭上から、激しい音が降ってくる。視線は黒いハーネスに据えたまま、眼鏡のカメラを上に向けて確認するに留めた。

 〈ハイブ〉が堕ちる。

 ティコさんが、やったのだ。


「……すごい」


 空中から、ティコさんが落下するのが見える。助けに行きたい。だが、それは私の我儘でしかない。

 彼女は、ぼろぼろになりながら空を往き、〈ハイブ〉を撃墜してまで、役割を果たそうとしている。自らの意思で貫いている。


 ならば私の役割は何だ?

 決まっている。否、今、確かに決めた。


「最速の機動力!」


 パワーアシストは焼け付く程に全開だ。警棒を振るう度に身体が軋む。だがもう一歩。もう半歩。ハーネスの横や後ろへ回り込む動きを入れて、傷めている敵の足に負荷を掛ける。


「最新の技術力で!」


 眼鏡型端末に敵の攻撃をシミュレートする。現実と、一瞬先の未来とを把握しながら警棒を振るう。敵の剣が速度に乗り切る前に叩け。


「――市民の皆様に最高の安心を!」

「やってみせろ……!」


 ハーネスが吼え、警告灯が激しく煌めく。橋の上で見せた『本気』の正体は、AIによる自律駆動だ。最も効率的に人を殺すための動き。文字通りの殺戮機械を、都市に持ち込むなんて。怒りとも嘆きともつかない感情が、私の胸を焦がす。


 剣が引き絞られる。最速の攻撃、突きの構えだ。弾丸もかくやの速度で、剣が突き出された。

 突きは、胸を狙う軌道。避けるも防ぐも難しい、本気の一手が迫る。眼鏡に表示される予測軌道、その全てが回避不能を示していた。


 、むしろ加速して踏み込む。避けるのも、防ぐのも、無駄だからしない。心臓と大動脈には当たらないように、わずかに身を捩った。

 温存した力は、警棒を振り上げることに使う。上段に振り上げた警棒を渾身の力で振り下ろすのと、剣の先端が私の胸に突き刺さったのが、同時だった。


 更に踏み込み、体重を警棒に乗せる。痛みは可能な限りオフにした。リンクスの使い方として、推奨されないどころか、やってはいけない裏技だ。


「ひっ、ぐ……!」


 痛みを感覚できなくした身体に、鋭い刃が潜り込む。異物感としか表現できない、気持ち悪い感覚。反射を抑えることはリンクスでも難しいから、びくりと身体が震えるが、筋力を振り絞って抑え込む。痛みのショックで身体が動かせなくなることだけ避けられれば問題ない。

 咄嗟に引き抜こうとしたのか、あるいはねじって止めを刺そうとしたのか。力が入るのがよく見えたハーネスの肩に、警棒を叩き込む。表面の絶縁加工を一撃で剥がしきり、電流がハーネスの腕の制御を奪った。強く跳ね上がった腕は、もう動かせないだろう。

 胸から剣を生やしたまま、警棒を今度は横へ振るう。肩を殴打した跳ね返りも利用して、頭を狙った。ハーネスは背中側に反るような動きスウェーバックで回避する。


「逃す、かッ!」


 叫び、踏み込む。身体の中に入り込んだ刃が、リンクスの制御も超えて神経をかきむしり、痛みで私を麻痺させようとする。


 知ったことか。

 ティコさんは両脚を失っていても跳べるのに胸を刺された程度で止まってたまるか!


「ああああああああッ!!!」


 避けるために態勢を崩したハーネスへ、警棒を、思い切り振り下ろす。

 自分でも、叫んでいるのか、吐息しているのかわからなかった。痛みと出血は急激に体力を奪い、思考は白く染まっていく。


 だが、たったふたつ。

 武器を握り締めることと、ハーネスの赤い視覚素子だけは、最後まで感覚していた。


 衝撃音。

 全力を、死力を注ぎ込んだ警棒が、ハーネスの頭部を砕いた。割れた装甲の下からこぼれた、見知った先輩の顔。視線が合う。


「よくやった」


 そう、言ってくれたと思ったのは、弱い私の想像だっただろうか。

 放電が、先輩の言葉も私の叫びもかき消して、夜を一瞬だけ明るく照らした。

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