黄金の戦士ダネカの■■■■■

 緑の服。

 丸々太った体。

 チョウの剣閃みたいに鋭い目。


 そいつを、俺は医院で見た覚えがあった。


「ああ、よかった。ようやく見つけられました」


「あん? お前は……」


「ジャクゴ、と申しますな。あの医院でお会いしました。憶えておられませんか?」


「忘れるわけねえだろ。俺はテメェを探してたんだ」


「ほう? それはどうい」


 俺はそいつの襟首を掴んで、街路樹に押し込んだ。


 街路樹が揺れる。男が呻く。


 虹色の街路樹特有の鼻を突き刺すような刺激臭が、俺を責めてるように感じた。


 暴力は褒められたもんじゃないと、樹にすら責められてる気がした。


「おい、俺の頭の中の毒のこと、言い触らしてねえだろうな」


「おっおっおっ、もちろん口外しておりませんよ。人の重大な秘密ですから」


「……本当だろうな?」


「商人の魂にかけて」


 嘘はついてない、ような、印象を受けたが。

 もうわかんねえわ。

 俺、誰の何を信じて良いのか分からねえ。

 仲間の隠し事さえ見抜けてなかった俺が赤の他人の何を理解できるんだ?


 もういい。

 どうでも。

 俺は男の襟を離し、深く溜め息を吐いた。

 自分の情けなさへの溜め息だった。


「おっおっおっ。心配し激昂するのも分かります。不治の毒、迫る死……心中お察しします。辛いという言葉では言い尽くせぬものがありましょう」


「……テメエなんぞに俺の気持ちは分からねえよ」


「ええ、分かりません。完全に同じ感情を抱くことなど不可能でしょう。自分に分かるのはあなたの発言の合理性です。あなたの横暴には相応の理がある」


「……」


「理由の無い暴力と、余命を宣告された者の暴力には、理由の有無という決定的な壁がある。それを分かる、と言っているのですな、自分は。おっおっおっ」


 この訛り。

 確か、東の方の、小さい商業都市出身のやつの口調の癖だ。

 前に、依頼で話したことがある。

 言葉にも、独特に理を重んじる癖がある。

 こいつが商人なのは間違いねえか。


「自分もあなたを探していたのです、ダネカどの」


「なんでだ? 病院から一生出ねえで治療でもしてろってか? ごめんだね」


「いいえ、違います。理由は二つありました。まずはこちらを。あなたの薬です」


「治らねえ毒のために薬なんぞ飲まねえよ、どうせ死ぬんだろ」


「けれど、生き長らえることはできましょう? 20歳の手前までは」


「……」


「自分は今は、薬を王都に仕入れる仕事をしている商人でございます。この薬はあなたの命を助けられないかもしれません。しかし、それでも、あなたの命を少しでも引き伸ばせるなら……私も魔獣の領域を命懸けで抜けて来た甲斐があるというもの」


「へっ」


 俺は乱暴に、ひったくるように薬の入った紙袋を受け取った。

 延命。

 延命、か。

 一日でも長く生きて、したいことか探すのが普通の病人なんかね。


「で、もう一つの理由ってなんだよ。薬の礼に頼みくらいなら聞いてやるぞ」


「……ふふふっ」


「あ? なんだ、何笑ってんだ」


「いえ。自分が昔想像していた通りの人で、少し嬉しくなってしまって。明日をも知れぬ身で、まずは『頼みくらいなら聞いてやるぞ』とは……」


「想像通り?」


 なんだそりゃ。

 どっかで会ってたか?


「私の父は、ジャクガと言います。……ここへは、謝罪と感謝に来ました」


「……?」


「……まさか、憶えていないとか?」


「………………………………いや、憶えてるぜ憶えてる。でも別の話しねえか?」


「憶えてないじゃありませぬかぁ! いや、あの、その。随分と前に、キタどのにだいぶ失礼なことを言い、ダネカどのとチョウどのを引き抜こうとした商人の……」


「……ああー! ああ! あいつなあいつ! 完璧忘れてわ!」


「おっおっおっ、愉快な話です。父はその時のことをだいぶ引きずっていて、酒が入る度にダネカどののことを話していたのですがね」


 めっちゃくっちゃに愉快そうに、ジャクゴは笑っていた。


「で、なんだよ。また引き抜きの話か? 今度はお前か?」


「いえ。その当時、自分は父の汚いやり方に嫌気が差していましてね。けれども父の下を離れる勇気も無かった。長く続く魔王時代は経済基盤を疲弊させています。転職の成功率はどんどん下がっているとも聞きますな。それで、自分は父の経営する会社から離れることに、怯えていたのです」


「ふーん」


「そこに、父に真っ向から歯向かい、理屈が通じない姿を見せつけ、圧倒することで父に敗北感さえ与えた、あなたが現れた」


「俺?」


「あなたに自覚はないでしょう。ですが、あなたが自分に道を示してくれたのです、ダネカどの。損得より大事なものが、心に宿ることはあるのだと」


 俺にとっては、うろ覚えの記憶で。確か、ただキレただけだったはずだが。


 こいつにとっては、人生を変えるデカい出来事だったらしい。


「人に勇気を与えるのが勇者なら、あなたが自分の勇者だったのです」


「───」


「立ち向かう勇気。断る勇気。どんな伝説より、あなたは輝いていた」


 そっか。


 うん。ちっとは、嬉しい。


 こんな俺でも、誰かにとっての勇者にはなれたんだな。


「キタどのにはもうお会いしました。あの方のために、父が出した好条件の全てを蹴ったのでしょう? いやあ、胸が踊りますなあ。無二の親友の相棒というものは」


 その言葉が、冷たい氷の刃みてえに、俺の心に突き刺さった。


「……まあ、前の話だ。今はちょっと……俺は……あいつに顔を合わせ難くてさ、あんたが思ってるような掛け合いはできねえかもしれん」


「喧嘩でもなされたのですかな?」


「それは違……いや、そうかもな。近いかもしんねえや。俺の方が心の整理をつけて、あいつに寄っていかねえといけねえのは分かってんだけどな……」


「ふむ」


 ジャクゴはごそごそと背中に背負ったカバンを探り、そこから薄い小冊子を一冊取り出した。


「キタどのに試作品を渡しておいてほしかったのですが、気不味いようであれば無理して頼むことはできませんな」


「……いや、そんくらいなら請け負うぜ。ってか試作品? その本が?」


「例のものですよ。ダネカどのの英雄譚小冊子。キタどのの執筆です」


「───ぇ」


「ダネカどのも聞いていたでしょう? まさかサプライズというわけでもないでしょうしな。いやあ、仲間内で回し読みするジョーク本でこういうものを作る冒険者は少なくないのですが! キタどのは流石違いますな! 装丁から、キタどのの執筆した文章の熱量、ダネカどのを主人公とした物語まで、自分は総じて高評価です!」


 思考が真っ白になって、真っ白になった俺の心に、あったけえものが湧く。


 昔、死ぬほどキタと話をした。

 俺が読んだ英雄譚の話をした。

 俺が一時間でも二時間でも、昔の勇者の話をした。

 キタは、うんざりしながら、いつもちゃんと聞いてくれていた。


 ベッドもなくて、テントもなくて、森の中で藁を敷いて寝っ転がって、焚き火を挟んだ俺とキタがいて、俺がずっと昔読んだ英雄譚の本の話をして、俺も伝説になりてえ、本の主人公になりてえって、そういう話をして。


 何年経っても、あいつはずっと憶えてて、俺が喜ぶものを分かってて、俺の夢のことを理解してて、それで、サプライズで、最高のもんを。


「この本は最終的には十冊程度しか作らない予定で、その試作品なのですが。ダネカどのが渡してくれるなら安心ですな。今度またゆっくり話しましょうぞ!」


「……ああ。ありがとうな」


 本当に、ありがとう。


 ジャクゴが去って、俺は本を両手に持って、見つめる。


 ぱらぱらめくった。


 俺達の冒険の、一年分くらいをまとめた、けっこう薄い本だった。


 執筆者は、キタだった。本の主役は、俺だった。


「本」


 挿絵があった。


 俺が絵の真ん中で、主役で、剣を掲げてた。


 後ろの方に、キタがいて、チョウがいて、アオアがいて、ヒバカがいて。


 俺達は本に登場する色んな人の小さな世界を救う、勇者になってた。


「そうだ。俺、こういうのになりたくて」


 世界中の誰からも尊敬されて、世界中の誰からも好かれるような、史上最強の勇者になりたかった。それが俺だった。


 一日三回のおやつ。

 一日一回のステーキ。

 ぴっかぴかの剣。

 ぴっかぴかの鎧。

 かわいいお嫁さん。

 ドラゴンとかの討伐。

 夢の冒険者Sランク。

 褒めてくれる仲間。

 街の皆の笑顔。

 友達全部が安心して暮らせる世界。

 何も悪い事してねえ人達が笑っていける明日。

 平和。


 目に見える世界の全てが、一から十まで輝いて見えてたから。

 全部守りたくて、全部欲しくて、全部に幸せであってほしいって思った。


 そういうのが欲しくて旅立ったのが、俺で。

 いつの間にか、余計なもんがいっぱいいっぱいひっつくようになって。

 世界が輝いて見えなくなって。


 でも。

 本の中の俺は、まだ、そうだった。

 今でも、世界の全てがキラキラに見えていた。

 本の中の俺は、昔の俺のままだった。

 これが、キタがずっと見てくれていた俺なんだ。


 俺の時間を、キタが記憶してくれていた。

 俺の夢の純度を、変わらないキタが憶えていてくれた。

 本の中に、時間きおくがたくさん詰め込まれてる。


 俺はこういう風に、本に記される最高の勇者になりたかったんだ。


「後の時代の奴らが、こういうので読み返して、ずっと俺のことを忘れないでいてくれる、そういう存在になりたくて……」


 そして。

 俺の口から、心からの言葉が口をついて出た。




「───俺の、生きた証」




 その言葉が、答えだった。

 俺の体にのしかかっていた、目には見えない重りが全部吹っ飛んでいった。

 たぶんおそらく、『死』とか名前が書かれてたやつが。


「はは」


 俺の生きた証がある。

 ここにある。

 この本がそうだ。


 俺が死んでも、この本は残る。

 こういう本を読んで、他の誰かが俺のことを知ってくれる。

 俺のことを忘れないでいてくれる。

 俺が頑張って生きたことも、何が好きだったかも、どこをどんな奴らと駆け抜けたかも、この本にはちゃんと書いてある。


 それが、俺の生きた証。

 俺自身にすら分かってなかった、俺が本当に欲しかったもの。

 俺がこの世界に生きてたんだって、俺はここに生きてたんだって、叫んで、世界に跡を刻むもの。


 目が熱い。

 頬に何かが流れた。

 地面に、なんかが落ちていく。


「ばっかじゃねえの、あいつ」


 昔。

 冒険者として助けに行った戦場で、死にかけた兵士がいた。

 俺はそいつを助けられなかった。

 だけどそいつは「私の子が私の生きた証になってくれる」って言って、安心しきった顔で死んでいった。


 その時の俺には、そいつの気持ちが分かんねえって、なった。

 だけど今は、ちょっとは分かる。


 人はきっと、誰もがいつか死ぬ。

 世界中の皆が薄々それだけは分かってる。

 毎日、魔王軍との戦争で誰かが死ぬから。

 死が近いから、皆死を知ってて、死が怖えんだ。

 死は覆せねえもんで、覆しちゃならねえもんだから。


 でも。

 故郷に自分を憶えててくれる人が残ってれば。

 毎日一緒に居る仲間を生かして生還させられたら。

 街に生きてる自分の子供の未来を守れたら。

 皆が語り継ぐ冒険者の物語の一員になれたら。

 本に自分の人生が書き残されてたら。

 死んだ後に残る何かが、あったら。


 『生きた証』さえあれば。


 人は、『死ぬのが怖い』にだって、勝てるんじゃないかって。


 俺って存在も、過去から未来まで、何かの形で続いていけるんじゃないかって。


 今、思った。


「なあ、キタ」


 お前っ、本当にっ、いい加減にっ、しろよなっ!!!


 素直に俺に嫌わせろ! バカ野郎がっ!


 こんなんで……俺はどうやってお前を嫌えってんだよ! くたばれ!


 ……お前と一緒になったチョウが不幸になる未来が全然想像できねえから、俺はテメェにペッペッって唾吐くのが限界なんだよ! クソが!


「俺の夢に、他人の夢に、そんなに真剣になってるやつ、お前くらいしか、いねえよ……俺本人が今、諦めかけてたところなんだよ、夢をっ……!」


 『これが君の夢の第一歩だ!』って言って、俺にドヤ顔してるキタの幻が、何故か突然浮かび上がってきた。


 あークソ。あいつマジで言いそう。


「……ふぅー。ったく、何も解決してねえってのに……まさか、本の中の俺が、昔の俺が、今の俺にこんなこと言ってくるなんてな……」


 本の中の俺が、1ページ目で言っていた。


 『お前が俺の相棒だ!』

 『頼むぜ相棒、俺のダネカ伝説の1ページ目に載ってくれ!』


 1ページ目に、俺とキタの出会いが載っていた。


 なんだよ、あいつ。

 こんなセリフ憶えてたのかよ。

 何年前のセリフだよ。

 そんなに嬉しかったのか?

 かわいいやつめ。

 へっ。

 バーカ。


「気付いたら、互いを救い合ってる、相棒。この世に二つとねえ最高の黄金」


 生きた証は、本だけじゃねえ。

 仲間が居る。

 仲間が俺を憶えてくれている。

 俺がいつか死んでも、あいつらが、俺の生きた証になってくれる。

 仲間を守ろう。

 俺がここに生きてたことを、憶えていてくれる、最高の仲間を。


 俺は、答えを得た。

 ずっと探してた、『前を向くための答え』だった。

 『俯くための答え』なんかじゃねえ。

 もがいてもがいて、俺はずっと、こいつを探してたんだ。


 俺自身が得た、命の答えを。


「後悔する前に、あいつらに向き合おう。だって俺は……キタとも、チョウとも、ずっと笑い合っていてえ……あいつらが二人で幸せになるなら、それで……」


 きっつい。

 苦しい。

 悲しい。

 つらい。

 もっと生きていてえし、チョウに愛されてえし、夢をちゃんと叶えてえし、色んなことへのクソッタレって怒りもわんさかある。


 だけどよ。

 やっぱ、俺はゴールデンに生きていてえ。

 かっこ悪くなんてなりたくねえ。

 誰かのせいにしながら生きたり、誰かを傷付けながら生きたりしたくねえ。


「俺よ、俺に勝て。今の俺の最大の敵は俺だ。魔王より強えに違いねえ。だけど負けんな。絶対に負けんな。俺の周りに、負けたら泣く奴らが居る」


 俺は、俺のためにかっこつけんのをやめて。


 こっからは、仲間のためだけにかっこつける。


 この命が、燃え尽きるまで。


「俺はゴールデンオブゴールデン、ダネカ。今度も……勝ぁつッ!!」


 なってやるさ。


 黄金の炎に。


 ふと、キタが昔言ってた話を、ぼんやりと思い出した。


───そういえば、師匠が言ってたなぁ

───僕がどういう人間か、その本質が問われる瞬間があるって

───それは僕が全てを失った時だって

───復讐か、逆転か、許容か、無視か

───僕の心の地金はその時に見えるんだって


 そいつが、俺に気合いを入れてくれる。


「問われてんだろ、本質を。やってやるよ」


 人生が1000年しかねえ人間は、1000年以上生きてても老ける気配もねえエルフと比べて、かわいそうな人生なのか?


 20歳まで生きられねえ俺は、100年生きたヤツより可哀想な人生なのか?


 違え。


 違えだろ!


 そいつを俺が証明してやる!


 仲間と共に、残りの人生全部使って、最高最強に、世界に証明して見せる!


 待ってろよ!











 これより先は、ダネカ本人の中では朧気な記憶に成り果てた、されど『この記憶』には記録された、過去の世界の真実である。











 黄金の戦士ダネカは、空を見上げた。


 空に、雲がかかってきた。

 暗雲である。

 今日は風が強く、雲が流れるのもだいぶ速い。

 おそらくはあと一時間か二時間で、王都に雨が降り始めるだろう。


 コツ、コツ、と、不気味なほどに規則正しい足音がする。

 馬車用に舗装された固い路面を、革靴が叩く音がする。

 コツ、コツ、と。


 かくして。その男は、ダネカの前に姿を現した。


「おはようございます」


「ん?」


 ダネカが声をかけられ、振り向く。


 見たことのない男だった。

 真っ白な髪、逆立った髪。

 されど真っ白な髪の中に、額の上辺りから伸びる黒い髪の束が二束ある。

 それがまるで、白い毛並みの中に立つ、二本の黒い角のように見えた。


 背は高く、体格は良い。

 身に纏うのは、かなり高位の聖職者であることを示す修道服。

 青い布地に金の刺繍。

 間違いなく、『聖霊教会ボランタス』の一員だろう。


 だがどの特徴より印象に残るのは、その目だ。

 深く、深く、深い黒。

 その奥で、外から入ってきた光がチカチカと乱反射している。

 まるで、宇宙空間のような瞳だった。


 宇宙の瞳の聖職者は、とても柔らかく、聞いていてとろけてしまいそうな、優しく甘い声で語りかける。


「少しお時間をいただけますか?」


「今日は普段話さねえやつが話しかけてくる日だな。あんた、誰だ?」


「聖霊教会、聖剣情報統制管理局のシサマと申します。お見知りおきを」


 ダネカは、首を傾げる。


 長年高ランク冒険者をしていたダネカにも、聞いたことのない名前だったから。


「少しお話をしませんか。『刻の勇者』というものについて」


 そうして、蘇った黄金は。


 神も知らない、世界の隙間に蔓延る闇の一端へと、指先を触れた。

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