■Deorbit burn(3)

 反応は劇的だった。


「オープンソース化か!」


 羽刈が声を上げて立ち上がる。


「確かに、ぶちまけちまえば『存在を知られていない攻撃手段』はなくなる!」


 目を大きく見開いていた各務弁護士が、表情を歪める。首を横に振り、声を絞り出した。


「だが、それは……危険だ。あまりにも、危険過ぎる」

「危険とは? 各務弁護士」

「悪用の危険性が広すぎる。目端の利く者ならば、多くの活用方法を見出すだろう。NFL-セキュリティだけが知っている状況の方がまだ、秩序立っている可能性すらある」


 声には、苦渋が滲んでいる。もちろん、各務弁護士も今の状況がいいと思っているわけではないはずだった。それでも危険だというのなら、本当に危険なのだろう。


「でも」


 思わず、声を出した。

 考えながら、言葉をひねり出していく。


「北楽さんは、AIが、人類の友達になるって言ってました」

「……それは」

「危険なのは解ってたはずなのに、削除せずに送ろうと思ったのは……北楽さんが、必要だと思ったからじゃないんですか?」


 荷物を受け取った夜を思い出す。重圧と恐怖に憔悴しながら、AIのことを語るときは楽しそうで――本気だった、北楽さん。


「私達は運び屋です。荷物を、送りたいところ、届くべきところへと、運びます。……北楽さんはこの情報を、どこに届けたかったんでしょうか」

「…………AIは、人類の友になる。あいつはそう言っていたかね」

「はい。あと……AIは殺人を止めないって例え話を」

「……くっ」


 言葉の途中で、各務弁護士が吹き出した。……笑うところ、初めて見た。

 肩を震わせ、抑えようとして抑えきれない様子で笑った各務弁護士は、ゆっくりと息を落ち着かせた。


「その例え話。私が学生時代に作ったものでね」

「……パクリ?」

「そういうことだ。……このままでは、この技術は闇に葬られ、NFL-セキュリティが独占する危険な技術になりかねない。それは北楽にとっても、人工知能という技術自体にとっても、悲劇だ」

「じゃあ?」

「ああ。公開する方向で動こう。それが、北楽の最終的な目標にも沿うはずだ」

「各務弁護士が、北楽氏の名前で発表すれば、NFL-セキュリティも好き勝手には動けなくなるだろうね」

「だが、どうやって公開する? ネットに出した途端、NFL-セキュリティの捜査五サイバー課がひっ捕まえに来るだろ」

「ネット経由は望み薄っすね」

「弁護士会などの協力は得られませんか」

「……彼らは、事なかれ主義だ。残念ながら、もみ消されて終わりだろう」


 盛り上がりかけた事務所に、ため息が重なる。都市の治安を預かるNFL-セキュリティの能力は伊達ではない。

 ――噂をすれば影が差す。それもまた、NFL-セキュリティの実力のうちなのだろう。


「来客のようだ」


 社長の声でオフィスに緊張が走る。羽刈とシゲさんはデータの処理に入り、藍さんが監視カメラ映像を共有してくれる。私も椅子から飛び降りて屈伸ストレッチ

 三秒ほどして、インターホンの音が響く。

 雑居ビルの一階、ロビー部分の映像に映っていたのは――


「キヌ!?」


 玄関のカメラに映っているのはキヌの顔だった。犬の耳みたいなカチューシャに、機動捜査官のバイクスーツ、フル装備だ。彼女の後ろには、背広スーツを着た連中が六人ほど見える。懐に不自然な膨らみがあるのは、荒事を想定している証拠だ。

 社長がウィンドウを操作し、私に向けて『黙ってろしー』のポーズをしてから、応答する。いい大人の男にやられても……と思うが、社長はその手の気障キザっぽい仕草も似合うと言えば似合う。


「〈コーシカ商会〉にどのようなご用件でしょうか」


 静かな社長の返答。映像の中のキヌが、ぐっと全身に力を込めるのが見えた。


『NFL-セキュリティです。そちらに、鍋島 綴子さんはいらっしゃいますね』

「確かに当社の社員ですが、ただいま手が離せません。私がご用件を伺いましょう」

『……都市内で発生した拉致事件について、参考人としてお話を伺いたいのです。つきましては、NFL-セキュリティの本社までご同行願います』


 ……その言い方が、あまりにも事務的だったから、頭にきた。社長が穏やかに制止しようとする視線も無視して、応答ウィンドウの操作を奪い取る。


「私が犯人だとでも言いたいの?」

「ティコさん。そうは言っていません。ただ、荷物を持ったままのあなた方は、この事件に関して非常に重要な情報を有している状態です。我々としては……」

「我々なんか知るか」


 こほん、と咳払いが二つ。片方は社長。もう片方はキヌの後ろにいた背広姿の男。神経質そうな顔の中年で、多分警察官イヌだろう。そういう目つきだ。

 もちろん、その程度の妨害で私の声を止められるはずもない。


「アンタがどう思ってるか聞かせてよ、キヌ!」

「私は……、……荷物を、引き渡して欲しいと、思っています」

「なんで」

「貴女が確保している荷物は非常に重要だと、NFL-セキュリティでも情報を得ているんです」

「お話になんない。なんでNFLがそれを知ってるか、わかってる?」


 画面を挟んでのにらみ合い。向こうはこっちが見えていないはずだが、カメラを真っ直ぐに見つめているのが、いかにもキヌらしいと思った。

 強く張られていたキヌの声が、小さくなる。


「お願いです……私は……あの時、本当に、貴女がハーネスに殺されると思ったんです。守るべき市民を守れず……目の前で。このままでは……貴女を、守れないのが、怖いんです」


 キヌの声はほんのわずかに震えていて、本当に私のことを想ってくれているのが伝わってきた。同時に、声に含まれた恐怖も本物だと伝わる。

 だからこそ我慢できなかった。


「ふざっけんな」


 頭に血が上っているのがわかる。リンクスから控えめな警告……『ストレス反応あり』。リンクスが反応できるのは神経のレベルまでで、その集まりである精神こころは理解できていない証拠だ。そんなわかりきったことを言われたら、誰だってますますイラつく。


「守れない、だって? ふざけないでよ、警察イヌ野郎。あたしがいつ守ってくれって頼んだ?」

「守るべき、市民です。貴女も、各務弁護士も、貴女の会社の皆さんも」

「それがアンタの仕事だもんね。勝手にやってなよ、守ってやるから外に出るななんて言わずにさ」

「なっ……、そんなことは言っていません! 私はただ、あなた方を危険から遠ざけたくて」

「同じことだろーが! アンタにとって危険なだけかもしれないけど! これは、この荷物は、北楽さんの……依頼主の……大切な、届くべき、ものなんだ」


 ああ、ちくしょう。怒りでいつも以上にバカになってるのを差し引いても、この大切さを、北楽さんの熱を、運び屋の使命を、説明する語彙が私にはない。もっとちゃんと話したいのに、言葉が想いより先にあふれてしまう。


「大切ならなおさら、私たちに任せてください!」

「だったら――」


 あ、やばい。

 これは言ったらダメなやつ。ほんのわずかに生き残った理性がそう主張するものの、一度放たれた言葉に引きずられるように、言ってしまった。


「最初からちゃんと守ってよ。北楽さんのことも、各務さんの家族も」

「っ……!」


 画面の中で、キヌの顔が辛そうに歪む。嗜虐的な快感が少しと、自己嫌悪がたっぷり。笑ってしまうほどの責任転嫁いいわけだ。あの非常階段で北楽さんを見捨てたのは自分のくせに。

 仕方ない、だってキヌが先に地雷を踏んだんだから。そんな風に言い訳してしまうのもまた、情けない。視界がにじむ……涙がこぼれた。脳にチップを埋め込んでも、人類はまだまだ泣き虫だ。


 空気を求めてあえぐように、私の唇が開いて、閉じた。

 何かを言おうとして、しかし発せなかった言葉は、永遠にどこかに消えてしまった。


「鞍掛君。気は済みましたか?」


 キヌの後ろに控えていた男が割って入ってくる。神経質そうな細面に、押し殺した笑みを浮かべている、カマキリみたいな印象の男だ。嫌味なほど高級そうなスーツの懐から警察手帳を取り出し、見せつけてくる。『NFL-セキュリティ 特別捜査係 嵯峨根』の文字と顔写真。藍さんが社長に向けて小さく頷くのが見えた……本物、ということだろう。

 涙を手の甲で拭い、その男を睨みつける。


『特別捜査係の嵯峨根さがねと申します。うちの鞍掛が失礼しました。そちらの社員の方と、重要な情報を確保することが、我々としても治安維持に必要でしてねぇ……』


 ねちっこい、絡みつくような言い方。こいつは嫌いだ。まだ熱い思考のまま決めつける私の手を、藍さんが引っ張った。

 代わりに改めて社長が応対する。


「勿論、警察企業に協力は惜しみませんとも。手が離せる状態になれば、すぐに出頭させましょう」


 笑顔で睨み合う二人。

 藍さんにありがとうと囁いて立ち上がる。藍さんが小さく頷いてくれた。


「裏口も張られてる。窓から行きな」


 羽刈が積層記憶媒体を示して、慌てた動きでバックパックに詰めていく。


「こっちが元ネタ。こっちにコピーと、考察を入れてある。奪われるなよ」


 余計な一言が羽刈らしい。

 シゲさんが私の義足を指さす。


「本当ならオーバーホールが必要な状態だ。無茶するんじゃねえぞ」

「わかってる……けど」

「……馬鹿野郎。せめて、無茶する前にしっかりメンテナンスしろ。マニュアルは送っておく」

「ありがと!」


 バックパックを背負い、スニーカーを履きなおす。各務弁護士に、頭を下げた。


「ごめんなさい、各務さん。家族、助けられなくて」

「いや。君が気にすることではない。その荷物を頼むよ、……怪我などしないように」

「……うん!」


 窓に駆け寄った瞬間、社長がのらりくらりと時間稼ぎをしていたのに業を煮やしたのだろう、嵯峨根たちが踏み込んで来た。警察企業の捜査令状に逆らえる大家はいない。遠隔施錠スマートロックも良し悪しである。

 窓を開き、窓枠を蹴って跳び出す。四階の高さを活かして通りを横切り、対面のビルの壁面に着地。パイプを掴んで壁を蹴り、方向ベクトルを変えてすっ飛ぶ。こちらを見て喝采を上げているのは近所の住民、ぽかんとしているのが張り込み中の警官だ。


「よし……!」


 義足の調子は、悪くはない。痛みはあるが、跳べるし、走れる。シゲさんの腕に改めて感謝する。

 まずはNFL-セキュリティを撒かなければ。包囲の外側に着地し、そのまま通りを駆け抜ける。どこへ向かうかも決めないまま。


 皆を残してきたオフィスを振り返りはしなかった。

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