■Reentry(1)


 都市外イナカでは、月も星も、ずいぶん綺麗に見えた。


 宇宙は広がり続けていて、頼りなく光る星たちとの距離もどんどん開いているというけれど、私が生きているくらいの時間では見え方は変わらないだろう。

 手を伸ばし、星に手が届かないことを確かめる。


 見上げていた視線を、水平に戻した。

 視線の先には、遠く、煌びやかな都市シティの明かり。天の川を間近で見たら、あんな感じなのだろうか。土星から、土星の環を見上げたら、ああ見えるのだろうか。

 それとも、土星にも同じような都市があって、私と同じような女の子が、都市の明かりで環が見えづらいと文句を言っているのだろうか。


「ふふっ」


 益体もない想像に、思わず微笑む。


『どうしました?』


 バイクを駆る前席のキヌが無線越しに声をかけてくる。私の微笑みを聞き取ったのだろう。ぽん、と背中を叩いてやる。


『何でもない。ありがと』

『……? どういたしまして』


 キヌは緊張しているようだった。私よりよほど重い決断をしたはずの彼女の背中は、頼もしかった。警官イヌを褒めるのは癪だが、大した女だ。バイクは気持ちいいし。


 私とキヌを乗せたバイクは風を切って都市へと近づいていく。今からその全てを敵に回すわけだ。私は〈コーシカ商会〉の、キヌはNFL-セキュリティの、バックアップもない状態で。現状を再認識しても、不思議と震えはしなかった。

 徐々に建物や民家が増えてきて、キヌが警告の声を上げる。


『NFL-セキュリティの保安契約範囲に入ります!』

『イヌの縄張りだね。突っ走れ!』


 バイクはさらに速度を上げて、寝静まった住宅街を抜けていく。

 ……いや。

 今宵にかぎり、住宅街は寝静まってなどいなかった。


 空を飛び交う多数のドローンが航空灯を瞬かせる。多くの家は明かりをつけ、カーテンの隙間から端末のカメラを向けてきている。

 恐る恐るいくつかのSNSを覗いてみると、前後左右に天面からと、あらゆる角度で撮影された私たちの姿が位置情報とともに拡散されていた。凄まじいバズり具合だ。肖像権で金が取れ――あ、システムにブロックされた。パーソナルIDを検知されたらしい。


『私たち、有名人インフルエンサーだよ!』

『嬉しくありません……!』


 居場所が拡散されたからだろう、行く手に漂うドローンがさらに増えた。半分は報道屋パパラッチ、残りは警察企業イヌと個人所有が半々というところだ。雑多なドローンの群れは、ひとまずこちらには手を出してはこない。ただ、見失わないようにとカメラを向けてくるだけだ。


 実際に、まず手を出してきたのは、無謀な若者たちだった。都市の片隅で、色々と持て余している、愛すべきバカたち。いやま、今の私の立場も似たようなものだけど。手に鉄パイプやら角材やらを持って、道路に立ちはだかっている。


 バイクが、少し速度を落とした。それで理解する。NFL-セキュリティが懸賞金をかけてまで市民を『使った』のは、私がメインの目的じゃない。

 キヌの動きを制するためだ。

 彼女は、罪もない一般市民を攻撃できない。私なら躊躇いなく蹴散らしてしまうが、警官である彼女はそうではない。


『かわしていこう。周りは私が見る』

『……お願いします!』


 バイクが傾き、危険な程の角度で曲がる。道路を削り、タイヤが僅かに空転した後、針路を変えたバイクが若者たちを避けて狭い道へ入った。一車線の道を抜け、隣の大通りへ。落ちた速度を取り戻す。

 今度は、大通りを並走する手動運転マニュアル車からカメラのレンズを向けられる。あからさまに幅寄せしてきた車を、キヌが鮮やかに抜き去る。さすが機動捜査官シェパード。幅寄せしてきた運転手には、追い抜きざま舌を出してやった。


「市民の方は危険ですので下がって下さいッ!」


 NFL-セキュリティの制服組おまわりさんも、かなりの人数が出ている。目としての役割はドローンに譲ったとしても、制服を着た警察官がそこにいることは治安上重要だそうで、NFL-セキュリティは結構な人数の制服組を抱えている。彼らが簡易バリケードを組んで作った検問を、ルート選びで回避し、取り囲まれるのを避ける。


『使命に燃えた顔しやがって』


 市民と違い、的確に連携して包囲の輪を狭めてくる。流石に、プロフェッショナルだ。

 バイクは下層住宅地区を通り過ぎて港湾地区へ入りつつある。道はやや狭く、入り組んでいて、何より人通りが多い。大通りと同じ速度での巡航は難しい。


『危険です! 進路に立たないでください!』


 バイクに積まれた拡声器から、キヌの叫びが迸る。声には力がこもっているが、その源は怒りではなく焦りだ。さすがに、走行中のバイクの前に飛び出してくる者はいないにしろ、道路に立ってこちらへカメラを向けてくる者はいる。そうして速度が鈍れば、飛びかかろうとしてくる馬鹿がいる。


『キヌ、左後ろ!』

『!!』

 左の後ろから近づいてきていた大型の二輪車ビッグスクーターをかわし、加速。横から寄せてきていた車と数センチの距離で一瞬だけ並走し、一気に抜き去る。

 前に立っていて逃げようとする歩行者と、立ち塞がろうとする歩行者が、思わぬ加速に混乱する中を、僅かな人の隙間にねじ込むようにバイクがすり抜けた。

 惚れ惚れするほどの、冴えた操縦技術。


『やるぅ!』


 思わず歓声をあげた。両手を突き上げて賞賛できないのが残念なくらいだ。代わりに、瞬きの間に置き去りにされた市民たちのポカンとした顔を、ざまあみろと見送った。


『白い二輪車バイク、止まりなさい』


 そこに。

 拡声器で拡大された、男の声が響いた。

 キヌの身体が震える。小さな反応だが、しがみついた背中から震えがはっきりと伝わってきた。


『キヌ! 囲まれてる、左右と後ろに一台ずつ――』

『わかっています』


 キヌの方が、もちろん、その正体をよくわかっていた。


『……機動捜査課シェパード


 白いバイクを駆る、警察企業の猟犬たち。

 キヌと同じか、それ以上の実力者が三人、私たちを包囲していた。


『鞍掛捜査官。止まりなさい。君が連れている者は、指名手配を受けている』

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