また会えたから、また頑張れる 10

 『剥死肌死餓死』ノーマには、人類と会話するための声帯がない。

 同族との会話なら普通にできる。

 だが人類と会話するなら専用の術を使わなければならない。

 ゆえに、彼の言葉は、基本的に特殊な音として人類の耳に届く。


「チッ チッ チッ チッ」


 喉の奥にある舌を喉に叩きつけて発する、固有の接触音。

 この世界の学術的には、これは『タッチア』と呼ばれている。

 人間のような声帯に空気を流して音を出す仕組みではなく、粘膜を利用して打音を使う、独特の言語形態。一部の生物がこれを使っているとされる。

 ノーマが喋っている時、人類にはこの音しか聞こえない。

 不気味で、叩いているようで、舐め擦っているような、独特の音。


「チッ チッ」


 この音が聞こえた時。

 聞こえた人間は、既に死への階段を登っている。

 ノーマのこの音が聞こえる範囲は、ノーマの能力範囲より遥かに狭いから。

 音が聞こえたその時には、人は彼の能力に既に飲み込まれている。


「チッ チッ チッ チッ チッ」


 『剥死肌死餓死』に対抗するには、例外を除けば二つの汎的方法がある。


 一つは、高位の大魔導師の力を借りること。

 つまり超高密度の魔力を外側から魔法陣などで後付けして貰うことで、魔力に代わりに喰われてもらい、ノーマを倒せるだけの時間を稼ぐこと。


 もう一つは、それ以外の方法で膨大なエネルギーを纏うこと。

 大質量の砲弾を膨大なエネルギーで撃ち出す、数万度以上の炎を体の周りで燃やし続ける、最上級の武器の力を常に纏い続ける、など。


 そうして『剥死肌死餓死』の飢える肌の吸収捕食を乗り越えてようやく、人はノーマをことができる。

 逆説的に言えば、これさえ突破できないようでは、ノーマと戦闘さえできない。


「チッ チッ チッ チッ チッ チッ チッ チッ チッ チッ」


 だからこそ、この戦場でまだ戦っている者達の中で、ノーマと最も相性が良いのは、カイニでも、キタでも、チョウでも、ダネカでもない。


 その男が、戦場を駆け抜けた。


「───チッ───」


 絶大な総重量の『落ちる向き』を変える魔法で、真横に落ち続け、膨大な加速を得た男が、ノーマへと体当たりを敢行した。


 500mの円周軌道によって24トンの男が得た速度は時速356.5km。

 落下エネルギーは117.6798メガジュール。

 1kgの物体を余裕で地球引力圏外に弾き飛ばし、マグニチュード2以上の地震を引き起こす規模のエネルギーである。

 このエネルギーに彼自身の魔力と腕力を乗せ、男は大盾を振るって殴り、ノーマを王都の外まで吹っ飛ばした。


 子供がお遊びで撃った輪ゴムのように、ノーマが軽やかに吹っ飛んでいく。


 『剥死肌死餓死』により多くのエネルギーを喰われてなお、ノーマに届くエネルギーさえあれば、一発くらいはことができる。

 これがその一例となるだろう。

 とはいえ、ノーマに致命傷が入ったかと言うと、おそらくそういうことはない。


 男はキタ、ダネカ、チョウを抱え、また落ちるようにして走り出した。


「君、は……?」


 キタが声を絞り出すと、男はキタの顔を見て、なんてことのない土の中から宝石を見つけた人のような、そんな顔で楽しげに笑う。


 思いがけないところで、ずっと見たいと思っていたものを、望外に見てしまったかのような、そんな顔で、笑う。


「ははっ! ……何度も何度も、カイニさんから話を聞いてたからか、顔も知らないのに一発で分かるもんなんすねぇ……」


「! カイニの友達か!? ありがとう、助かった! 君の名前は……」


「名乗るほどのもんじゃねえっすよ。ただ……」


 男は建物と建物の間にキタ達を隠し、キタの手を取った。

 キタの手をじっと見て、やがて男は納得したように頷き、微笑む。


 手の外側は傷だらけ。

 手の内側は豆だらけ。

 人を守るために伸ばして、人を守って傷付いてきた手だった。

 剣を振って、重い荷物を持って、怪我人を乗せた担架を運んで、そういう繰り返しの中で幾度となく手の豆が潰れてきた、そういう手だった。


 何よりも雄弁に、キタという人間の『顔』である、そんな手だった。

 男はキタの目を真っ直ぐに見て、彼にとって一番大事なものの未来を託す。


「……最後に、カイニさんの明日を託す人の顔を見れて、よかった」


 敵の気配が近付いている。

 男はキタ達を守るべく、彼らに背を向け、走り出す。

 盾を構えて。

 鎧を鳴らして。

 守るために。

 明日のために。

 彼らが追いつけないほど遠くまで、敵を引きつけるために。

 大通りの彼方に見える、二つの影へと走り出す。


「カイニさんを頼むっす。あの人を幸せにしなかったら許さないっす」


「待て、君は───」


「頼んだっすよ! 俺にできないことができる人!」


 二つの影が、嘲笑うように歪んだ。


 片や、マモと呼ばれる魔族。

 またの名を、『無知全能の眼』。


 片や、ンドゥと呼ばれる魔族。

 またの名を、『音喰らいの耳』。


 カイニを逃がすために特攻した時、敵に貫かれた腹の穴から、大量の血が止めどなく吹き出す。


「世界を救った勇者が幸せになれませんでした、とか、誰も求めてねーんすよ。逆張り脚本家にもほどがあるっす。ひっくり返しちゃいけないものとかママから教わらなかったんすか? ……とっとと、失せろ」


 目を閉じれば、惚れた女の笑顔が見える。


 ただそれだけで、彼の生涯への報酬としては十分だった。






 『虚実反転舌禍』ケマルは、一対一ならばカイニも倒せる自信があった。

 カイニは間違いなく人類最強である。

 歴代勇者でも最強に数えられるだろう。

 されどそれでも限界はある。

 魔王の五覚で最も器用に戦えるケマルであれば、罠に嵌める形で、圧倒的に勝ってしまうこともできるはずだった。


 『王都の住人を避難させ終わって戻って来た』邪魔者さえ、現れなければ。


うらぁよぉ、『こんなに苛立ったのは初めて』だぜぇ?」


 二人の邪魔者が現れた。

 片や、魚人。

 片や、僧侶。

 邪魔者はカイニと言葉を交わし、時空の穴を持ったカイニを先に行かせた。

 後を追おうとしたケマルは、その邪魔者に阻まれ、足踏みしている。


 ケマルは上手いこと撒いてしまおうとも思うが、邪魔者の片方の老獪さが、ケマルに打てる手の全てを潰して余りある。


「行かせると思うんか?」


「……そりゃあ、あんたが相手なら『うらはカイニに追いつけな───」


 瞬間、閃光。

 魚人の両手が、あまりにも速い動作で消える。

 放たれた矢が纏った魔力で加速して、魔力と空気の摩擦で発光する。

 雷を超える速度で飛来したその矢が、ケマルの口内に着弾し、爆発した。


 『嘘』は中断され、成立しない。


 魚人の男が、からかうように笑っていた。


「お? かっかっかっ。すまんすまん、聞こえんかったわ、耳が遠くてのう」


「くっ、こっ、この、ジジイっ……!」


 ケマルは、苛立った表情で、憎しみの目を魚人に向ける。が。


 僧侶のみが使う邪への感知によって、女の感覚に引っかかるものがあった。


「キアラさん。奴は全くダメージを受けてません。あれは嘘で演技です。冷静さを失ったと思わせておいて、嵌め殺す計略ですよ」


「おお、カエイよ。油断はしちゃあならんぞ」


「はい」


「おんやぁ、バレるもんだなぁ。はっはっはぁ」


 嘘。

 嘘。

 嘘。

 この魔族には嘘しかない。

 そして、嘘と真を入れ替えて殺すのだ。

 カイニのような誠実な若人よりも、若人を守ろうとする大人や老人の方が、比較的この敵とは相性が良い。


うらぁ、修正されて消える時間の人間が、正史の勇者なんぞを助ける意味って無いと思うんだがねぇ? あの娘が刻の勇者と共に時間を修正したらよぉ、うらぁも君らぁも消えちまうんじゃぁないかぁね?」


「好きになった男の子のため、たった一人で絶望に挑むことを決めた、健気なちっちゃい女の子を……放っておけないって、決めたのが、私達だから」


「損得や保身なんかで、ここには居ないっちゅうわけじゃ」


「……」


 僧侶の女が杖を突き立てる。

 すると、光の十字架がそこらじゅうから生え揃った。

 十字架は賛美歌を歌い、周辺全域の『音』を光の支配に収める。


 ケマルが口を開くと、口の中に音が飛び込んでくる。

 喉の中で、音が混ざる。

 ケマルが望んだ言葉を紡げなくなる。

 とても器用な魔力の制御で、僧侶の女はケマルの最大の武器を潰した。


「……理解できんわぁ。ま、コレに付き合う義理もないわなぁ」


 喉の中で音が混ざり、ロクに喋れない状況で、ケマルは何かを喋っていた。


 ケマルに向かって魚人がまた光に見える矢を放った、その瞬間。


 彼らの上空で、『世界最強の業火』───『赫焉』が、爆発する。


 爆風が、光の矢を、光の十字架を、魚人の男と僧侶の女を吹き飛ばして、ケマルを守った。

 そして、ケマルの隣に、『赫焉』を放った男が着地する。


「何を遊んでいる。さっさと終わらせろ」


「……へぇ。んじゃ、真実と嘘、うらぁ返しますとも、ますとも」


 『虚実反転舌禍』ケマル。

 『阿鼻叫喚赫焉』チザネ。

 二者が並び立つ。

 誰も、その力には敵わない。


 これが最後だという確信があったから、女は最後に話しておきたい話を話す。


「カイニちゃんの服、見ました? 綺麗なワンピース、きらりとした銀灰の靴、あのブレスレットとかたぶん王都の流行りものですよ。ああ、私もああいうの付けてネサクに見せたかったな、なんて思うくらい、すっごく綺麗でしたね」


「おお。綺麗なおべべじゃったのう。ありゃ、相当幸せなやつじゃ」


「ええ。……よかった。本当に、よかった……」


 『願っていたもの』を見た。


 それだけで、胸の奥に満ちるものがあった。


 絶望などない。諦めなどではない。悲しみにだって食い荒らせない。


 どんなに力の強い魔族であっても奪えない『それ』があるから、これまでの歴史の中でずっと、人は滅ぼされないままに、存続して来れたのだ。






 多くに支えられ。

 多くに助けられ。

 多くに背中を押され。


 キタとカイニは、ようやく再会した。


「カイニ!」


「や、お兄さん」


 ダネカが、何やら思うところがある表情で、キタとカイニを見ている。

 彼は、『勇者になろうとした者』だったから。

 チョウが、思うところがある表情で、キタとカイニから目を逸らす。

 彼女は、『そこに居たかった者』だったから。


 キタはカイニが無事だったことに喜ぶが、カイニの微笑みに何かを感じ取る。


「ん?」


 青い魔人が過去に飛ぶ前より、微笑みが少し大人っぽくて、少し綺麗になっているような、そんな気がした。

 子供っぽさが少しだけ薄れたカイニの微笑みに、キタは少しどきりとする。


「何か、あったのか?」


「……うん。あったんだ。ボクのこれまでには、たくさんのものがあったんだ」


「カイニ?」


「大丈夫。あの人達とのこれまでに、後悔することなんて……無いんだ」


 カイニは右手に魔剣を、左手に魔剣の魔力で捕らえた時空の穴を握り締める。


「ボクに『後悔なんてするな』と、あの人達が、背中を押してくれる限り」







 正史の人間はキタ、チョウ、カイニの三人。

 消える時間のダネカを連れて行くことはできない。

 キタ達が勝てば、このダネカは、正しい歴史のダネカへと還るのだろう。

 そう思えば、別れに名残惜しさも生まれるというもの。

 なの、だが。

 ダネカは、しんみりした空気を許さなかった。


「勝ってこいよ、キタ! クッソ人が死んじまったこの歴史をブン直してよ、数え切れねえくらいの人達の明日を守った靴になってこい!」


「ああ!」


 キタの拳と、ダネカの拳が打ち合わされる。


「ああ、それとな。歴史が元に戻ったら。たとえ俺が敵でもチョウを守りきって、必ず幸せにしてこいよ。……そっちの俺がだいぶ迷惑かけたみたいだからな」


「わかってる」


「へっ。分かってんだか分かってないんだか。ま、愛だ恋だの話をしてる場合じゃねえしな。世界のために戦う時だ、かっこつけてけ」


「おうとも」


 チョウの目が、呆れの色を宿す。


「ダネカさま、さっきチョウにしてませんでしたか? そういう話」


「は? お前の幻聴だろ。しっかりしろよな、チョウ」


「ぐっ……ふぅー……キタさまの前……今はキタさまの前っ……!」


 『チョウにフラれたくせに』と罵ろうとしたチョウは、必死に自分を抑えた。

 キタの前でそういう話題を振るのはちょっと、いやかなり嫌だったのである。

 変に誤解されたり、無い恋愛感情を有ると想像されるのは嫌。

 キタに誤解されるのは特に嫌。

 それが乙女心というものである。


 にやついたダネカから逃げるように、チョウは捕らえられた珠じくうのあなに触れる。

 触れるだけで良いということは、事情の説明の時に聞いていた。


「キタさま。先行して安全確認して参ります」


 チョウの姿が消える。


「さ、行こう。ボクらが作るのは、素敵な明日にしないとね」


 カイニの姿が消える。


 キタも続いて行こうとして、少し思うところがあって、振り返る。


 振り返った先で、呆れたようにダネカがはにかんでいた。


 キタが青剣を抜き、ダネカが黄金の剣を抜き、空中でそれが打ち合わされる。


 カチン、と軽快な音が鳴った。


「頑張れよ、我慢してるだけの優しい人気取り。お前の優しさで救って来い」


「頑張るよ、我慢してるだけの英雄気取り。君にいつも勇気を貰ってる」


 そうして、キタも行く。


 キタが消えた後、そこに浮かぶ珠じくうのあなは急速に薄れていく。


 だがダネカは、横目で急速に接近する魔族達を見遣っていた。

 もしかしたら、ではあるが。

 この時空の穴の残滓さえあれば、魔王の五覚クラスともなれば、キタ達の時間修正を妨害する理外の法に持ち合わせがあるのかもしれない。


 『無知全能の眼』マモ。

 『音喰らいの耳』ンドゥ。

 『虚実反転舌禍』ケマル。

 『剥死肌死餓死』ノーマ。

 『阿鼻叫喚赫焉』チザネ。


 この戦いにおいて、誰一人負けず、誰一人欠けなかった、完全なる五人。


 五つの影が、時の穴と、その前に立つダネカに迫る。


「はっ」


 ダネカは鼻を鳴らし、黄金の剣を振り下ろして、浮かぶ穴を切り捨てる。


 消えかけていた穴が両断され、霧散した。


 それを見た魔王の五覚が驚愕し、怒りの感情を膨れ上がらせるのを、ダネカは肌で感じ取る。


 ノーマに全ての力を剥ぎ取られた鎧を脱ぎ捨て、黄金の剣だけを構える。


 剣の名は希望ミライ

 あの日、キタが誕生日に買ってくれたもの。

 あの日からずっと、ダネカの命を守ってくれたもの。

 絆の証。

 友情の証。

 信頼の証。

 永遠の輝きを宿す一振り。

 それがあるから、どんな敵を目の前にしても、ダネカはいつでも怖くない。


 ひとりじゃないと、そう思えるから。


「よう。かかってこいや、勇者に負けて盤面ひっくり返すのに頼ったザコども。お前らに本物の勇者のキタも、魔王を倒した勇者のカイニも、もったいねえ。……今も勇者になれるって信じ切ってる、バカ野郎の俺一人で十分だオラァッ!!」


 駆け抜けるは黄金。


 振るわれるは黄金。


 かくして、この歴史の黄金の戦士ダネカは、最高の人生を走りきった。

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