■Upper Stage(4)

「さて、と……」


 走りながら、周囲に視線を巡らせる。路地と、路地よりは少し広い道が複雑に入り組んだ風景は、コンクリートの色が多い。そこかしこに数名の男たちがたむろして、端末ウォッチを弄ったり、何やら話したりしている。派手なストリート風、特徴のない普段着風、鮮やかなアジア風。服装は様々だが、小集団でまとまっていて交わることはない。看板を出していない店に、妙に厳重なシャッターが降りた倉庫――どう見ても、治安が悪い。デトロイトとかこんな感じだろうか。行ったことないけど。


 特定行政区画コトブキは、名の通り、都市の中でも特別な位置付けの場所だ。

 二世代前、この辺りは歴史的な理由で治安が良くなかったらしい。一世代前、外国人訪問客を受け入れるなどの政策が実施された。

 土地柄、元々外国人の勢力が強かったところへ、更に色んな国からやって来た人たちが増えれば、当然いざこざが起きる。ついでに、都市の発展と新自由主義の強化すきにおかねをかせぎなさいにより貧富の差が拡大。都市に近く、家賃は安い、ある意味で魅力的な土地を巡って、あらゆる勢力が鎬を削り、治安は大いに悪化した。


 結局は、共倒れダブルダウン、勝者なしに近いかたちで手打ちが済み、現在に至るというわけだ。土地勘のない者が通りがかっても死なない程度には、平和になった。

 そんな状況だから、この特定行政区画だけは、警察企業ではなく警察庁が直々に管轄している。噂では、NFL-セキュリティが出した『特別警備』の見積もりが高価すぎて、行政側が突っぱねたともいわれていた。


 ジョギングの速度で走るだけで、そこかしこから視線を感じる。ドローンも監視カメラもないのに、それらよりずっと露骨で警戒心の強い視線が、窓から、ビルの上から、たむろする連中から向けられる。

 思わず、唇を舐めて、笑みをこぼした。


 あの野郎ものやはこの区画に逃げ込んで一安心と思っているのだろう。小娘では追ってこれないとほくそえんでいるのだろう。

 上等だ。

 運び屋ミュールは、モノを届けて価値ナンボの商売。ずっしりと重い手紙を届けることが、私の仕事で、意地で、矜持だ。


「首を洗って待ってやがれ」


 治安が悪いとは言え、いきなり襲われることはないし、襲われたとしても逃げ切って見せる。

 ただ、逃げ込んだ物屋は異なるはずだ。初めて迷い込んで無事で済むとは思えないし、原付では真っ直ぐにこの特定行政区画を目指しているように見えた。となれば……。


「隠れ家を用意してるのかな」


 凄腕の詐欺師だし、セーフハウスを用意するだけの金やコネはあるだろう。視線を巡らせて、動きの少ない街並みの中、『誰かが通った』気配を探す。通行人の流れ。たむろする連中の視線。最後に見た、走っていった方向。そういう諸々を分析し、勘のスパイスを効かせる。


「よう、誰か探してんのか? 手伝ってやろうか」


 行く手に、男が三人、立ちふさがる。たぶん、日本人だ。じゃらじゃらとアクセサリーを身に着け、剣呑な笑みを浮かべて見下ろしてくる。親切心は一切感じない、とても素直なわかりやすい青年たちだった。

 歩調を少し緩めて、にっこりと微笑みかけてやった。こちらが恐怖か警戒を示すと期待していたのだろう、男たちの顔に怪訝が浮かぶ。


「男、茶髪、白いシャツ、逃げてる!」


 単語を並べて投げつける。三人のうち一人が、視線を横に動かした。大当たりビンゴ。物屋はこの辺を通ったようだ。

 情報をくれた親切なお兄さん方の横を、一気に速度を上げてすり抜ける。伸ばされる腕を振り切って走り、狭い路地のひとつに飛び込む。地面に座り込み何かを咥えている連中の横を駆け抜ける。壁を蹴って角を曲がり、通りがかった野良猫を飛び越えて、別の広い通りへ出た。


「や……やめなさい!」


 私の耳に、聞き覚えがある女の声が届く。

 見れば、キヌがさっきの私みたいに男たちに詰め寄られている。背後には閉じたシャッター。小柄な身体が、男たちにほとんど隠されていた。


『藍さん』

『二階以上をよく見て』


 以心伝心。呼びかけて、瞳を動かす。今見るべきはキヌではなく、その周囲だ。素早く視線を巡らせ、見たものを全てリンクスに叩き込む。画像として藍さんへと送信している間に、キヌを囲む男たちへと向けて走り出した。

 走り出してから、自問する。助けるつもりか? 何故? 別に、助ける義理りゆうはない。一度は捕まっているし、間接的な商売敵のような存在だ。むしろ、今、彼女が動けない間に自分の仕事を果たすべきではないか。


 ――まあ。助けるけどさ!


 浮かんだ問いは、全部蹴り飛ばした。上体を前に倒した前傾姿勢で男たちへ駆け寄り、一番手前にいた男の尻を蹴りつける。


「ッ!?」

「ンだテメェ!」

「キヌ、こっち!」


 日本語の発音が上手ではない若者たちは無視だ。キヌの手を取り、囲みを抜ける。手を引いた勢いで先に走らせ、追いすがろうと伸ばされる男の手を蹴り上げてやった。しばらくは端末の操作にも困ってしまえ。


「っぎゃああああ!?

「ティコ、さん!?」

「良いから走れ!」


 キヌへ向けて叫ぶ。同時、藍さんから通信が入る。


『二時方向のマンション、三階。カーテンが閉まってる部屋』

『さすが藍さん愛してる!』


 走る方向を少し変え、指定されたビルへ向かう。視界の中、ビルの一室が色付けマーキングされた。私の視界を画像化したイメージの中、カーテンにうっすらと映る人影の輪郭が強調されている――物屋である確率、74%。

 驚いていたキヌも、私の手を解いてしっかりと走り始める。ひとまずは私についてくる構えだ。

 三階なら、チョクで行けるか。


「キヌ、ジャンプ!」

「え、え?」

「跳ばすよ……!」


 ビルの下でジャンプさせ、その足に下から義足を当てる。義足の出力を振り絞らせて、真っ直ぐ蹴り上げた。


「っお……重い……!」

「失礼、な、ああああっ!」


 小柄な体格の割にしっかりとした重みを脚に感じる。義足が文句アラートを吐くが、我慢だ。上に跳んだキヌは悲鳴を上げながら三階のベランダに取りつき、何とかよじ登る。私も助走を入れてジャンプ、ベランダの柵を蹴り、室外機を蹴り、先に登ったキヌが差し出した手を取って引き上げてもらう。


「な、なんて無茶をするんですか……」

「このくらい、普通普通」


 眼鏡がずれて可愛い印象になっているキヌの背を軽く叩いて、笑う。ベランダの窓を、義足の膝で叩き割るノック。人違いだったら謝ろう――そんな後ろ向きな決意は杞憂だった。

 暗いマンションの一室、生活感のない部屋の中に、物屋がへたり込んでいる。逃げ出そうとして間に合わなかったと見える。バックパックを中途半端に担いだ彼へ、私は笑顔で、キヌは真面目な顔で告げた。


「「捕まえた」」

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