■Orbital Operation(5)


 私がNFL-セキュリティへ戻り、報告をする前に、鯨井課長は切り出した。


「鞍掛君。〈スピカ〉襲撃および各務弁護士襲撃事件の捜査は、特別捜査係が担当することになる旨、通達がありました。本件は一類機密扱いになります」

「何故ですか!」


 表情も、声も硬い。常に穏やかな鯨井課長には珍しい態度から、彼にとっても承服しかねる指示だと伝わってはきた。だとしても、納得できるわけではない。


上層部うえの判断です」

「だからって……!」

 特別捜査係トクソウ。名前は仰々しいが、その実態は謎に包まれている。私たち身内ですら、内情を知らされることはない。上層部からの特別な指示のみで動き、事件を、証拠を、犯人すら、元々の担当部署から浚っていく。その後の顛末も、断片的な情報が降りてくるだけ。ついたあだ名が『特別掃除係』。あらゆる事件をなかったことにしてしまう、謎多き部署だ。


「とにかく、報告を」


 課長の、壁のような声。まだまだ胸の中に渦巻く言葉は、飲み込むほかなかった。

 概要は通信で報告してあるが、機動捜査課では、余程の緊急でなければ口頭報告が行われる。前課長の頃からの習慣で、会話に勝る情報収集なし、ということらしい。


「……はい」


 課長のデスク前に立ったまま、報告を始める。

 橋上の戦闘から脱し、黒いハーネスを振り切った後、私とティコさんは各務弁護士が乗ったタクシーを追った。

 ティコさんと、彼女が所属する〈コーシカ商会〉の素早い判断により、タクシーは無事移動していた。一度蹴散らした暴力団が再度の襲撃を企てないかが不安だったが、幸い、襲撃はなかった。


 各務弁護士は、タクシーを護衛しながら、彼自身の強い希望もあって〈コーシカ商会〉へ。襲撃の焦点と目される『荷物』も、同様に〈コーシカ商会〉が確保している。


「『荷物』については、提出を求めましたが、拒否されました。預けたままでは安全確保が難しいことは、説明したのですが……」

警察企業われわれには、法を犯していない市民に対する押収権限はありませんからね。こればかりは、致し方ありません」


 ティコさんにも、鷹見社長にも、『荷物』を渡すことはできないと突っぱねられた。見上げた職業倫理というほかない。

 せめて、と、巡回ドローンパトローンの一部を張り付けておく提案を行い、〈コーシカ商会〉および本部に承認されている。有事にはすぐに通報してくださいと何度も言い聞かせてきたが、ティコさんに届いたかどうかは怪しいところだ。


「……報告は以上です」

「御苦労様でした。ひとまず、現状の報告は特別捜査係に上げておきます。追加が必要な場合は都度、私から指示しますので」

「了解しました」

「元々公休でしたね。少々食い込みましたが、休日に入ってください」

「……はい」

「ああ、鞍掛君。……何があってもすぐに動けるようにしておいてください」

「は……はいッ!」


 特別捜査係が取り上げて終わり――ではない、『何か』が発生する可能性を、鯨井課長は感じているのだろう。

 自動二輪〈トモエ〉の整備に、戦闘データの洗い直し。現場検証の手伝いに、栄養補給。やるべきことはいくらでもある。


「先輩は……巡回中ですか」


 隣の机に先輩の姿はなかった。久し振りに稽古でもつけてもらおうと思ったのだけれど。ならば、最初にやるべきことは。


「現場百遍、ですね」



 現場となった橋は、昨夜の戦闘などなかったかのように、うららかな昼の陽射しを愉しむ人たちで溢れていた。港湾地区の商業施設を結ぶ橋だから、往来は多い。


 橋の一角が黄色と黒の情報遮断テープで区切られていた。眼鏡型端末トータルオプティクスの視界に、『最速の機動力、最新の技術力で、市民の皆様に最高の安心を』のモットーが表示される。

 状況を確認していた鑑識班の職員へ声をかけて、IDを提示。テープの中へ迎え入れられる。私の状態ステータスは休暇となっているはずだが、そんなことを気にする職員はほとんどいない。警察企業の職員、特に刑事部のスタッフなど、基本的に変人ばかりだからだ。


 予想通りというべきか、黒いハーネスの遺留品てがかりは残されていない。こちらが逃げ出した形になったから、証拠隠滅クリーニングの時間は十分にあっただろう。周囲のドローンや監視カメラにも逃走の様子は確認できず。眼鏡の自動録画機能と、バイクの録画装置レコーダーが捉えた僅かな映像を解析に回している。


「……この痕跡は」


 周到に動くハーネスが、ほとんど唯一残した痕跡は、橋の石畳風樹脂を砕いた攻撃の痕だ。ティコさんと私を相手取りながら、ハーネスは明らかに手加減をしていた。その理由のひとつが、攻撃の痕跡を残さないため、だったのだろう。最後に動きが突然変わるまで、橋を傷付けずに戦っていたのだから。


 しゃがみ込み、証拠品の位置関係を示す二次元コード付き立札の横、深く穿たれた穴を見つめる。眼鏡に、穴の大きさや深さがまず表示され、続いて衝突時の推定エネルギーが表示される。防護帯カチューシャや防弾アーマーでも防ぎきれないレベルの大エネルギーだ。下手に受ければ、こちらの警棒ごと砕かれる可能性もあった。


「では……あの武器も、特別製と見た方が良さそうです」


 剣状の武器。間合いは長いタイプの警棒に近いか。これだけのエネルギーを受ければ、まともな素材なら反動で折れている方が自然だ。

 痕跡に素材の欠片や形状などが残っていないか。鑑識が得たデータを確認しようとした私のアクセスは、エラーメッセージと共に弾かれた。


「……権限が、ない?」


 こんな些細なデータまで徹底して情報を制限されるとは。特別捜査係は、余程この事件をデリケートな案件として位置づけているらしい。

 しゃがみ込んだまま、穴を睨み付けて、唸る。鑑識フロアに直接乗り込めばデータは見せてもらえるかもしれないが、流石に上層部に睨まれそうだ。捜査権限は、理由があって制限がかかるものだし。それにしても、ここまで素早く、厳しく制限を掛けるとは……一体何が起こっているのか。


 私の頭を、ぽん、と大きな手が叩いた。


「隙あり。そんなトコで丸まって何してるんだ、キヌ」

「せ、先輩!?」


 慌てて跳ね除けて立ち上がる。ヘルメットを小脇に抱えた先輩が笑ってこちらを見下ろしていた。


「どうしてここに」

「お前と同じだよ。違法ハーネスの遺留品、何かないかと思ってな。情報が少なすぎて、動きをイメージするのも難しいから」

「なるほど」


 無意味な相槌を返し、頷く。いきなり髪を撫でられて頬が赤いのは……よし、引いた。引いたはずだ。ややうつむきがちに先輩を見上げる。


「そう睨むなよ。俺の方はほとんど空振り。お前は?」

「睨んでいません。……私も、ダメですね。出力の桁が違うから、まともには受けられない、という程度です」

機動安全服ハーネスってのは、『素早い重機』みたいなモノだからな」


 先輩にとっても、その出力は脅威らしい。やはり、避けるか、そもそも攻撃されずに無力化する方針が最優先だ。


「それと……鑑識データにもアクセスが弾かれました。事件はもう特別捜査係の管轄に移ったようです」

特別捜査係トクソウが出てるのか」

「鯨井課長がそのように。ですが……二度も民間人を襲撃して逃げおおせている相手です。放ってはおけません」


 思わず拳を握り締めて、言ってしまった。生意気だと思われたかもしれない。けれど、先輩なら、機動捜査官なら、解ってくれると思っていた。

 思っていたのに。

 先輩の口から発されたのは、否定の言葉だった。


「……いや。お前はもう手を引け」

「ど……どうしてですか!?」

「理由は二つ。一つ目、そういう命令だからだ。法令遵守コンプライアンス研修、あっただろ。横紙破りを、お前の年齢トシで覚える必要はない。特別捜査係が出張ってるなら、なおさら」

「それは……そうかもしれませんが……」

「二つ目、お前じゃ勝てない。そもそも、一対一タイマンは警察企業の戦い方じゃない。俺たちは情報を集めて連携、複数で確保するのが常道だ。機動捜査官シェパードやってると忘れそうになるがな」

「…………」


 反射的に出そうになった『反論でも』を、ぐっと歯を食いしばって噛み潰す。

 先輩は正しいことを言っている。わかっている。それでも――拳を、強く握った。


「わかったな」

「……はい」

「よろしい。なら、今日はひとまず休め。休日の使い方も覚えろよ」


 ばん、と強く、先輩の手が背中を叩く。衝撃は、手から与えられたのか、言葉から与えられたのか分からないまま、私はその場を後にした。

 バイクを制限速度ぎりぎりまで飛ばしても、気分は晴れなかった。

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