■■■■■■■■

 頭の中も外もグラついた、そんな気がして、ダネカは口元を抑える。


 明かされた事実の衝撃は凄まじく、ダネカの認知を根底から揺らがした。


 宇宙の瞳の聖職者は、甘ったるく微笑み、ダネカに真実を告げる。

 偽勇者カイニのこと。

 真の勇者キタのこと。

 冒険の書のこと。

 神が選んだキタでなければ、本当の意味で勇者にはなれないこと。

 ダネカでは、勇者になれないことを。


「キタのやつが……本当の、刻の勇者……?」


「ええ、残念ながら。貴方の夢を叶えるのは彼なのです。貴方が欲しがったものは全て彼が手にする運命なのです。君はさしずめ……彼が全てを手にする瞬間に至るまで彼を保護する、踏み台といったところでしょうか」


「うっ……」


「みじめですね」


「───」


「今日はいい日ですねえ。昨日もいい日でした。明日もきっといい日になりますよ。それが時間というものですから」


 ダネカの気持ちが、グラグラと揺れる。

 あいつが、勇者? 俺が、あいつの踏み台? 冒険の書が真の勇者、刻の勇者である証明? と、感情が混ざっては濁っていく。

 黒く淀んだ気持ちが湧いては渦を巻き、心の中を渦巻いていく。


「彼が憎くありませんか? "私"達は力を貸せますよ。たとえば憎い彼を殺してしまって……何もかもから解放されたスッキリとした気持ちにもなれます」


 ダネカは歯を食いしばりながら、思った。


 そんな。

 そんなこと。

 ……許せねえけど、それはそれ! これはこれ!


 キッ、とダネカは目の前の男を睨んだ。


「教えてえことはそんだけか?」


 宇宙の瞳をした聖職者の男は、拍子抜けたした様子を見せるが、すぐ微笑む。


「他にもありますが、そうですね。彼が憎くはないのですか?」


「分かってんだろ。クッソ絶望して、クッソ苛立ってるわ、今の俺は」


「でしたら」


「二度も言わせんな。教えてえことはそんだけか? なら話は終わりだ」


 ダネカはその場を去ろうとする。

 聖職者の男の瞳が、ほんの僅かに細まった。

 どうやらダネカがここまでけんもほろろとは思っていなかったらしい。

 想定していた流れの予想より前倒しにして、男は手札を切った。


「"私"には技術の持ち合わせがあります」


「───」


 は? と言わんばかりに、ダネカは振り返り、男を見た。


 それは、全ての前提を覆すもの。


 『勇者の能力本体の譲渡』を可能とする、というものだったから。


「この意味が分かりますか?」


「……俺が、勇者になれる……? 伝説の勇者と同じに……」


「それだけじゃありませんよ。貴方も呪いに対する絶対性を持つんです。今の彼の冒険の書は記名のページを偽勇者に渡してしまっている。冒険の書の加護を与える人間を増やせないんです。ですが勇者キタを殺して貴方が冒険の書を奪えば……この世で唯一、貴方だけがんです」


「あ」


「愛し合いたいと思いませんか、貴方の心を魅了した美しき獣人の子と」


「っ───」


「大丈夫。油断しているキタ様の心臓を後ろから突く、それだけですよ」


 もう少し。

 あと少し。

 手を伸ばしてこの誘いに乗れば、全てが手に入る。

 キタの命と引き換えにだ。


 ダネカは苦しみ、苦しみ、苦しみ、そして、答えを出した。

 欲しい。とても欲しい。それが手に入るなら死んだっていい。

 でも、それはそれ。これはこれ。


 勇者にはなりたい。

 チョウは欲しい。

 だけどそれはそれ、これはこれ。

 キタを殺すなんて論外、キタから大切なものを奪い取るなんて論外、だから聞かなかったことにしよう。でも後でコイツ締め上げておこう。ダネカはそう結論した。


「で、教えてえことはそんだけか?」


「……」


「じゃ、俺、朝飯食いに行くから……」


「……はぁ。ここまで精神的に強靭になっているとは思いませんでした」


「あん?」


「何も感じていないわけでも、誘惑に揺らがなかったわけでもないでしょうに」


「まあ……そりゃ、な」


 ダネカはうんざりした顔で嫌そうに首を振った。

 自分の中の黒い感情に嫌気がさしている顔だった。

 今もなお苦悩している顔だった。

 劣等感と恋慕のドツボに嵌りかけた精神状態で、踏ん張っている顔だった。


 もう少し揺さぶってみるか、と思案した男の瞳の宇宙が、きらりと瞬く。


「最後に一つ。貴方は自分の運命を知っていますか?」


「運命?」


 男は、ダネカの前で両手を悠然と広げる。


「"私"は普段、『聖剣』についての情報を秘匿する仕事をしています。たとえば聖剣については、一つの唄が伝えられているのですよ。そこに謳われるのは───」


 そして、唄を謳うように詠む。




 昔々、あるところに。

 勇者と、英雄と、鍛冶屋の女の子と、光の女神様が居ました。


 子供だった女神様は、自分に優しくしてくれた三人の子供を選びました。

 世界を救ってほしかったのです。

 其処そこ彼処かしこに、魔獣がいっぱい。

 世界中の動物と植物が、神様でさえ、彼らに食べ尽くされそうでした。


 勇者と、英雄と、鍛冶屋と、女神様は旅に出ました。

 世界を救う、立派な旅です。

 たくさんの魔境を越えて、たくさんの秘境を冒険しました。

 四人は溢れるほどの記憶を抱えて、とても仲良くなりました。

 しかし、英雄が女神様を守って魔獣に食べられてしまいます。

 皆はいっぱい泣きました。


 女神様は特にいっぱい泣きました。

 女神様は英雄のことが好きだったのです。

 女神様は大好きな男の子のことを想って、三日三晩泣きました。


 英雄を失い、彼らはもっと強くなりました。

 そして、世界を救いました。

 勇者と、鍛冶屋と、女神様は、その喜びを分かち合ったのです。


 けれど、鍛冶屋の女の子は勇者に言いました。


「君はこの世で一番強い獣を倒してしまった。このままでは君が世界で一番恐ろしい生き物だと皆に思われてしまう。作ろう。この世で一番強く見える剣を。その剣があったから、その剣がとても強かったから、君が世界を救えたことにしよう。ボクが打つよ。君の未来を救うための輝く剣を」


 そうして、世界で一番強い剣は、世界が救われた後に創られました。


 女神様が、鍛冶屋に自分の腕を差し出します。


「なら、わたくしの腕を打ち直し、剣としてください」


 女神が差し出し、鍛冶屋が鍛えて、勇者が掲げる。


 それは、『つながりのつるぎ』と名付けられました。


 人々はそれを、『ときながれのせいけん』と呼びました。


「どうかわたくしの手が、貴方達を未来永劫守る、救いの手となりますように」


 鍛え直された腕は、剣の形をした船になりました。

 時を渡る船です。

 過去から未来、未来から過去、時の河を渡る光の船です。

 その船は、人々をここではないどこか、輝ける場所へ連れて行く船なのです。


 さあ、その名を呼んであげましょう。

 聖剣。

 聖剣。

 我らが友。

 悠久の時の中、永遠に我らと共に在る、我らが盟友よ。

 聖剣よ。


 共に生きよう。この時が、この歴史が、このまま続いていく限り。


 君想う故に、我ら在り。




 そう、それは。


「───運命です」


「運命? んだそりゃ」


「世界は伝説をなぞろうとする性質を持つのですよ。だから、勇者と魔王などというわかりやすい象徴が、幾度となく衝突するのです。勇者という記号と魔王という記号が、伝説の再生産を幾度となく行っていくのです」


「要領を得ねえな、前置きが長え。キタだったらもっと分かりやすく話すぞ」


「……。……ふふ、そのキタ様と貴方のことですよ」


「おん?」


「『勇者』『英雄』『鍛冶師』『女神』。四人は一つの時代に必ず揃うようになっているのです。何故なら、寂しがり屋の女神の心がそれを望んでいるから。神は世界の化身ですから、神の願望の一部を僅かに、世界が自動で反映するのです」


「揃うようになってる……?」


「貴方は後から『英雄』の席をあてがわれているんですよ。だから、貴方以外の誰も、ディープニードルクラブの毒なんてものは受けてません。貴方だけです。勇者の親友である『英雄』はですからね。因果が先に決まって、世界がなぞった……ということです」


「───は?」


「おめでとうございます。貴方は勇者に『成長イベント』を与えるために、ディープニードルクラブの毒で死ぬことが決まった……という可能性があるんですよ」


 伝説において、親友の英雄が死に、勇者は成長し、世界を救った。

 それをなぞるのであれば、勇者キタのために英雄ダネカは死ぬ。

 勇者キタの成長のため、それだけのために。

 仮にディープニードルクラブの毒を克服しても、別の死因が降りかかるはずだ。


 もし、どこかの誰かがそれを避けようとするのであれば。

 運命を『騙す』必要があるだろう。

 たとえば、ダネカが死ぬ前に、キタかダネカをPTから追い出して引き離す、といった手段が有効になるだろう。

 とにもかくにも、何らかの特殊な手段が必要になる。


 たとえば、といった───奇跡を超えた奇跡が、必要になるに違いない。


「キタ様の成長のために死ぬ。そんな運命が貴方にあるとして、それを覆す方法ならありますとも。さ、親友を切り捨ててしまう覚悟を決めましょう。大丈夫、貴方ならできます。貴方ならきっと歴代でもっとも偉大な勇者になれますよ。貴方は悪くありません、悪いのは貴方に悪しき運命を与えた、刻の勇者キタなのですから……」


 男は、誘惑する。


 ダネカは死にそうな顔をして、苦悩を表情に滲ませ、何かを堪えるような顔で、深く、深く、溜め息を吐き出した。


 自分の内側に渦巻く黒い気持ちを、全て吐き出すような溜め息だった。


「すまん。キタの何が悪いのかさっぱり分からんかった」


「……は」


 聖職者の男が絶句する。

 ダネカが後頭部をポリポリ掻いた。


 キタが勇者だったせいで悪い運命が押し付けられた、そのせいで死ぬかもしれない、本気でキツい、辛い。でもそれはそれ、これはこれ、といった顔をしている。


「いや……『俺が死ぬのはもしかしたらキタのせいかもしれねえ……許せねえ……!』って気持ちは正直言ったらちょっと湧いてきてるけどよ……」


「でしたら」


「この話をして、『僕悪くないじゃん』って言うキタなら、そりゃ俺もぶっ殺してやりてえけどよ。キタは絶対『僕のせいで……ごめん……僕は何をすれば償いになる……?』とか言ってくるやつだろ。分かるか? あいつ絶対背負いに行くだろ。んで俺に全身全霊で尽くして償おうとするだろ」


「……」


「そんなヤツを元凶だの悪者だのにできるか? いや、できねーわ。そんならキタじゃなくて運命とかいうクソを勝手に押し付けてきた世界殴りに行くわ俺」


「勇者キタの運命に巻き込まれての死を目の前にしても、言えますか?」


「言える。キタが悪いとか言えねーよ。つか、これでキタが悪いとかほざくやつは俺がぶん殴りに行く。主にテメエとか、テメエとか、テメエとかな」


 ダネカが目の前の男を睨む。

 とっくに、交渉は決裂していた。

 ダネカは目の前の男を、聖霊教会・聖剣情報統制管理局のシサマを、極めて危険な『キタを狙う敵』として認定している。


 ダネカが、拳を空に突き上げた。


「来い、俺のミライ」


 すると、空から黄金の剣が飛来し、ダネカの目の前に突き刺さった。

 名前を呼べば飛んでくる、王都最高級かつ最高性能の黄金の剣。

 ダネカの誕生日にキタが贈ったその剣に、ダネカは『ミライ』と名をつけた。

 この世界の南方の言葉で、『希望』という意味である。


 ダネカは目の前に刺さった黄金の剣を引き抜き、希望ミライを構える。


「愚かな。キタ様に憎しみや怒りを感じていないわけではないでしょうに」


「ああ、そうだ! 俺は結構キタが嫌いだよ! ぶっ殺してやりてえって気持ちだってあるさ! あいつが本当の勇者だ! あいつがきっと伝説になる! チョウもあいつと結ばれる! チョウの性格なら愛人とかでも満足するだろうからな! 俺が幸せにしたかった女はキタのものになって! キタが幸せにするんだ! きっと俺じゃ不可能なくらいチョウを幸せにする! 腹ァ立つに決まってんだろ!」


「なら、"私"の誘いに乗ればよかったのではないですか?」


「じゃあ、俺が嫌いになったら! あいつがずっといいことばっかしてて、あいつが人を救い続けてる、最高にいいやつだって事実が変わんのか!? 俺とあいつが最高に気が合う現実が変わんのか!? この信頼が消えるとでも言うのかよ!」


 ダネカは黄金の剣を目の前の路面に叩きつける。


 行き場のない気持ちを爆発させ、吐き出すように。


 砕けた路面の破片が舞い上がり、まるで涙の粒のように路面に落ちた。


 空は真っ黒な雲に覆われ、空さえも、ダネカの代わりに泣こうとしている。


「舐めてんじゃねえぞ! 俺が嫌ったくらいであいつの価値が落ちるとでも思ってんのか!? 俺が殺していいやつになるとでも思ってんのか!? 違えだろ! 俺が変わり果てても! あいつは約束を守って、俺がかっけえと思ったあいつのままでいてくれてる! 俺の黄金のままで居てくれてんだよ!」


「……は、はは。なるほど……これは……予想外だ」


「嫌いと好きは相殺したりなんかしねえんだよ! 俺の中の『キタが嫌い』が宇宙くらいでかくなったってなぁ、俺の中の『キタが好き』は宇宙より遥かにでっけえんだよ! 嫌いなんぞが好きに勝てるか! それが全てだ!」


 ダネカの叫びに、シサマは腕を組む。

 黄金の戦士ダネカは、シサマの予想を遥かに超えた男だった。

 シサマは今日、サクっと『誘導』を終わらせて帰るつもりだった。

 それが、予想外の方へと流れていくから、少しばかり困ってしまう。




 苦しみながらも『』という気質。


 それこそが、世界を救う刻の勇者が本能的に認めたダネカの気質。

 光の神が、心によって刻の勇者を選んだように。

 刻の勇者もまた、心によって相棒を選んだ。


 神は勇者を選んだ。

 世界は勇者を選んだ。

 聖剣は勇者を選んだ。

 だが勇者は、ダネカを選んだ。


 ダネカは『永遠に輝きを失わない黄金』としてキタを信頼し。

 キタは『永遠にくすまぬ黄金』としてダネカを信頼した。

 それは、互いに対して魂の本質を一瞬で見抜いたがゆえの絆。

 すなわち、相棒である。

 運命さえ超える相棒である。


 勇者の気質が、決して絶滅存在ヴィミラニエに魅入られない心にあるならば。

 凡人らしさが、絶滅存在ヴィミラニエに魅入られることであるならば。

 絶滅存在ヴィミラニエに魅入られかける凡人らしさと、決して絶滅存在ヴィミラニエに尻尾を振らず踏み留まる勇者らしさを併せ持つ人間とて在るだろう。

 この時代においては、それがダネカであった。


 『かわいそうな悪』を前にして、手を止めてしまう刻の勇者と共に在り、『かわいそうな悪』を断ち切りながらも、刻の勇者と気持ちを同じくできるもの。

 刻の勇者という太陽に並び立つ、唯一無二の黄金の炎。

 ダネカの心は苦難を越えて成長し、その領域まで到達した。


 聖剣が生まれる前の時代の、初代勇者と英雄がそうであったように。




 ダネカはキタより数段荒っぽく、喧嘩っ早い。

 ギルドにおいてはそれが彼の査定を下げることもあるだろう。

 しかし、それが良い方向に働くこともある。


 シサマ相手には明らかに、話し合いより武力行使の方がマシである。

 有効であるかどうかは、また別の話だが。

 この男相手に会話を繰り返すよりは、ずっとマシだ。

 ダネカもまた、それを本能的に察知していた。


「テメェは、あいつの敵だ。地面にキスさせて、企み全部吐かせてやる」


 黄金の剣を手にしてゆったりと迫るダネカに、シサマは甘ったるく微笑む。


 そして、甘ったるく語りかけた。


「貴方は全てを失う流れの中にあります。夢も。願いも。欲したものも。未来も。命も。愛したものも。踏ん張る意味がどこにありますか?」


「誓いが残ってる」


「……誓い?」


 ダネカは、胸を張って言い切った。




「俺とキタが、『明日への靴』だ」




 その言葉が、あまりにも強くて、眩しくて、気高かったから。

 シサマは、全てを諦めた。

 予定していたプランの全てを破棄。

 新たなプランを、この場で創出。


 シサマはそうして、ことを決めた。


「やはり、君が彼と相棒のままで居るのは、全ての邪悪にとって最大の脅威だ」


「あんだ? 何言って───」


 その瞬間。


 シサマの両手が、目にも留まらぬ速度で、ブレた。


 音速を超える速度で戦闘する高ランク冒険者ですら見極めることが不可能な、超高速の弾速で、何かが放たれた。


「君の【相棒を絶対に傷付けないという誓い】を【銃殺】する」


 シサマの右手元から、一発。


「君の【愛する人を絶対に傷付けないという誓い】を【銃殺】する」


 シサマの左手元から、一発。


「───!?」


 Sランク昇格秒読みと言われている、ダネカの超高速の剣捌きが、シサマの両手から放たれた二つの弾丸を切り落とす。

 だが、無駄。

 これは弾丸。効果はそのまま貫通する。

 二つの弾丸を切り落としたダネカの内で、何かが二つ『撃ち殺された』。


「……あ?」


 ダネカは、不思議な虚無感から声を漏らす。

 胸に穴が空いたような、不思議な感覚があった。

 言語化できない、何かの欠落を感じていた。

 されど、失われたものが分からない。

 『銃殺されたもの』を、ダネカは二度と認識できなくなっていた。


 シサマの両手には、いつの間にか漆黒の大型二丁銃が握られている。


「【外部に伝わり助けを呼んでしまうもの】を【銃殺】する」


 それを空に向かって撃つと、まるで結界の効果のように、その場を『世界の欠落』が押し包んだ。

 欠けた世界の透明な空気が、二人を飲み込んだ。

 今、大声を上げて助けを呼んでも、その声はどこにも届かないだろう。


「さて、では」


 灰色のカーテンが、シサマを端から包み込む。


 カーテンが通り過ぎた後には、シサマはへと転身していた。


『"私"も、仕事用の姿になっておきませんとね』


 全身が、漆黒。


 両手には、どこか硬殻を練り上げて作ったような、硬質な黒い大型二丁拳銃。


 頭には、薄い黒色が広がる上に、濃い黒色のラインが走る黒の二本角。


 柔らかな革が変化して伸び、端がボロボロになっている、首の黒マフラー。


 指先に黒い爪。口元に縦線の入った黒い牙。顔には艶々と爛々と輝く黒い瞳。


 全身の各所を守るのは、鱗が硬質化して出来上がった、漆黒の装甲。


 そして、胸の中央には、黒く輝く六角形の宝珠。


 見たこともないその姿に、英雄好きのダネカはある既視感を感じていた。


「……図鑑で、見たことあるぜ、その『角』と『牙』。絶滅した……黒龍だ」


『よくご存知で』


「忘れるわけねえよ。伝説の英雄とかが、お前に乗ってる挿絵が好きだった」


『おやおや。これは盲点でした。まさか"私"のファンの方だったとは』


「俺は英雄のファンであって、テメエのファンじゃねえよ」


 

 まるでわけがわからなかったが、一つだけ分かっていることがあった。

 この男は、キタに対して悪意を持っている。

 それも、極めて底が深く、悪質な悪意を。

 で、あれば。

 ダネカが戦わないわけがない。


「集え黄金、俺の綺羅星! 『招集』ッ!」


 ダネカが黄金の剣を掲げると、一瞬で広がる魔法陣。

 その魔法陣を通して地下に隠されている黄金の鎧一式が転送され、ダネカの全身に装着されていく。

 一秒未満のほんの僅かな時間にて、ダネカは全力の装備を身に着けた。


 黄金の剣を構えるダネカ。

 漆黒の双銃を構えるシサマ。

 王都の一角、誰もが戦いに気付けないその場所で、黒と金が魔力を高める。


 ケタッ、と。

 竜人が、嘲笑った。


『では、始めましょうダネカ様。君達の先祖の罪で、地獄のように苦しみなさい』


 銃声が鳴る。


『君の【キタと出会った日の記憶】を【銃殺】する』


 一発につき、一つ。何かが銃殺される。


 それは、地獄が始まる前の日のこと。


「今日はいい日ですねえ。昨日もいい日でした。明日もきっといい日になりますよ。それが時間というものですから」


 勇者キタの勇者としての物語が始まる前の、プロローグ。

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