■Reentry(5)
月を隠した巨大な釣り鐘から、柔らかな女の声が響いた。
『市民の皆様へお知らせいたします。当区域において、強力な治安維持活動を実施いたします。付近の方は警察官の誘導に従って避難するか、その場で座り、動かないでください』
『ちょっと……あれ、何?』
『空中ドローン空母……〈ハイブ〉です』
『……まるっきり兵器でしょ、それ。まさかNFL-セキュリティが?』
『はい。持っているという噂は聞いていましたが、まさか本当に……しかも、都市内で展開するなんて』
キヌが驚きから立ち直り、改めてアクセルを握り込む。〈ハイブ〉は、走るこちらを睥睨しながら、各所のライトを瞬かせて優しい女の声を響かせる。
ばしゅっ、ばしゅっ、と音が数回連続する。音の正体はすぐにわかった。十分な速度を得た状態で射出された大型ドローンが、数台、一気にこちらへと飛び込んでくる。都市を巡回するためのドローンとは目的からして違う、
『キヌ! 追いつかれる!』
『く……!』
上から、射出と重力を得て一気に近付いてくる大型ドローンの影は、まず五台。その向こうには無数のドローンが浮かんで、私たちの一挙手一投足を監視している。
『所詮ドローンでしょ、撒けない!?』
『〈ハイブ〉には反射的管制の機能があります。周囲のドローン全てがあれの目なんです!』
『ッ、七時、射撃!』
斜め後ろへ肉薄した大型ドローンの一台から、勢いよく拳大の弾丸が射出された。いや、弾丸というより砲弾の方が近いか。こちらに当たる前に弾けて、液体を撒き散らしたからだ。
私の警告を受け取ったキヌは、咄嗟の動きでバイクを右へずらす。頭が置いていかれそうな軌道変更。アスファルトが削れた音がした。道路に穿たれたタイヤ痕に、液体がぶちまけられる。暗くて見えにくいが、べちゃ、と粘性の音がした。
『何か吐いたんだけど!?』
『おそらく機動阻止システム――摩擦を奪って動きを封じる、滑る液体です!』
『なにそれ、……ちょっとやらしい!』
『馬鹿なことを叫ばないで……!』
本物の武器を積んでいなくて助かった、とはならない。
ドローンが次々と襲いかかってきては、液体や電気や光を浴びせかけてくる。
『三時方向! 次は八時!』
『追い込まれないように、何とか……!』
『キヌ、飛び道具ないの!?』
『ありません!』
気持ちいいほどの断言。ないなら仕方ない。
今のところキヌの操縦で何とか避けられているが、相手がAIなら、ほどなくこちらの動きを学習し、対応してくるだろう。
手の届かない場所からこちらを睥睨する〈ハイブ〉を睨み、歯噛みした、その時だ。バイクが突然、けたたましいブレーキ音を立てて減速した。
『!?』
前につんのめって吹き飛ばされそうになって、キヌにしがみつく。どうした、とは問わなかった。
私も、見たからだ。バイクが向かう先に立つ、黒い影を。
『黒い、
単眼のような視覚素子を赤く輝かせ、手には細身の剣を握っている。明らかに、こちらを待ち受けていた。
ドローンが襲いかからないのを見るに、仲間なのだろう……つまり。やつは、NFL-セキュリティの――
『どうする、……キヌ?』
バイクは更に減速し、緩やかに停止してしまう。
ハンドルを握るキヌの表情は硬い。
『……ティコさん。お願いがあります』
『うん』
『あれは、私が相手をします』
『……任せた。じゃ、私は上だね』
『良いんですか?』
『もちろん。何かあるんでしょ。私も一発蹴りつけてやりたかったけど、譲ってあげる。……負けるなよ?』
『任せて、ください!』
ばん、と、キヌの背中を叩いてやった。バイクの座席を蹴り、地面に降り立つ。
隙と見たのか、気が早いドローンが突っ込んできたのを、脱いだヘルメットを投げつけて迎撃した。吹っ飛んで壊れたドローンを捨て置いて叫ぶ。
「人の気持ちも知らないで飛び回りやがって。全部叩き落としてやる!」
啖呵としては、まあまあだ。
キヌをその場に残し、登りやすそうなビルへと向かって走る。大型ドローンが上から様子をうかがっている様を睨みつけた。
背後で、バイクのエンジンが唸る音がした。そちらは任せて、私は意識をドローンに集中させる。見上げるのはやめて視線は前へ。代わりに、義足のセンサーをやや上向きにして、大型ドローンと〈ハイブ〉を
歩く速度から、小走りになり、ダッシュへと加速する。登りやすそうな、飾りが多いビルを選んで、駆け上がった。
「やっぱり……!」
二階か三階くらいまで一息で駆け上がった私に対して、大型ドローンたちは距離を取る動きで上昇する。予想通りだ。ドローンの
「けど!」
ビルの外壁、何かのパイプに掴まって動きを止めた私に対して、一台のドローンが突っ込んでくる。動きは、フェイントのないまっすぐの軌道。
「この
理不尽な感情を叫び、体重を沈め、パイプを蹴る。上に跳ねた身体で、今度は外壁を思い切り蹴りつけて、斜め上に跳ぶ。
ドローンの経験には、停止状態から斜めに鋭く跳び上がる人間、のデータはなかったようだ。一瞬、見失ったように動きを緩めた大型ドローンへ向けて、斜め上の位置から足を振り下ろす。すれ違いざまに踏みつけた姿勢だ。スニーカーの底が勢いよく回転翼を踏み割り、基部を砕いて叩き落とした。
そのままの勢いで斜め上に飛んでいくが、すぐに重力に捕らわれて失速、放物線を描いて落ち始める。向かう先は別のビルだ。そのまま地面に落ちると痛いので、壁を蹴って勢いを速度に変えてから地面に降りる。走る私の背後に、空から液体やら電気やらが放たれては地面に広がった。
再びビルの壁面を上り、空中へアプローチする。最も高い位置にいる〈ハイブ〉は、必死で駆け上っても届かない高さに浮いている。
「っ」
ぞわり。
……背筋が震えた。私の経験と、義足のセンサーが、気配を感じ取っていた。攻撃意思とでもいうべき気配を。
ドローンの
大型ドローンの一台を先頭に、無数の小型ドローンが魚の群れのように追随する。魚の群れのように、滑らかで有機的な軌道でこちらへと迫る。その勢いは、先程までの様子見とは異なる速度だ。
息を整える間もなく、
隣に堕ちてきた頑丈そうな黒い網を拾って、腕に巻きつけておく。頑丈そうだし、ドローンを捕らえるのに使えるかもしれない。
着地の衝撃から立ち直る間に、追随してきたドローンの群れが爆発したかのような勢いで散開し、私を取り囲んだ。
ドローンに追い回されるのは日常だが、普段はせいぜい数台で、動きも目的もバラバラだ。視界が覆われるほどの数が、全て私を捕らえに来ている状況は――正直、恐ろしかった。
もうこちらの動きを学習したのか。
「無理矢理にでも、突破するしかない、か」
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