■Deorbit burn(4)

 〈コーシカ商会〉のオフィスを脱出した私は、ひとまず警察企業の追手を撒くために都市シティを走り回った。機動捜査官さえいなければ、都市で私に追いつける人間なんていない。小一時間も走れば、ひとまず独りフリーにはなれた。

 巡回ドローンパトローンの捜索に引っ掛かればまた追いかけてくるだろうが、一息はつける。


「どうしよっかなぁ……」


 ドローンが使用する高度というのはある程度決まっていて、高度が高いほど手続きは面倒になるから、数が減る。高層タワーマンションと同じく、高いほど高価いハイヤー・ハイヤーというわけだ。なので、お気に入りの高層ビルの屋上に腰を下ろして都市を眺めていた。もちろん不法侵入だ。


 屋上の縁に座り、足をぶらぶらさせる。義足の踵が軽い音を立てて外壁を叩く。見下ろす都市は、夕日に照らされてオレンジ色に染まっていた。影の色とのコントラストに、車とドローン、人々が動くのが点みたいに見える。


 背負った荷物が、ずっしりと重い。でも背中から下ろす気にはなれなかった。

 ふと、リンクスが着信を知らせる。一瞬社長たちからかと期待したが、知らない番号だ。

 このタイミングで迷惑電話ということもあるまい。立ち上がって移動を始める。ミネラルウォーターを一口含んでから、応じた。


「ハロー?」

『〈コーシカ商会〉の運び屋ミュールだな』

「誰、おっさん。まず名乗る程度のビジネスマナーも知らない人間とは話せないね」

『小娘が、生意気言いやがる。〈ミネルヴァ生命保険〉の米倉だ。不勉強な小娘でも知ってるだろうな?』


 〈ミネルヴァ生命保険〉。都市の保険業界で二番手の大企業だ。社長の名前まで知らないよ、と脳裏の片隅で検索。確かに名前は米倉だ。小太りでいかにも今話しているようなことを言いそうなおっさんの画像を確認する。

 公式キャラクターのホケロウ君はかわいいのに。


『NFL-セキュリティが嗅ぎつける前に、手短に話すぞ。背負ってる荷物を渡せ。五千万支払おう』

「その程度の端金で、運び屋の矜持プライドを買おうなんて。それでよく社長なんてやってられるね」


 ……ん。

 反射的に『おとといきやがれファック・ユー』を心に浮かべて答えてしまったが。今、五千万円と言ったか? マジで? えっと……私の給料何十ヶ月分だ……? いやいやいや。


『ふん。社員六人の零細企業でも、中身には見当がついてるってところか』

「ふ、ふっふふ、どうでしょ、うね?」


 声が裏返った。ええい、動揺するな。電卓アプリを呼び出している場合じゃない。

 いくら積まれても渡してやるつもりはないけれど。このタイミングで声をかけてきたからには、状況が見えているということだ。

 余計な情報を渡さないように注意しないと。うう、こういうのは社長の得意分野なのに。


『その荷物はな。都市の秩序を壊滅的に乱すものだ。悪いことは言わねえ、手に負えなくなる前に寄越せ』

「秩序? 警察企業イヌみたいなこと言うね、保険屋が」

『当然だ。保険業は、失敗を秩序のうちに収める仕事だぞ』


 男の言葉に、わずかな熱を感じる。


『ドローンもAIも、本質的に失敗を内包する。つまり保険業のお得意様だ。わかるか?』


 聞かれてしまったから答えるけど、これ言ったら怒られるだろうな。


「全然わかんない」

『真面目に聞きやがれ。……失敗は構わない。犯罪だって、金で収まる範囲ならそれもまた秩序だ。だが逸脱は許されねえ』


 背中の荷物の重みが増した気がした。

 遅れて理解する。五千万円という金額の提示は、誘惑ではない。

 攻撃だ。

 お前の背負っているものはそれだけ重いのだという圧力プレッシャーを掛ける、確かな攻撃だった。


「はッ。誰が許さないっての?」


 当然、そんな重さは笑い飛ばしてやる。


『運よく死ななかっただけの小娘が、強がらないことだな』

「……ハーネスをけしかけたのはアンタか」


 こいつが黒幕なのか……あるいは、黒いハーネスと協力関係にあるのか。

 いずれにしろ、このおっさんは私の逆鱗に触れた。元々渡すつもりはないが、もっとなくなった。五千万円などこれっぽっちも全然全く何ひとつ惜しくない。


「私は私の行きたい場所に行くだけ。私を止めたきゃ、五千万ドル積みな」

『若い癖にいい啖呵だ。事が終わって生きてたら、うちで雇ってやろう』


 互いに和やかな挨拶を投げたところで、通話は切断された。情報収集としては……うーん。やっぱり社長みたいにはいかないものだ。

 背中の荷物を担ぎ直して移動する。色々なことが脳裏に渦巻いていた。


 五千万円をかけてでも奪いたい荷物。

 手も足も出なかった強さのハーネス。

 事務所を包囲する警察官たち……その先頭に立つキヌ。


 足が止まる。

 普段なら軽々と飛び越えられる、ビルとビルとの距離が、今は何故かひどく遠く感じた。


「どうしよう」


 地上から二百メートルの高さで、立ち尽くす。

 どこに向かって、跳べばいい?

 気付くと、私は座り込んでいた。薄暗くなっていく屋上で、何かのパイプに腰を下ろす。

 義足は本当に高性能で、ぐちゃぐちゃになった私の感情を忠実に表現するように、止まっていた。


 なんとなく、思い出す。

 私は昔も、こうやって座っていた――

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