■Upper Stage(6)


 NFL-セキュリティの本社、地下一階に、機動捜査課のオフィスがある。地下一階の半分を占めるガレージに直結し、有事にはバイクや自動車で即座に飛び出せる。ちなみに、最速記録は出動指示から地上に出るまで2秒31だそうだ。

 詐欺師を取り逃がしてオフィスに戻った私を出迎えたのは、叱責ではなく、爆笑だった。顛末は無線で報告してあったが、当然のようにオフィス中に共有されたらしい。


「お疲れ、鞍掛くらかけ。結婚詐欺師に口説かれちまったか?」

「うちの甥を紹介してあげる。いい男よ?」

「流石はおキヌ。純情派だな」


 中でも一番笑ってくれたのは先輩だった。抗議として睨みつけておく。


「……私の失態です。申し訳ありませんでした」

「いやいや、あの『三重婚』を追い詰めただけでもお手柄です。隠れ家の一つも発見しましたし、そちらから追う線も出てくるでしょう」

「はい……」


 そう言ってにこやかに笑う、中年の男性。機動捜査課のトップ、鯨井くじらい課長が、私をフォローしてくれていた。

 常に物腰は柔らかく、恰幅の良い体型も相まって、優しい印象のある男性だ。実際はかなりのやり手のようで、NFLセキュリティの最速戦力たる機動捜査課を率いるのは彼しかいないと目されている。ちなみに、2秒31の最速記録保持者でもある。


「無線で報告のあった『協力者』の方は、怪我などなく?」

「はい。その場で別れました。彼女が運んでいた手紙も、簡易スキャンはしましたが、問題はなさそうでした。差出人は報告の通りです」

「隠れ家の情報とともに二課へ送ってあります。通常待機に戻ってください。ご苦労様でした」

「了解しました」


 眼鏡型端末トータルオプティクスで得た情報は全て報告済みだ。元々、『三重婚』のあだ名で呼ばれる物屋は二課が追う参考人であり、私の関わりはここまでだろう。詐欺グループが使っていた情報隠蔽AIがエラーを吐き、公開状態になっていたデータの中に物屋の情報もあったらしい。

 私が物屋を追っていたのは偶然だった。機動捜査官は定期的に都市を巡回するが、その途中で視界に引っかかったのだ。


 ドローンとカメラ、そして総合安全情報収集AI〈天網恢々〉による監視網は、表向きの宣伝アピールとは異なり、完璧からは程遠い。日本をはじめとした先進国ではプライバシーを重視する傾向が強く、人権面から多くの制約が課されている。

 追われる側の技術が日々進歩していることも問題だ。例えば、物屋が相貌認識AIに捕捉されなかったのは特殊なメイクが理由だと推測されている。免許証などの『公的な』写真データには、ある特徴を強調したメイクをしておき、普段は逆に特徴を減算させるメイクをする。化粧品自体にも電磁波を撹乱する素材を使う。噂では、『相貌認識をどれだけ騙せるか判定するAI』すら闇で出回っているという。


 AI技術の発展とともに、対AI技術も進歩してきている。だからこそ、ヒトによる巡回もまた必要だ。機動捜査課が最速で出動できる位置にオフィスを構えている理由だった。


「先輩、笑いすぎですよ」


 鯨井課長の前から自分のデスクに戻り、隣の席でまだくつくつと笑っている先輩へ、棘のある声をかける。私のデスクは、我ながらしっかりと整頓されているが、右側三分の一ほどが先輩の机から溢れてくる書類で侵食されていた。


「いや、悪い悪い。その場を想像すると面白くてな。別にお前の失敗を笑ってるわけじゃないから、許せ」

「どう見ても私の失敗を笑っている意地の悪い先輩ですが」

「すまんって。しかし、『協力者』はまた〈コーシカ商会〉のお嬢さんだって?」

「ええ、ティコさんというそうです」

「余程縁があるらしいな」

「御免ですよ……」


 確かに、先日の逮捕以来、妙に邂逅する。だが、偶然に過ぎないだろう。


「法律のあちらとこちらにいるのですから、多少、会う確率は高いでしょう」

「詩人だな。ま、仲良くしておけよ。お嬢さんも、あの社長も、中々面白い」

「仲良くは難しいでしょう」


 思わず眇めて見てしまった。先輩はデスクに足を乗せ、のんびりバイク雑誌など読んでいる。

 鍛えられているのがはっきりとわかる長身に、精悍な顔つき。イタリア系の血が入っているという顔立ちは整っている。

 機動捜査課のエースにして、NFLセキュリティの『顔』の一人。逮捕した犯罪者、解決した事件は数知れず。上層部から期待を受けつつ、気さくな人柄で後輩たちからの信望も篤い。私も、警官としての、そして機動捜査官としてのノウハウいろはを厳しく叩き込んでもらった一人だ。冗談が下手で、人を妙なあだ名で呼ぶ癖を差し引いても、感謝している。


「〈スピカ〉の事件の進展は来ていますか?」

「いいや。今は一課が追ってくれているが、進捗はなさそうだ」

「違法ハーネスが相手なら、我々が出動することになりますよね」

「おそらくはな。ヤクザとハーネスが一体くらいじゃ、上は緊急出動部隊は出さないだろ」


 機動捜査課が最速なら、緊急出動部隊は最強の戦力だ。テロリズムを主とした組織的犯罪、都市市民に重大な危機をもたらす犯罪に対して投入される部隊。ただし、その戦力ゆえに濫用は批判を招きかねない。上層部は投入に消極的と揶揄されていた。

 さりとて、一般的な職員では対応できるのは精々、ナイフや違法圧縮空気銃エアガンくらいまで。凶悪犯の鎮圧には機動捜査課か、警備課の盾持ちが当たるのが常だった。違法ハーネスを相手取るとしたら、私たちにお鉢が回ってくる可能性が高い。

 荒い画質の動画を思い出す。遠目で見ても、滑らかな動きだった。戦闘を目的とした違法ハーネスを相手に、自分は、勝てるだろうか。


「久しぶりに稽古をつけてやろうか?」

「……そういう、見透かしたところも苦手です。今なら負けませんよ」


 黙り込んでしまった私に、先輩が、意地悪な笑みを向けてくる。唇を尖らせて、応じた。


「へえ? 俺に投げられまくって泣いてた小娘が、言うようになったな」

「泣いてません。先輩が随分手加減してくれていましたから」

「ようやく解ったか」

「……女だから、ですか?」

「阿呆言え。男でも女でも両方でも、俺に本気を出させた後輩はいねえよ」

「はいはい、流石ですよ」


 全く、有り難い先輩だ。

 照れ隠しに、咳払いをひとつ。強引に話題を変える。


「『荷物』の内容もわかっていないようですね」


 デスクの接続ポートからケーブルを引き出し、眼鏡に繋げる。無線での情報共有が大前提になった今でも、セキュリティ上、深い情報へのアクセスは有線が必須だ。その辺の匙加減はオペレーターのインテリジェンス・セキュリティ・コントロールに任せているから普段は意識しないが、こういう時はやはり不便に感じる。


 〈スピカ〉の事件に関して、捜査情報がいくつか更新されていた。〈スピカ〉の社員から聴取した情報は記載されていたが、北楽CEOは〈コーシカ商会〉への依頼を単独で進めたようで、託した情報の中身を知る社員はいなかった。

 金脇組への聴取も進んでいない。あちらは、事件への関与自体を否定しているようだ。代紋を見た鷹見社長の証言だけでは攻め切れないらしい。


「焦っても仕方ない。目の前の犯罪を見逃すなよ」

「……わかってます」


 機動捜査課にも、警察企業自体にも、限界はある。むしろ、前時代、警察業務を国が担っていた頃よりも制約は多いだろう。

 だとしても、私が機動捜査課に配属になって一年、ここまで情報が少ない事件は初めてだった。暴力団が襲撃し、違法ハーネスが現れ、人が一人拉致されるなどという大きな事件なのに、情報が少なすぎる。何か、嫌な感覚がある。


「……ん?」


 一つ、気になる情報を見つけた。眼鏡の内側に展開して読む。


北楽きたらCEOの知人数名に、連絡つかず……?」


 交友関係をあたっている班からの報告だ。連絡がついていない聴取対象者がいる。もちろん、それ自体は特段不自然なことではない。行方不明ではなく、旅行や出張と、それぞれ周辺から聞き取っている。単純に別の都市にいるだけでも、そちらの治安組織と連携を取るのに時間がかかる場合は多い。

 気になったのは連絡がつかない人たちの経歴だ。いずれも同じ、北楽CEOと同じ大学に縁がある。現在の状況は様々で、IT企業で働いている者、警察企業に所属している者、弁護士もいる。

 『荷物』がAIやプログラムなら、届け先として自然だろう。もし、北楽CEOと同じ目的で拉致されていたとしたら。


「……どこまで、深い?」


 突発的な襲撃と拉致、ではなくなる。計画的に、静かに深く進行する、恐ろしい犯罪なのではないか。そんな直感を覚えてしまった。

 ケーブルを抜き、眼鏡を操作してWebに接続。検索して一秒で、目的の連絡先を見つけた。


『大切な荷物を、確実にお届けします。迅速、丁寧、〈コーシカ商会〉』


 メッセージとともに、胡散臭い笑顔を浮かべた男が大写しに掲載された、Webサイト。あえて個人のアドレスから連絡を取るのは、捜査を主導する一課に許可を得ていない動きだからだ。

 改めて『荷物』について伺いたいと連絡を送る。事件の夜に断られた時とは状況が異なる……意地でも情報を得るつもりだった。

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