■Upper Stage(5)

「で、なんで逃げたの?」

「いきなりバイクで乗り付けてきたり、目の前に降ってきたり、そういう相手からは逃げるに決まってるだろ。凄い勢いで追いかけてくるし」

「正論だ……」

「正論じゃありませんよ、私はちゃんとNFL-セキュリティと名乗りました」


 観念して床に座り込んだ物屋ものやの言い訳はそんなところだった。

 逃げないよう左右から見下ろして、ちょっとした尋問。この状況でも、どこかふてぶてしく笑っている物屋は、中々の胆力と言えた。

 とはいえ、私の仕事は手紙を渡すだけで終わりだ。懐から取り出した封筒を手渡す。


「確かにお届けしました。電子署名サインもらえる?」

「どーも。……実家からか」


 私はリンクスを、物屋はシルバーの指輪型端末ウォッチを通して、受け取りの電子署名をもらう。封筒の差出人を見て、物屋が目を細めていた。


「申し訳ありませんが、物屋さん。手紙を読むのは後にしてもらいます」


 キヌが身を乗り出す。静かな声だが中々の迫力だ。眼鏡を光らせ……錯覚かと思ったら、高機能の視覚補助端末メガネらしく、実際に薄っすらと光っていた……物屋を見下ろした。


「あなたは現在、複数の詐欺事件について、重要な参考人と目されています。署でお話を伺いたいので、ご同行願えますか?」


 警察企業イヌに独特の回りくどい表現。権利に配慮しつつ圧力をかける技術の賜物らしい。素直に『犯人だろ?』って言えばいいのに。

 警官、それも機動捜査官に凄まれて抵抗できる市民は少ないが、物屋はその少ない方だった。爽やかな笑みを浮かべて、自信ありそうな態度でキヌを見上げた。


「申し訳ありませんが、今少々立て込んでいまして。情報提供はメールで行いますよ。ああ――貴女からのデートの誘いなら、全ての予定を蹴ってお答えしますが。凛々しくて、可愛らしいお嬢さん」

「うわぁ」

「くだらないことを言わないでください」


 思わず声が出た。機動捜査官を口説く男は初めて見た。キヌの方はさらりと受け流している……意外に、その手の言葉には慣れているのだろうか?

 私の声に、物屋が視線を向ける。興味を持ったというよりは、時間稼ぎだろう。


「それとも、君とお話の時間を取った方がいいかな、脚の綺麗な運び屋さん」

「にゃっ!?」


 不意を衝かれた。顔が少し赤くなるのを感じる。……いきなり脚を褒められたのは初めてだ。


「……そうやって被害者を騙しているのですか。今回は、マッチングアプリを使っているようですが」

「騙してるとは人聞きの悪い」


 ニヒルを気取っているのか、ふ、と鼻を鳴らす物屋。軽薄そのものの仕草で、全く重みがない。


「あの手のアプリは、まだまだ素直な人工知能A Iを使ってるところが多いんだが……その割にヒツジが結構いるからな。そういう方々に、恋愛やら投資やらっていう刺激を提供しているだけさ。……もちろん合法的に」

「……ヒツジ?」


 キヌが首を傾げた。聞きかじった言葉だが、確か……。


「AIのおすすめに従う人の蔑称、だよね」

「俺は蔑称とは思わないけどな」


 ちなみに、AIに推奨されることを強く嫌う人たちは『モグラ』と呼ばれる。全く人間は、悪口を開発することだけには勤勉だ。


「ヒツジの連中は、安心と、ちょっとした刺激が欲しいのさ。その需要を満たすのが俺の商売――じゃなかった、ボランティアってところで」

「とにかく!」


 キヌが声を張り上げる。机があったら叩いていた勢いだ。


「合法かどうか判断するのは、あなたでも、私でもなく、法廷です。どうかご協力を」


 眼鏡の奥の視線は剣呑だ。そんな風に脅しを掛けるから警察企業は嫌われる、と、傍から眺めて思う。今の私は完全に野次馬だ。正直、楽しい。

 物屋も観念したのか、肩をすくめ、ゆっくりと立ち上がる。髪をかきあげる仕草は、気障キザっぽいが中々決まっていた。


「せめて」手の中の封筒を揺らす。「実家からの手紙だ。こいつを読む時間くらいはくれ」


 キヌが不承不承頷く。封筒を破り、便箋を読み進めていくうちに、物屋の瞳に涙が浮かぶ。


「ばあさん……」


 一言呟いた物屋が歩き出す。制止しようとしたキヌに濡れた視線を向け、僅かに震えた声をこぼした。目元を拭いながら扉を開く仕草を、キヌは静止しきれなかった。


「……トイレだよ。すぐ戻る」


 ぱたんと閉じた扉。

 さて、と私も声を上げて、ベランダに向かう。追いかけてきていた男たちも流石に解散したようだ。スニーカーをとんとんと確かめる。


「私も行くよ。またね、キヌ!」

「お気をつけて、ティコさん。道交法と航空法に違反せず移動しなさい」


 返答はしなかった。嘘つきにはなりたくないし。

 代わりに、一つ教えておいてあげることにした。


「あいつ、逃げてるよ」

「なッ!?」


 トイレの奥で、小さな窓が開く音――やっぱり聞こえてなかったか。

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