緑の商人ジャクゴの過去回想

 自分は、つまらん人間でした。


 ははっ。

 まあ、商人が自分で自分をこう言うと、変に聞こえるかもしれません。

 しかし本当につまらん人間だったのですよ。

 子供の頃は父の背中を追い、気付けば惰性で商人をしていたのですから。


 ああ、でも、そうですね。

 子供の頃なら、自分にも夢がありました。

 昔の自分は、父のようになりたかったのです。


「ジャクガお父様! 自分はいつか必ずあなたのような商人になってみせます!」


 そう自分が言うと、父は微笑んで、自分の頭を撫でてくれました。

 ああ。

 あの時の父の手の感触は好きでしたな。

 自分は偉大な父にとって特別な存在なのだと、そう思えた気がして。


 父は、昔は商人ではありませんでした。

 技術者だったのです。

 『物に心や魂を入れ込む魔導技術』……そういう研究をしていたそうです。


 ただ、技術者というのは儲かりにくいそうでしてな。

 すぐに金になる技術を生み出せる、というわけでもないですし。

 技術者は口が上手いわけでもないので、国から補助金を勝ち取るのも難しい。

 金が無いと研究もできず、手詰まりになってしまう。


 そんな父を見出したのが母だったそうです。

 おっおっおっ。

 昔はこの話を聞くのが好きでした。


 大きな商家の生まれで、敏腕商人だった母。

 稀代の天才と言われ、けれど金に困る研究者だった父。

 二人の出会いは、運命にも思えたとか。


 自分の父と母は、誇張なしに世界を変えました。

 『数百年続く戦争を勝利に繋げられるだけの運輸と流通』を完成させたのです。


 今でも思い出せます。

 自分はあの日、父の偉業に見惚れたのですよ。

 真新しく、真っ白で、目を奪うターミナル。

 そこに到着する、とてつもなく大きな黒い鉄の塊。

 唸る機関、迸る排煙、ブレーキの擦過音。

 全てが自分を感動させ、父への尊敬を確固たるものにしてくれました。


「すごいです、お父様! これをお父様とお母様が作ったなんて!」


「ジャクゴ、落ち着きなさい。そんなに走り回ると転んでしまうよ」


「すごい! すごい! わぁぁぁ!」


 魔導列車。

 今でも思いますよ。

 自分の両親があんなものを生み出したなんて信じられない、と。


 ああ、本当に、素晴らしい偉業だ。


 ああ、本当に、忌々しい。


 あんなものがあるから、あんなものが毎日目に入るから、自分はいつまでも父のことを忘れられないのでしょうね。


 あの列車、そんなに便利ですか?

 そんなに求めていたものですか?

 そんなに価値あるものですか?

 そんなに在ってほしいものですか?

 あの列車が生み出す金、そんなに欲しいものですか?


 あれ、もう既にいくつかの生き物を絶滅させて、今もいくつかの生物を絶滅に追いやろうとしてるらしいですがね。

 まあ、普通の人にとってはどうでもいいことなのかもしれません。


 金よりずっと大事なものって、この世にたくさんあると思うんですが。

 それを示せない自分には、何も言う権利はないのでしょう。


 父が偉人かって?

 偉人でいいんじゃないですか。

 客観的に見たら偉人でいいでしょう。

 自分は、偉人だとは思えませんが。






 父は、ある時から研究の方向を変えました。

 理由は分かりきっていますな。

 母が、死病に侵されたのです。

 治す手立ては全然なかったらしく、天井まで届くほどの金を積み上げても、手がかりすら見つからなかったと聞いております。


 父は必死でした。

 それで、魔導列車の開発に応用した、かつて自分が研究していた技術を、もう一度掘り直すことにしたのですよ。

 ええ。

 『物に心や魂を入れ込む魔導技術』です。

 とは言っても、父が魔導列車に取り入れた技術は、『魔力を一切持たず専門の訓練を受けていない人間でも心をつなげて魔導列車をいきなり動かせる』程度のものだったのですけどね、おっおっおっ。


 分かりますよね。

 父は、母の心、あるいは魂を、物に移そうとしたのです。


 そうすれば母は助かる。

 だから父は懸命に研究に打ち込んだのですよ。

 結構補助金も出たと聞いておりますよ?

 要するにこれ、ですからね。


「お母様、大丈夫です、お父様が必ずお母様を助けてくれます」


「ええ。ジャクガを信じてるわ。だって私の愛した人だもの。それよりもジャクゴ、あなたに寂しい思いをさせていることが気がかりだわ」


「いえ……自分は、大丈夫です。ぜんっぜん平気ですよ!」


 父が研究に打ち込んで。

 金を持っている老人が金を出して。

 多くの人が資料を提供してくれて。

 父がどんどんやせ細っていって。

 国が金を出して。

 話を聞きつけた商会が資金援助をして。


 気付いた時には、自分が愛した父は居なくなっていたのですよ。


 ああ、死んだわけではありません。

 金だけ欲しがるクズに成り果てていただけです。


 信じられますか?

 父ですけどね、母を助けるために始めた研究で信じられないくらいの金が集まってきたからと、母のこと放って金集めと研究だけするようになったのですよ。


 昔は毎日、病室に見舞いに来ていたのです。

 でもその内、月に一度も来なくなりました。

 金集めが本当に楽しかったようですな、おっおっおっ。

 自分は毎日希望を削り落とされ、やせ細っていく母親を見つめていたのです。


「……最近来ないわね、ジャクガ」


「お父様は忙しいと聞いています。お母様を助けるために、きっと、必死で」


「あなたは優しいわね、ジャクゴ」


「……」


「でもいいの。全部分かってるから。……ああ、本当に……お金の魔力のことは私の方が分かってて、研究者のあの人は分かってないって……あの人の方が分かってないって、私は分かってたはずなのにな……忘れてた……ううん……愛があれば、そんな誘惑で愛が揺らぐことなんてないって、信じたかったのかな……」


「お母様……」


「好きな人の選び方、間違えちゃったのかな」


「───」


 笑い飛ばしてくださいよ。


 「ジャクゴが好きだったお父さんを殺したのは、お父さんだったんだな」って。


 ほどなくして、母は死にました。


 気力を失ったのが大きかったらしいです。


 ああ、父が母を殺したんだな、って思いました。


 でも父は金儲けをやめませんでした。

 金を集めて、でも研究は上手く行かなくて。

 支援がどんどん打ち切られていって、貯金もなくなっていって。

 やがて父は研究さえやめて、母の真似のような、出来損ないの商人になって、怪しげな商売を冒険者相手に始めて、集まった金に大笑いして。

 ……。

 一度も、泣かなかったんです、父は。

 母が死んだ時に、一度も。

 母が死んでからも、一度も。

 苦しくなかった、とは言えませんね。


 自分は目標を失って、惰性で嫌いな父の下で働き続けました。

 川の上を流れていく枯れ葉のような人生を選びました。

 ほら。

 つまらん人間でしょう?






 自分は。


 変わる人が、嫌いだ。


 反吐が出るほどに。


 憎んですらいる。


 愛した人が醜悪に成り果ててしまうくらいなら……さっさと破滅して、死んでほしいというくらい、本気でそれを憎く思っています。


 美しく生きている人には、終わる時まで美しく在ってほしい。


 醜くても生きていてほしいだなんて、自分には思えないのです。




 金よりも価値のあるものを知りたかった。

 それがあるなら見たかった。

 父が夢中になっている金より、父が母を愛したことの方が尊かったと、どこかの誰かに証明したかった。

 誰よりも、何よりも、自分に証明したかった。


 無限の金よりも価値のある永遠の絆があるなら、それを知りたかった。


 損得より大事なものが、心に宿ることはあるのだと、示してほしかった。


 何も許せなかった自分に、何かを許す尊さと輝きを、見せてほしかった。


 だから。


 自分は。


「いや、我々の傘下のPTのどれかに加わるというのが嫌なら、君達は『明日への靴』のままでもいい。そのまま形式上うちの傘下に入ったということにすればいいさ。ああでも、君達に寄生しているあの無能は、当然追放してもらいたいがね」

「ははっ」



「俺が、キタを追い出して冒険者続けるとでも思ってんのか? ああ?」

「だ、駄目ですダネカさま! キタさまがまた苦労なされます!」



「随分おめでてえ頭だな、おっさん。とっとと出てけ」

「……交渉は、決裂かな?」

「あったりめえだろうがぁ!」



「どんなカネより! どんな栄光より! どんな強さより! 相棒の方がずっと大事だ! キタの価値が分からねえ節穴野郎なんかに命は預けられねえんだよ!」



「……後悔するぞ。無能を抱え続けたPTは決して大成しない」

「キタを追放したら絶対俺は後悔すんだよ、とっとと失せろ、できれば死ね」

「くっ……」


 想う方と、想われる方と、それを繋ぐ絆を知って、自分は。


 あの時から、ずっと。











 あれは、いつのことだったでしょうか。


 自分には、人生を変える出会いがいくつかありましてな。


 ただ……完全に想像もしていなかった出会いとなると、多くはありません。


 あの出会いは、きっとその一つだったと思いますね。


「こんにちは。いつもボクの不出来な弟子がお世話になっています」


「……?」


 なんでしょうね、あれ。

 いや、なんと言いましょうか。

 ……白と黒の、怖気がするほどの美人。

 ああいう人間って居るんだな、と思いましたとも。

 チョウさんやヒバカさんで絶世の美人には慣れていたと、そう思っていたんですが……心の芯が、その顔を見ただけでびっくりしてしまったのを憶えています。


「キタの師匠です。キタの仲間なのでしょう? いつもありがとうございます。飴ちゃんあげますね。いちごの味です」


「! あなたが……」


「皆には『師匠』と呼ばれています。気軽に呼んでくださいね」


 自分は、この『師匠』のことをよく耳にする機会がありましてな。

 本拠地では、キタどのが語る思い出話としての『師匠』の話を聞きました。

 そして旅先では、強者の多くから『師匠』という、『未来の担い手を鍛え上げる実在さえ不確かな伝説の教育者』の噂話を聞いておりました。


 自分は様々な理由から、その二つが同じ存在ではないかと疑っておりましたが、確証が無いため、口に出すことはありませんでした。

 けれど、それもその日までの話。

 自分はその日、確証というものを得たのです。


「……お噂はかねがね。あなたが例の『師匠』であるなら、ですが」


「おや、ボクの事を知っているのですね。キタの話と……それだけではない、と」


「ええ。周知されている、というほどのものではありませんが……名のある商人なら誰もがあなたのことを知っています。国から国へと旅をしていく途中で、強者の中の強者から、何度か耳にすることがある存在ですから」


「うふふ」


「多くの英雄、勇者を育て上げてきたとも、全てが創作であるとも言われる存在。何の見返りもなく、将来有望な子供を鍛え上げ、『師匠』に鍛え上げられた存在は世界を救う、とも。まことしやかに語られる、真実定かならぬ御伽噺。それがあなたです。……正直、キタどのの強さからして、これが世界を救う強さか? とは思っておりましたので、あなたが師匠かどうかはだいぶ怪しんでおりましたが……」


「あらら。ひどい言われよう。キタは頑張ってる子ですよ? ながーい目で、ながーい目で、見てあげてください」


「……噂によれば。2000年を生きる伝説の弓兵、魚人のキアラもあなたの弟子であるという話を聞きますな。御伽噺に御伽噺を重ねるような話ではありますが……」


「え? あの子まだ頑張ってるんですか。はぁー、昔から真面目な少年でしたからね……また女の子でも助けに行ってるんでしょうか……また会いたいです」


 白と黒の彼女は、とても表情豊かな方でしたな。


 それに、正直な方だったと思います。


 これでも商人ですから。


 嘘をつかない人間というのは、職業柄見分けられるつもりです。


「それで、何用ですかな? キタどのへの伝言くらいなら承りますが」


 ただ、恐ろしいところもありました。


 その時彼女が、封呪の布をほどいて見せてきた、右手の甲の目玉です。


 そうです。彼女は手の甲に金色の目玉を埋め込んでいたのです。


 あの眼だけは、肝が縮み上がるかと思うくらいに恐ろしかった。


「ボクのこの目は、運命を断片的に見通せます。もっとも、魔獣の時代の魔獣の王の眼球を移植しただけのものなので、見通せるのは断片だけなのですが」


「運命……」


「信じられませんか? では証拠を……」


「いえ、信じますよ。納得がいきます。キタどのは常々『師匠から教わった言葉は、不思議とずっと後になってから意味が分かるんだ。未来の僕の困難が分かってるみたいに』と言っていました。キタどのの運命を見通して予め助言をしていたと考えれば納得ですし、『師匠』の高名も、未来に英雄になる可能性のある若者を選んで鍛え上げていたのだとすれば、納得がいきます」


「む。あの子は本当に気が利くですね。次に会ったら褒めてあげましょう」


 うんうんと頷く彼女がとても幼く見えて、思わず微笑んでしまいましたね。


「それでは、師匠どのがしていることというのは……」


「はい。色んな最悪の運命が見えるから、それを回避するために色んなところに働きかけていて、ずっとてんてこまいなのですよ、ボクは」


「……何者なのですか、あなたは」


「ふふふ」


 彼女は、不敵に笑った。


 まるで、綺麗に観客を騙し切った後、手品の種を明かす時の人のように。


「貴方も聞いたことがあるでしょう? 聖剣の誕生の物語を。『勇者』『英雄』『鍛冶屋』『女神』は旅をして、世界を救いました。そして世界を救った後に、鍛冶屋の女の子は、女神の腕を素材にして、聖剣を鍛え上げたという物語を」


「いえ、存じませぬが」


「そう、勇者の未来の不吉な運命の全てを取り除くべく生き、その伝説の聖剣を鍛え上げた鍛冶屋の女の子こそがボクっ……なんで!?」


「え……いや……すみません、知りません」


「ふっ……時間の流れというのは残酷ですね……お姉さんちょっとダメージ受けちゃいました……でもくじけません……がんばります……」


 まあ。

 なんかそういう人だったらしいですね。

 自分が知らない伝説の人だったらしいです。

 マイナーな英雄さんが自尊心だけ高いって大変ですなあ、と思っておりました。


「……うう、権威を傘に着ないと頼みを聞いてもらえないかもしれません……」


「キタどのの師匠なのでしょう? 自分はキタどのにはだいぶ恩があります。聞ける頼みであれば聞きますとも。キタどのにはいつもお世話になってますから」


「ありがとうキタ……! 今度いっぱいよしよししてあげますからね……!」


 なんでしょうね。


 絶世の美女でしたけど、かわいい人だったと思いますよ。


「実は、あなたに運命の兆しがあります。あなたにある女の子のお世話を任せることで、未来に発生する絶対的な詰みを避けることができるようなのです」


「未来の詰み、ですか」


「はい。直接的な影響、間接的な影響、それらが絡み合って未来を救う……そのためには、その女の子をあなたが引き取り、面倒を見て、育てる必要があるのですね」


「その女の子は、どういう子なのですかな?」


「普通の女の子です。家事と鍛冶が得意な子ですよ。ただ、両親が魔王軍のせいで事業を失敗して離婚して、その子を孤児院に捨てて蒸発してしまいまして」


「───」


「あの子の父親として、正しく運命を歩ませられる人を求めていました。それがたまたま、キタの仲間だった……それだけのことなのです」


 ええ、まあ。

 自分はこの時、その子に同情したのです。

 世界の行く末のために引き取ることを打算で決めた、それもあります。

 けれどそれ以上に自分は、その子に同情していたのです。


「親に愛されなかった子供は、不幸になっていく運命を背負います」


「……そうかもしれませんな」


「逆に言えば。親は、どんな子供だって幸せにできるかもしれないのです」


「……」


「どうか、貴方に任せたいのです。あの子の未来と、幸福を」


 自分は少し悩んで、受けました。


 あれが人生の転機だったのかもしれませんな。


 けれど、百回同じことがあっても、自分は百回同じ選択をしたでしょう。


 自分はあの父を嫌っておりました。

 そして、ダネカどのとキタどのの絆に、心を焼かれました。

 きっと他の選択をする気など、さらさらなかったのです。


「自分はジャクゴと言います。あなたの名前はなんと言うのですかな?」


「……メオンや」


「メオンさんですな。どうぞ、これからよろしく」


 喋りに見られる西方の訛り。


 緑……というよりは、エメラルドグリーンの乱雑に切り揃えられた髪。


 ろくに食べていないからか、背は低く、手足も細い。


 メオンは、そんな小さな女の子でした。とても幼かったと思います。


「お父様とか呼んだ方がええんやろか?」


「お父様、って……」


 その呼び名は、自分の心の傷に触れるから。


───お父様! 自分は、いつか必ずあなたのような商人になってみせます!


 本当に、情けない話ですが。


 そんな理由で、彼女に呼び名を変えさせたのです。


 自分は救えないほどに弱く、勇者から最も遠い人間でありました。


「……いや。名前で呼んでくれたら嬉しく思いますよ、自分は」


「ほな、ジャクゴ様で」


 くにゃ、と笑う女の子でした。


 いい子だとすぐに分かりましたよ。


 でも自分は、人間の価値はどれだけ何かを為せるかで測る人間でしたから。


「まず、あなたの実力を測ってみましょうか。この『赤い靴』を鍛えてみなさい」


 引き取ったばかりのあの子に何ができるのか知るため、最初に仕事を任せて。


 その結果に、とても驚いたのです。

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