■Deorbit burn(1)

 〈コーシカ商会〉は、沈黙に包まれていた。

 盗聴対策としてつけっぱなしのラジオから、ニュース司会者パーソナリティの冷静な声だけが事務所に流れていく。その中心で、机に置かれたケースに手をかざし、私が沈黙を破る。


「じゃあ、開けます」


 ごくり。喉を鳴らす音が、誰かから聞こえた。私だったかもしれない。

 〈コーシカ商会〉の面々――私、鷹見社長、羽刈、藍さん、シゲさん。各務かがみ弁護士。広くはない事務所に六人も立っていると、やはり手狭に感じる。


 机には、治安維持組織規格レベルIIIの電磁波遮断ケース。各務弁護士から預かった鍵を摘まみ、鍵穴へそっと差し込む。物理・電磁の両方で施錠されたケースが、ゆっくりと開いていく。


「各務弁護士、確認を」

「……問題ない。進めてくれ」


 橋で助け出した各務弁護士は、一旦〈コーシカ商会〉に来てもらうことになった。

 北楽さんの拉致や、ハーネスの襲撃に、この『荷物』は関わっている。そう判断した私たちは、各務弁護士と相談し、一度受け取ってもらった体で『荷物』を開封することにした。中身が解析できれば、襲撃者の手掛かりになるかもしれない。


 ケースの中には、汎用サイズ100×70積層記憶媒体ボックスが二点。手のひらにギリギリ乗らないサイズの黒い箱が二つ、梱包材に厳重に包まれて鎮座していた。


「藍さん、電波状況」

遮断中クリーン

「どーも。じゃ、解析に回しますよ」


 羽刈がグレーの薄い手袋を手に付けて、記憶媒体を取り出す。有線、無線のどちらからも遮断した、スタンドアローンの端末へ繋げる。ずらずらと文字が流れていく画像を覗くのは、主に羽刈とシゲさん、そして各務弁護士だ。


「やはりAI関連のプログラムだな」

「readmeは……流石にないか」

「どういうモノなのか、聞いてねえのか、各務さんよ」

「残念ながら。鍵を持っておいて欲しい、と言われただけだ」


 三人で、ああでもないこうでもないと言いながら、解析を進めていく。その間、鷹見社長は各所へ連絡を取っての情報収集。藍さんは電波状況の監視チェックだ。


 私は……することがない。

 黒いハーネスとの戦闘で傷ついた義足については、応急処置をシゲさんにしてもらったところだ。入れ替えられる部品は入れ替えて、衝撃吸収材も電池も補充済み。蹴り返されたつま先が若干凹んでいるが、性能低下は5%程度で済んでいた。

 接続部クッションの痛みはまだある。義足と違って生身の身体は治るのに時間がかかるものだ。


 とは言え、走り回る用事も今はない。外で見張りをするのも大袈裟だ。画面を覗いても、AIのことなどわからないし、電波は遮断されているから動画サイトにもつながらない。


「うーん」


 邪魔にならないよう、自分のデスクに座る。足を軽く投げ出した姿勢で、念のため、義足のセンサーは強めに働かせておく。

 リンクスから、アプリを脳内に展開する。義足の管理用アプリで、普段はシゲさんと一緒に操作するものだ。

 管理用アプリの機能で、三次元映像として、義足を視覚に投影した。椅子に座った姿勢そのままに、義足の状況が詳細に表示されている。


「……」


 外装を透明にして、内部の構造を映す。各部位の名前や、機能を、ひとつひとつ考えて、わからなければあとで調べるためにメモする。

 義肢装具士や技術者になりたいわけではない。けれど、自分の脚のことくらいは知っておきたいと、数か月前から勉強を始めた。……何となく恥ずかしくてシゲさんにはまだ言えてないが、いつか教えてもらおうと密かに思っている。


「……むつかし」


 しばらく脳内で義足を矯めつ眇めつして、思わず呟いた。

 動力義肢は、シゲさんによれば、人間が動く仕組みよりもよほど複雑だという。人間の有機的な動きを機械で再現するためには、多くの工夫と装置が必要なのだと。そのおかげで私は飛び跳ねることができているのだが、勉強しようと思うと文句のひとつも言いたくなる――我ながらわがままだ。


 管理用アプリの機能で、反応感度や駆動速度、可動範囲を調整しながら、脳内で動かしてみる。机の下でほんのちょっと義足が動いてしまうのを隠しつつ、設定を調整する。いわば、神経のチューニングだ。義足を付け始めた頃はよくやった。すっ転ぶたびに少しずつ弄っては、歩き、転び、屈伸して、またすっ転び――私がバカになったとしたら、あの時頭を何度もぶつけたからだと思う。

 ずっと思考に耽溺していたから、だろうか。義足を付け始めた頃を思い出したのをきっかけに、水に沈んでいくように、思考が過去に少し浸る。


 義足を付けての習熟運転リハビリは、正直、ものすごく辛かった。指を動かすだけでも、膝を曲げるだけでも、全身の力を振り絞るよう。送り込まれてくる情報の波に脳は焼け付きそうだったし、自分の知らない感覚に神経をぐちゃぐちゃにされて、血反吐を吐きそうだった。というか、血反吐まではいかずとも胃液は何度か吐いた。

 最初の数ヶ月は、生まれたての子鹿でももうちょっとまともに歩けるだろう、という有様だった。思い出したくもないが、今でもたまに夢に見る。『お前は何処にも行けないんだ』という言葉が父の声音で響いてくる、嫌な夢だ。実際にそんなことを言われたことなんて、ないのに。


 それでも歯を食いしばって必死に足を動かすうち、徐々に動きは良くなってきた。ゆっくりとした成長曲線が一気に上がったきっかけは、一つの動画だった。

 あるアスリートの、数十年前の動画だ。



 タチアナ・クリシナ――プラチナブロンドが美しいロシア人で、両足下腿義足のアスリート。動画は、ジャカルタ・で400mの銀メダルを獲得したときの記者会見だった。


 彼女が使ったのは、義足からのフィードバックというコンセプトを初めて実用化した競技用義足だった。リンクスも何もない時代だ。そのやり方は非常に単純かつ乱暴シンプルで、『地面を踏んだ衝撃で微量の電流が流れる』結晶部品を仕込んだというものだった。競技用だから、動力とみなされかねない電力を使うわけにもいかなかったらしい。


 だが、その効果は劇的だった。十七歳の、足のない少女は、激戦の400m競技で健常者のオリンピアンたちを鮮やかに抜き去った。当時最速と呼ばれた女王と一騎打ちデッドヒートを繰り広げ、最後はたった一歩の差で破れた。


 当然、記者会見は満員御礼。称賛と、応援と、好奇と、懐疑と、否定の声が、一斉に浴びせられることとなった。


『銀メダル、おめでとうございます。一部では、人間の足より高性能な足を使ってオリンピックに出るというのは、大会の趣旨に反しているのではないか、という批判もあります。ミス・クリシナ、どうお考えになりますか』


 スポーツよりもゴシップを追う方が似合っていそうな記者野郎パパラッチの質問は、当時、確かにあった批判の代弁だった。今も昔も報道屋の習性は変わらないものだ――美味そうな肉を漁り、大衆へ撒き散らすハイエナ。

 この質問に対して、タチアナはゆっくりと首を傾げてから、控えめな声で答え始めた。自慢ではないが、動画を見すぎて、一言一句誤らずに再現できる。


『……私は、日本の、コンペイトウというお菓子が大好きなんです。甘くて、可愛くて、美しい』


 きょとん、という音が聞こえて来そうなほど、喧騒とフラッシュに満ちた会見場は一瞬沈黙した。


『練習中に、日本にいる妹から差し入れてもらったコンペイトウを食べていた時です。一粒、こぼしてしまって』


 ふふ、と恥ずかしげに微笑むと、妖精のような美しい表情が、可愛らしい印象に変わる。


『慌てて拾おうと立ち上がったら、その当時はまだ義足に慣れていなかったものですから、転びかけて……。コンペイトウを踏んでしまったんです。私、「いたっ」って言って飛び跳ねちゃいました』


 少女のなんでもない思い出話が持つ意味を、一秒二秒かけて、記者たちが理解し始める。ざわざわと、さざなみのように声が広がっていく。

 質問のため立っていた記者が、小さく身震いした。タチアナの瞳に、少女が秘めた強い意志が滲んだのを見て取ったのだろうか。


『尖ったものを踏むと、痛い。当たり前のことを思い出させてくれたこの義足こそが、私の足です。土を蹴る感触、風に当たる感覚、皆さんと同じでなくても、私は今の足で感じる感覚が好きです。今回は、オリンピックに出ても良いと許可を頂けたから、走りました。皆さんがそれはおかしいと仰るのなら、私は私の足を受け入れてくれる場所で走るだけです。――私は、この足とともに、何処へでも行けるのですから』


 立ち尽くしていた記者が、へたり込むように座る。ありがとうございました、と言ったはずの声は、会見場を埋め尽くす拍手の音にかき消された。


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