■Deorbit burn(8)

 キヌと同時に私に掛かってきた連絡は、社長からだった。

 羽刈が口うるさく言っていた設定を思い出してセキュリティを張ってから、通話を繋ぐ。


『社長、大丈夫!?』

『ああ、ティコくん。こちらはひとまず大丈夫だ。怪我などしていないかな?』


 声はいつも通りで、少し安心した。……ただし、社長の場合、黒いハーネスに襲われてすらいつも通りだったから判断が難しい。


『手短に、現況を伝えるから、よく聞いて欲しい。我々〈コーシカ商会〉と各務弁護士は、今、NFL-セキュリティに拘束されている』

『拘束? なんで!?』

『重要参考人を逃亡させ、証拠隠滅の恐れがある、ということだよ』


 さらっととんでもないことを言ってくれる。

 私が次の言葉に迷ううちに、社長は続けた。


『この連絡も、特別に許されたもので、警察官の立ち会いのもとに話している。証拠隠滅の指示がないように……とのことだが、本音は君の居場所を探りたいのだろう。だから、そのまま静かに聞いてくれたまえ』


 頷いてから、それでは通じないと思い出し、辛うじて『うん』と声を送った。


『「荷物」は持っているね。ではそれをNFL-セキュリティに提出し、君も出頭したまえ。無理をして、危険を冒して逃げる必要はない』

『……は?』


 思わず、声が漏れた。リンクスは間の抜けた声を忠実に拾い、向こうに届けている。


『むろん、運び屋としては忸怩たる思いだろう。だが、警察企業の治安維持に協力するのは市民の義務だ。君のような一社員に危険を担わせ、あまつさえ犯罪になりかねない状況へ飛び込ませるのは、責任者として許可できないところだ』


 ああ。うん。なるほど。

 きっと今、社長は笑っていないだろう。何か、それっぽい、しおらしい表情をしているはずだ。

 そしてその周囲で……〈コーシカ商会〉の面々は笑いをこらえているに違いない。今の私と同じように。

 咳払いをひとつ入れて、出来る限り落胆したような声で、応えた。


『はい、社長。素直に出頭します』

『そうしてくれたまえ。くれぐれも無理はしないように』


 ぶつり、接続は唐突に断ち切られた。

 最後の一言だけは、本音なのだと、何となく伝わってきた。

 この後、私が『荷物』を運ぶなら、〈コーシカ商会〉の後方支援バックアップを受けられない状態で行うしかない。


 藍さんのオペレーションも。

 シゲさんのメンテナンスも。

 羽刈の情報収集も。

 社長の無責任な自信に満ちた激励も、ない。


 どれもない状態で仕事をするのは、初めてだった。

 ふと、通話を終えたキヌと目が合う。


「怖いですね」

「うん。すごく怖い」


 その感情は、自分でも意外なほど素直に、唇からこぼれた。

 自然に微笑むことができたのは、無理をして、強がる必要がなかったからかもしれない。


「……言いにくいのですが。ティコさんに、指名手配がかかるそうです。強引にでも逮捕するつもりでしょう」


 キヌが教えてくれたのは、今以上に追い詰められるという情報だ。特別捜査係だけじゃなく、NFL-セキュリティ全体が敵に回る。

 怖いという感情は募る。社長がああいう言い回しをしたのは、隣にいるという警察官を誤魔化すためが第一としても、私が本当に逃げても良いようにとも考えてくれたのだろう。


「指名手配、ね。……やっぱり、危ない?」

「正直にいえば、厳しいでしょう」


 キヌが静かに頷く。

 目指すべき場所と、立ちはだかる敵が見えたからこそ、冷静に考察できる。


「NFL-セキュリティは、仮にも都市の治安を担ってきた会社です。人数がまず、違います」

「こっちは二人で、黒いハーネスだけでも手一杯なのにね」

「ええ……。かなり撹乱しないと、取り囲まれてしまうでしょう」

「……っふふ」

「……? なにか、おかしいことを言いましたか?」


 キヌが、怪訝そうな顔をする。首を横に振って、微笑んだ。


「だって、本当は私を逮捕する立場でしょ。……なのに、自然ふつーに、味方でいてくれてる。それが嬉しくて」

「う。それは……ええ……私はあくまで、正義と真実の味方をしたいと……」

「まさか惚れたか?」

「違います」


 赤い顔でばっさりと切り捨てられてしまった。つまらない冗談に、二人でちょっと、笑う。


「怖いけど、ま、でも。大丈夫かな――いけそうな気がする」


 根拠は二つ。

 私はただの小娘じゃない。人よりも多少早く走れて、高く跳べる、義足がある。運び屋としての実績と経験もそれなりにある。

 そして、キヌが私を支えてくれている。私とは正反対の、生真面目な、口うるさい、頼れる女が。


 どっちも借り物、他力本願だって?

 構わない。私は、私を生かしてくれる人とモノを信じて、頼る。

 都市では、誰かに頼らず生きていけるやつなんていないのだから。


「作戦会議といこう、キヌ。届けて価値ナンボの運び屋稼業、意地でも届けてやるから」

「はい。無理は……この段になって、無理はするな、とは言いませんが。危険はできるかぎり、引き受けます」


 印刷した地図を広げ、二人でああでもないこうでもないとルートを考える。

 仕事の時間は、近かった。



 作戦会議を終えて、出発は深夜と決めた。

 役所の窓口は、受付自体は二十四時間してくれるし、時間を置いてこの工房を嗅ぎつけられる可能性もある。できるだけ人を巻き込みたくないのもあって、深夜、丑三つ時の襲撃となった。

 キヌは、ソファで仮眠を。私は、地面にマットを敷いてストレッチをしていた。


「ん……」


 息は止めないように、ゆっくりと、全身の筋肉を伸ばしていく。同時に、脳内では義足の設定用アプリを開いている。

 本来はシゲさんと一緒にやる深さの設定をいじるのは、少し怖い。致命的な設定にはエラーが出るはずと信じて、慎重に、少しずつ。出力分布パワー反応性リアクション駆動速度スピード微調整チューニングしていく。


 設定は普段よりも少々極端ピーキーに寄せる。普段デフォルトが走るための設定とするなら、今目指しているのは、跳ぶための設定だ。より力強く、より機敏に。代わりに、制御を誤れば、私は都市の地面に真っ逆さまだろう。

 それでも、跳んでみせると強がっておく。義足の全力を発揮する必要が、おそらく、ある。


『――』


 ざざ、と古めかしいラジオが雑音ノイズを吐いた。BGM代わりに流していた司会者パーソナリティの男性の声が遮られ、やがてクリアになったラジオからは、落ち着いた女性の声が流れ出した。


『NFL-セキュリティより、市民の皆様に臨時のお知らせです』


 ラジオを歌わせるジャックするくらいだから、ずいぶん金を掛けている。ご苦労なことだ。

 何を言うのかと、ソファに座っていたキヌも、瞼を開いてラジオを見る。


『現在、我々は、都市内での誘拐事件に関わる重要な参考人を捜索しています』


 私のことだろう。盗人猛々しいとはまさしく……いや、この人は知らないんだろうけど。


『そこで、市民の皆様からも広く情報を提供していただきたく、ご協力をお願いいたします。有力な情報には、最大八千万円の懸賞金を設定いたしました』

「げふっ」


 思わず咳き込んだ。

 八千万円。都市中央部に部屋を確保できる金だ。


『同時に、各プラットフォーム事業者の皆様に、参考人のパーソナルIDを提供いたします。ご協力頂ける企業のご担当者様は、この後公開される窓口へご連絡ください』

「なんてことを……」


 キヌが表情を曇らせる。私の方は八千万円の衝撃から立ち直っていない。


『最速の機動力、最新の技術力で、市民の皆様に最高の安心を。NFL-セキュリティから、緊急のお知らせでした』


 女性はもう一度呼びかけを繰り返したあと、いつものフレーズを口にして終えた。元の番組に戻ったラジオを消し、ストレッチを終えて立ち上がる。


「ねえ、キヌ……」

「その、ご不安でしょうが……」

「八千万円って、私が自首してももらえるかな?」

「そんなわけないでしょう!?」


 冗談冗談、と笑う。

 脳裏には〈ミネルヴァ生命保険〉の社長の声を思い出していた。五千万じゃ靡かなかったから、今度は八千万か。やってくれる。もっとマトモな金の使い方をすればいいのに。


「金に目がくらんだ市民と、私のパーソナルを知ってるシステムと――都市の全部が、敵ってわけだ」

個人情報プライバシーに踏み込むのはNFL-セキュリティとしてもかなりの覚悟が要るはずです。懸賞金といい、完全に敵だと考えた方が良いですね……」

「上等。終わったら訴えて一億円取ってやる」


 キヌがバイクを起動させ、ヘルメットを投げて寄越す。しっかりと被って、後ろに乗った。


「行こう」

「行きます」


 周囲は漆黒。夜を鋭く裂いて、私たちは走り出す。

 都市へ向けて。

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